第28話 パンの耳じゃなくて、コップ一杯のお水になるくらいだから

「……い、いや、駄目ってことはないですけど」

 結局、口を衝いたのは、消極的賛成の言葉。俗に言う、ヘタレ的台詞だ。


「ほんとっ? やった、それじゃあ、わたしその日三限で終わるんだ、石原くんは?」

「僕は四限終わりですけど」

「わかったよ。だったら、四限終わりに駅の改札前に集合ねっ?」


 あれよあれよという間に、待ち合わせ場所と時間まで決まったはいいけど、いいんだけど、


「……あの、稲穂さん。どこ行くつもりなんですか? こういうのもあれですけど……僕とデートするためにご飯をパンの耳にするとか……言わないですよね?」


 先輩は超がつくほどの苦学生だ。僕の知る限りでは、本当に僕と月一でする食事会くらいしか、お金(格好よく言うなら、交際費かな?)は使っていない。そんな稲穂さんが、お出かけをするっていうイメージがつかない……。


「え? 大丈夫だよー、パンの耳じゃなくて、コップ一杯のお水になるくらいだから」

 予想を斜め上に、笑えない方向に裏切るのやめてもらっていいですか?


「それに、石原くんと遊べるんだったら、コップ一杯くらいなんともないよ」

 両手に頬を挟み、ニコニコと目尻を下げたまま顔を嬉しそうに左右に振る稲穂さん。


「……普通に嬉しいんですけど、やっていることが辛すぎるのでなんとも言えないです。それだったら……ご飯奢るので、ほんとに、無理しないでください」

「いやいやっ、そんな、後輩の子に奢られるわけには」

「……僕が先輩と月一で食事しましょうって言うようになった理由、忘れたんですか?」


 そもそも、僕が稲穂さんを誘うようになったのは、勉強に根を詰めすぎて、さらにはバイトも働き詰めでストレスとか疲れがたまった上に、件のパンの耳生活……ではないにしろ、ご飯もちゃんと食べていないというのも聞いたから。


 そんな稲穂さんを見かねてせめて月一くらいは愚痴る機会を作ろう、ってなったわけで。


「……うっ、うう、それを言われると耳が痛いというか……」

 稲穂さんは、頬から両耳へと手を移して「聞こえませーん」という仕草をしてみせる。

 しばらくの間そうしていると、稲穂さんはようやく続きを話して、


「そ、そんなことより、石原くんはどこか行きたいところとかある? あっ、あまりお金がかからないところがわたし的には嬉しいなあ」

 行き先について相談をすることに。……この流れで、夢の国に行きたいとか言えるわけないじゃないですか。いや、僕自身もそんなに行きたいとは思ってないですけど……。


「……え、えっと、稲穂さんが行きたいところでいいですよ?」

「そう? じゃあねじゃあね、この間、友達から『映画の前売り券二枚あげるー』って貰ったから、映画見に行かない?」


「……そのお友達って、先日僕と一緒にいるときにお会いした方だったりしますか?」

「え? そうだけど、なんでわかったの? 石原くん、エスパー?」


 ……多分、稲穂さんがわかりやすいからだと思います。


「……エスパーではないですけど、まあ……そういうことでいいです」

「うーん、まあ、いっか。それじゃあ、それで決まりねっ」

 そう言うと、稲穂さんはリュックサックから例によって勉強道具を取り出し始めては、また僕の隣でカリカリとシャーペンを忙しなく動かし始めた。


 さて、その日の夕食。伊吹が作ったロールキャベツをふたりで食べている間、僕はどうやって稲穂さんとの約束を言おうか悩んでいた。


 ……いや、正直に言うとこれまた要らぬ嫉妬を生むのは必至だ。ただ、来週の月曜日、晩ご飯いらないってことを合理的な理由で誤魔化すビジョンがなかなか……。

 こういうとき、サークルに入っていないのが悔やまれる。


「さっきからどうかしたんですか? 悠乃くん。小難しい顔して。もしかして、あんまし美味しくなかったですか? ロールキャベツ」

 あまりにも顔に出ていたからだろうか、伊吹はきょとんと小首を傾げて不安そうに聞いてくる。


「えっ、ああっ、いや、なんでも。そんなことないよ、美味しい、美味しいよ?」

 実際、伊吹の作ったロールキャベツは美味そのものだった。うまい具合にひき肉とキャベツにコンソメの味がしみ込んでいて、食べ応えも十分。


 ただ、さすがは幼馴染といったところだろうか、僕の返事を聞くなり、やや不満そうに唇をわざとらしく尖らせては、

「……その態度、何か私に隠しごとしてますね?」

 一瞬で僕の嘘を見抜いてきた。


「いっ、いや? 特にそんなこと、ないけど……?」

「あっ、まさかっ、あの下品な胸の胡麻さんに下品なことされたんじゃ」

 ……伊吹のなかで稲穂さんの認識が完全に歪んでるよ。稲穂さん、いい人なんだけどなあ……。


「悠乃くん、油断ならないから不安です……」

 伊吹はすると、牛乳が入ったコップを一気に呷って、寂しそうに自分の胸元を見下ろす。


「……毎日牛乳も飲んでるんだけどなあ……」

 いや、あの……だから僕、別に大きいほうが好きなわけでは、ないんですけど。

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