第23話 ……いや、その肩こり、別の理由もあるんじゃ……。
それから、大学のほうも新学期が始まり、僕も一日中暇を持て余す、ということはなくなった。時間割も履修を登録したことで確定して、一限のある水曜と金曜は伊吹が朝起こしに来るようになったし、その日に関しては朝ご飯も用意してくれるという尽くしっぷり。
一年生のときは朝ご飯抜き、もしくは駅まで歩きながらゼリー飲料をちゅるちゅる吸いながら大学に行っていたから、ありがたいと言えばありがたい。
そして、伊吹だけでなく、稲穂さんにも変化が。
ある水曜日の昼休み。僕は大学生協で買ったおにぎりを三限の授業で使う大教室でひとり食べていた。のだけど、
「あ、石原くんも次の西洋近代史取るの?」
僕の隣の席にはいつの間にか、ニコニコ笑みを浮かべた稲穂さんが「よいしょ」と口にしつつリュックサックを右隣の椅子に置いては、筆箱を取り出す。
「……え、なんで稲穂さんが、ここに? 文学部の授業ですよ?」
「他学部も履修できる授業だったから。一般教養の枠で、他学部の単位も取れるから、取ってみようかなーって思って」
左隣に座る稲穂さんは、テーブルの上に両肘を立てて顔を手で支えては、柔和な表情を崩さないまま続ける。
「いやっ……それは、知ってますけど……稲穂さん、文学部の授業取る余裕ありましたっけ……?」
大学生は自由に授業を組める、というお話があったりするけど、人によっては幻想だったりする。教職課程・学芸員・司書・司書教諭など、文学部だけでも四つの資格課程があるけど、それを取ると、卒業に関係ない単位も余計に取らないといけなくなり、下手をすると土曜日まで授業に行かなくなるから大変だ。
週に二日三日大学に行くだけとかいうのんびりキャンパスライフは送れるはずもない。
これは文学部の話だけど、稲穂さんの法学部もきっと似たようなものだろう。
「へっ? いやっ、ま、まあ? ちょっと空きコマができちゃったから、取ろうかなーって思って」
「そ、そうなんですね……」
……今まで文学部はおろか、他学部の授業を取るなんて一度もなかったのに、どういう風の吹き回しなのか……。いや、薄々理由はわかってますけど。
そんな話をしている間に、教授が教室に入室しては、大教室の(主に後方に集まっている)学生に印刷したレジュメを配り始める。
「んー、でもこれでもし風邪とか引いちゃっても、石原くんにレジュメの回収お願いできるね」
「……まっ、まあ、それはそうですね……」
「それに、いつも法律の勉強をしていると肩凝っちゃって仕方なくてね? たまには別のお話聞いて気分転換したいなーって思って」
回ってきたレジュメと教授を交互に見やりながら肩をグルグル回す稲穂さん。
……いや、その肩こり、別の理由もあるんじゃ……。
とかなんとか一瞬思ったりもしたけど、
──すみませんね、胡麻さんよりも小さくて
というような伊吹の声が脳内に響き渡り、慌ててその思考を打ち消した。
「ん? どうかした? 石原くん」
ブンブンと首を振ってリセットさせたので、隣の稲穂さんは不思議そうに顔を傾げる。
「いっ、いえ、なんでもないです、はいっ」
初回の授業ということもあり、大した話は教授もしておらず、成績のつけかただったり、授業の進めかたなどをレジュメとパワーポイントを使って説明しているだけ。なので、稲穂さんも話半分に聞いてはチラチラと僕に話しかけてくる。
「あ、わたし、四限もこの教室の授業取っているんだけど、石原くんは?」
「……僕も取ってますね」
「やった。石原くんがいて安心したよー。ただでさえ授業をひとりで受けるのって心細いし、ましてや他学部の授業なんて勝手もわからないから。頼りにしてるよっ、石原くん」
「は、はぁ、そ、それははい……」
僕が履修してなかったら、どうするつもりだったんだろう、稲穂さん。履修中止でもする予定だったのかな……。
三限はガイダンスだけで終わったので、百分ある授業時間のうち半分も使わなかった。その生まれた隙間時間に、おしゃべりをして楽しむ……なんてことはなく、リュックから法律関係の教科書を取り出した稲穂さんは、ガリガリとノートに何かまとめはじめた。
……絶対これ、多少無理して履修組んだだろ……。
と、心の内に思った。まあ、突っ込んだところで否定されるのがオチだろうし、僕は暇潰しにカバンに忍ばせておいた読みかけのライトノベルを開いて、四限までの時間をのんびりと過ごした。
「それじゃあ、今日はお疲れ様―。わたしは図書館で勉強してくから、ばいばい」
「お、お疲れ様でーす」
四限も同じように終わり、僕と稲穂さんの授業は終了。僕は帰宅することになったが、稲穂さんはまだ勉強していくらしく、反対方向へと僕らは別れた。
春のある授業日は、こうして終わっていった。
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