第21話 ……あとは、そ、その……き、気持ちいいこと、とか

「……そういえば、悠乃くんは、早起きしないといけない日、あったりしますか?」

 食事中、伊吹は味噌汁を小さな口に含んでから、僕に尋ねる。

「え? あ、いや……まだ履修決めてないから、決まってないけど……」

「そうなんですね。一限がある日だったら、起こしに来ようかなって思ってたんですけど」


「そ、そこまでしなくても……」

「でも、妻が夫を仕事に間に合うように起こすのは、自然なことなんじゃないんですか?」


 ……別に夫が先に起きる世界線があってもいいとは思うけどね。っていうか恋人通過している。そもそも幼馴染なんだけどね僕ら。


「……とりあえず、水曜日に必修の語学が一限に入っているから、水曜日は確定で起きないといけない」

「わかりました。水曜日は、学校行く前に起こしてあげますね?」

「た、助かります……」


 やや遠い目を浮かべつつ、僕は美味しい美味しい伊吹の手料理をもぐもぐと嚙みしめていた。


 晩ご飯が終わって、ふたり並んで後片付けをしていると、ふと、

「そういえば、あと他に何か私にして欲しいことってあります? 悠乃くん」

 伊吹はそんなことを聞く。


「して欲しいことって……」

「例えば、週一で肩もみとかマッサージして欲しいとか、背中流して欲しいとか、添い寝して欲しいとか。……あとは、そ、その……き、気持ちいいこと、とか」

 なんか段々過激になってきている気がしたけど気のせいだよね。うん、そうだよね。


「いや、べっ、別にそこまでして欲しいことはないかなあ……」

「おっ、お父さんやお母さんで練習してきたんで、効果はなかなかですよ? お父さんに至っては、途中で寝落ちしちゃったくらいですしっ」

「か、肩が凝っている自覚とかないし……い、今は大丈夫、かなあ……」


 僕がそう言うと、隣で洗い終わった食器を拭いている伊吹は、しゅんと肩を落としては、

「……わ、わかりました。悠乃くんがそう言うなら……」

 と、明らかに落ち込んでしまっている。


「…………。こ、今度ね。今度、気が向いたらお願いするよ」

「はっ、はいっ、いつでもお待ちしてますねっ」

 はぁ……結局僕が弱いんだよなあ、こういうのに……。


 〇


「はぁ……今日もお客さんに中学生と勘違いされたよう……」

 石原くんが帰ってから、仮眠を取って深夜の牛丼チェーンのアルバイトに入った帰り。もう朝陽も上り始めるなか、とぼとぼと家までの道のりを進んでいた。


「……帰ってちょっとだけ寝て、また勉強しないとな……」

 飲食店でのアルバイトは楽ではない。ただ、深夜帯で時給が上がるのと、わたしの働くお店だとまかないが当たったりもして食費が浮く、という理由で働き続けていたりもする。


 バイト先から徒歩十五分くらいの家。国道沿いをずっと歩く単調な道のりだけど、すれ違う人は多種多様。早朝からランニングをするお兄さんに、犬の散歩中のおばあさん。かと思えばこんな時間からスーツをきっちり決めて駅へと早足で向かうサラリーマンに、反対に徹夜明けらしき大学生の集団がわらわらとコンビニから出てきたり。


「……コンビニ、寄って行こうかな」

 そういえば冷蔵庫のお茶が切れかけになっていた。勉強中に何も飲むものがないのはしんどすぎだし、何か買っていこう。


 コンビニで手早くプライベートブランドの一番安い緑茶を手に取って、そのままレジに行こうとしたのだけど、途中、あるものに目が入ったわたしは足を止めてしまった。


「……これ……」

 視線には「めっちゃうす」とか「0.02」とか、そういう文字が。

「はぅ……」

 わたしは、別に何も悪いことをしていないのに、思わず周りをキョロキョロと見渡してしまった。これじゃ万引きをしようとしている子供だ。


 で、でも……これがあったら、石原くんは……うう……うう……。

 わたしはその目に見えた箱を手に取ろうとした瞬間、


「……け、結構いいお値段……するんだ……」

 三桁後半の価格にわたしは二の足を踏む。このお金があれば、美味しいラーメンを二回も食べることができる。それに、今財布のなかには、五百円玉が一枚と、小銭がじゃらじゃらと入っているだけ。お金を下ろさないと、この避妊具を買うことはできない。


 まだ銀行のATMは開いてないし、コンビニで下ろすと手数料が……。でも、今買わないと決意が鈍りそうだし……うう……。


「……これで、石原くんを取られないようにすると思えば」


 パンの耳生活を一日すれば、どうにかなる、よね……。


 意を決して、わたしはお茶と避妊具を持ったまま、コンビニのATMに向かった。

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