第15話 だっ、だから胡麻ちゃんって呼ばないでよお……
「あっ、ちっ、違うのっ、ほっほらっ、ちょっと気になっちゃったりしてなーって思って、あははー」
稲穂さんは慌てたようにパクパクとミックスサンドひと切れをパクパクと口に含んでは、「けほっ、けほっ」と一気に食べたことでむせてしまい、涙ぐみながらコーヒーを飲んで流し込む。
……いや、まあここで嘘をついたところでどうせ伊吹が全部そのうち稲穂さんに話すだろうし。隠す理由も僕にはないので、
「……キスに関しては本当ですよ」
と、あっさりと事実を認める。稲穂さんは、僕のその返事を聞くと「ふぇっ」と飲んでいたコーヒーすら気管に入ってしまったみたく、にたび咳き込んでしまう。
「えっ、ほっ、本当なの?」
「……この間稲穂さんを家に送った帰りに、いきなり」
「そ、それだけ……?」
「……それだけ、と言いますと?」
「いっ、いや、そのっ……他に松江さんに何かされたりとか……」
「……えーっと、耳かきされたり、あと、これから基本的に僕に晩ご飯を作ってくれるみたいです」
耳かきの際に胸を触りますかだとか吸いますかだとか言われたことはさすがに内緒にしておこう。午前中の喫茶スペースで話す内容じゃない。
「みっ、耳かき、晩ご飯っ……か、完全に通い妻……」
はわわ、と蝶を追いかけるようにあちらこちらに視線を飛ばしては、あわあわし続ける稲穂さん。
「そ、それで、結婚、っていうのは……?」
「それは……あれです。よくあるじゃないですか、小さいときに大きくなったら結婚する、って約束。それを伊吹はちゃんと守ろうとしているだけで……」
「じゃ、じゃあ石原くんにその気はないってこと?」
「ま、まあ、そういうことになりますね……」
すると、稲穂さんはさっきまでの不安そうな表情から、パッと顔つきを明るくさせては、
「なあんだ、そうなんだね、てっきり、お互い合意済みの許嫁か何かなのかと思ってたよ、わたし。そうなんだー、あはは、ごめんね、急にまくしたてちゃって」
数段トーンを上げて笑みさえ浮かべる。
「っていうことは、別に石原くんと松江さんはただの幼馴染で、別に恋人だとか、そういうわけじゃないってことなんだよね?」
「……僕はそう思ってますけど、伊吹がそれを聞いたら泣いて悲しみますね……」
「やっぱり私のこと、嫌いだったんですね」って部屋の隅で体育座りしてさめざめと泣く姿が想像できる。
「へ、へえ。そ、それに、石原くん、今も好きな人はいないんだよね?」
「……? いないですけど……それがどうかしたんですか?」
「う、ううん、なんでもないよ? なんでも。あっ、石原くん、残ったミックスサンド全部食べちゃっていいよ?」
「こんなにいいんですか? さすがにそれは悪いっていうか、せめて半分でもお金──」
「いいのいいのっ、ほら、食べて食べて」
稲穂さんは、両肘をテーブルにつけては両手で顎を支えてニコニコしたまま。さっきまでの不機嫌オーラはどこへやら。「すひだよー」案件といい、童貞を勘違いさせそうなムーブをかましていますよね……。いや、きっと本当に僕の勘違いなんでしょうけど……。
「は、はぁ、それなら……まあ、ありがたく……」
昼ご飯代がこれで浮くと考えれば、ラッキーと言えばラッキーなのだけど……。
絵に描いたような苦学生を地でいく稲穂先輩に昼ご飯を奢らせてしまって果たしていいのだろうか、と頭の片隅で考えつつ、今度会ったとき何かご馳走してそれでトントンにするかと決め、残っていたミックスサンドを僕は食べ始めた。そんなふうに過ごしていると、
「あ、胡麻ちゃんだー。またいつもの彼氏くんとデート? 仲いいねー」
恐らく稲穂さんの友達らしき女子学生が、声を掛けてきた。
「へっ? ちちっ、違うよっ、そっ、そんな彼氏とかじゃ、あとその呼びかたやめてよー」
「またまたー、飲み会誘っても全然来ないのに、彼氏くんとは定期的に飲みに行くくせにー。そろそろお持ち帰りされたんじゃないの?」
「おっ、お持ち帰りされてないよっ、いっ、石原くんそういう人じゃないしっ……」
「えー? ならまだ落とせてないんだ、胡麻ちゃん。いいのー? そんな余裕かましてて」
「うっ、うう……」
「早い者勝ちだからねー、そういうのは。色仕掛けでもなんでも使わないと、泣くのは胡麻ちゃんだからねー」
「だっ、だから胡麻ちゃんって呼ばないでよお……」
そこまで話して、稲穂さんの友達はテーブルから離れていった。ようやく落ち着いた稲穂さんは、しかし途端に頬を発火させては、
「いっ、今のお話、全然、全然全然全然気にしなくていいからっ。いっ、色仕掛けとかっ」
両手をブンブンと振り回して話を逸らそうとしていた。
……酔ったときに色仕掛けされているんですけどね……こちとら。
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