第13話 あの、その、い、言ってくだされば、わ、私はいつでも準備するので
「お待たせしましたっ、出来上がりましたよ」
それから三十分程度。ワンルームに置いてある小さいテーブルには、伊吹が作ってくれた晩ご飯が所狭しに並んでいた。
ホカホカに炊きあがった白いご飯と、アサリの味噌汁。あと豚肉と山芋をぽん酢で合わせて炒めたものに、シンプルなオクラ納豆。……白いご飯以外、全部一般的に精力がつくとされているものですね。ははは、こりゃあ健康によさそうだ。
「い、いただきまーす……」
ただ、晩ご飯を作らせておきながらそれを食べないなんて暴挙が自分で許せるはずもなく、僕は伊吹の晩ご飯をもぐもぐと食べ始めた。伊吹は、そんな僕の様子をニコニコ眉尻下げたまま見守っている。
「どうですか? 美味しいですか?」
「う、うん。美味しいよ、すごく」
実際のところ、伊吹の作ったご飯はとても美味しかった。「(色々)勉強してきました」と言うだけのことはある。豚肉と山芋の炒め物はサッパリとした風味ながらも、味はしっかり入っていて食べやすかったし、味噌汁も普段自分で作るより断然美味しかった。……なんでだろう、出汁とか味噌の量とかちゃんと考えているからなのかな……。
僕の返事に満足したのか、ホッとひと息ついては胸を撫で下ろし、伊吹も箸を手に取る。
「それはよかったです。頑張って作った甲斐がありました……」
味噌汁をひとくちすすってから、伊吹は、
「……あ、あの。こ、これからも悠乃くんに晩ご飯、作ってもいいですか?」
おどおどと控えめな様子で、申し出た。……繰り返しになるけど、こんな物言いをする子が、ついさっき僕の目の前で柔肌を露わにしました。三分の一くらい。
「伊吹が迷惑じゃなきゃ、別に……」
「迷惑だなんて、そんなっ。全然、むしろ、悠乃くんが喜んでくれるならそれで……」
「……じゃ、じゃあ、そういうことにしよっか……。食費は折半ってことで、レシートだけ取っといてくれれば、都度でもまとめてでも出すので……」
「はいっ、わかりましたっ」
そうして、伊吹が晩ご飯を作ってくれる、という約束を交わして、その日の夕飯は終わった。後片付けは僕がするから、ということになり、伊吹はすぐに自分の部屋に戻ることになったのだけど、
「……あの、その、い、言ってくだされば、わ、私はいつでも準備するので……」
玄関先でもじもじ指先をつんつんさせて、僕を誘ってくる。
「……ああ、はい。うん、わかったから、明日も学校あるんだよね、そっちの準備したほうがいいんじゃ」
「そうですね、明日は入学式なので、そうします」
「そ、そうだね。おやすみ、伊吹」
「はい、おやすみなさい、悠乃くん」
僕の幼馴染はぺこりとポニーテールの髪を揺らして頭を下げては、すぐ隣の部屋の鍵をがちゃりと開け、僕の部屋を後にした。……明日、入学式なのか。
〇
週四で入っているバイトがない平日の夜。わたしはいつものように机代わりに使っているダンボールに六法全書と参考書、大学の生協の特売のタイミングで買い込んだノートを広げて勉強に勤しんでいた。
「……昨日飲み過ぎちゃって、全然勉強しなかったし……今日は昨日の分の遅れを取り戻さなきゃ……なのに」
家に帰ってから、なかなかスムーズに勉強が進まない。ちょっと集中して参考書を読み込もうとするけど、すぐに頭にモヤモヤっとしたものが貯まっていって、ちっとも捗らない。それもこれも、
「……石原くんの幼馴染、か……」
つい最近、石原くんの隣に引っ越してきたという、松江さんが理由だ。
「……両想い、なのかな……。ううん、この間聞いたときは、好きな人いないって言ってたし……うう、でも、結婚、とか言ってたし……」
そんなことが頭を駆け巡っては消え、また沸いて出て来ては消えを繰り返している。
……わかっている、こんな気持ちになる理由は知っている。わたしだって子供じゃない。だけど、ほんの少しの勇気が出せずに、足踏みが続いてかれこれ一年ちょっと。
「……こ、こうなったら石原くん本人に聞いちゃえばいいんだ、うん、それがいいよ」
そう決心して、スマホを手に取って石原くんとのトーク画面に移るけど、なかなか文面が浮かばない。そもそも、月に一回の頻度で一緒に飲むだけの仲だし、それ以外では一切関わりを持っていないんだ。そんな女から、急に「あの子のこと気になっているの?」などと聞いて引かれないかな……。ううん、きっと引かれる。そんなの聞かれたって石原くんが困るだけだよ。
はぁ……。わたしの意気地なし。
結局、石原くんに何もラインを送ることはせず、ただひたすら悶々としたまま、ほとばしる身体の熱をひとりで弄んで、夜を明かしていた。勉強は、ほとんど手につかなかった。
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