第10話 悠乃くんのこと、気持ちよくさせてあげますね
とぼとぼとした様子で帰っていく稲穂さんの背中を見送ると、伊吹はさも当然の顔で僕の部屋に入ろうとする。
「え、伊吹? な、何かあった?」
「……何かないと悠乃くんの部屋に入ったら駄目なんですか?」
「いや……そういうつもりではないんだけど……」
「じゃあ、いいですよね?」
「……ま、まあ……うん」
伊吹はキョロキョロと僕の部屋を見回しながら、ワンルームの奥まで進んでいく。
「……そんな、見ても面白いものないよ?」
見られて困るようなものも大してないし。強がりとかではなく。
「部屋、綺麗にしているんですね。散らかっていたら、綺麗にしてあげようかなって思ったんですけど」
伊吹は少し残念そうに肩をすくめては、スカートの裾を丁寧に持って地面に座り込む。
「散らかすほどものを買わないし。……せいぜい本くらいだけど、それも最近電子書籍に切り替えているから」
「そうなんですね。……うーん、それだとやることがない……」
口元に細い人差し指を当てて考え込む素振りを見せると、伊吹は勉強机に置いてある鉛筆立てからあるものを見つけては、
「あっ、耳かきっ、耳かきとかどうですかっ、悠乃くん。耳、痒かったりしませんか?」
かれこれ半年くらい手に取った記憶がない
「……ま、まあ……最近ご無沙汰だし、掻き始めたら痒かったりするかもだけど……」
真っ白い膝を折りたたんで正座に切り替えた伊吹は、スカートに隠れた自分の両膝をポンポンと叩き、
「だったら、はいっ、どうぞ。膝使ってくださいっ」
右手で僕のことをおいでおいでと手招く。
「え、で、でもそこまでしてもらうの悪いし……自分でできるし」
「私のお母さんだってしばしばお父さんにやってあげていましたし、夫婦なら相手にやってあげるものなので、気にしなくていいですよ?」
「そ、そうは言っても……」
「……それに、胡麻さんよりもいいお嫁さんになれるっていうのをちゃんとアピールしないと、胡麻さんに悠乃くん取られちゃうかもしれないし……はい、なので、悠乃くん。どうぞっ」
「……じゃ、じゃあ……お言葉に甘えて……」
断れば断ったでまた昨日みたいに泣かれるかもしれないし、僕はそれならばと伊吹の膝の上に自分の頭を乗せて寝転がった。
「はい、それじゃあ、悠乃くんのこと、気持ちよくさせてあげますね……」
じっと僕の耳の穴を覗き込んでは、耳かき棒の先端を進めていった。
「んんっ……ど、どうですか? 痛くありませんか?」
伊吹の耳かきは、それなりに上手だった。程よい力加減で耳の皮膚をこすっていく感覚は、とても気持ちがよく、自分ひとりでするには感じることのできない時間だった。
「……ううん、大丈夫」
ただ、気持ちは十分いいのだけど、やはり膝枕という体勢だと、耳元に伊吹の囁き声が吹きこまれるということもあって、別の意味で体がぞわっとしてしまう。また、膝枕なんて小さいころに母親にされてからされたことがなく、女の子の膝ってこんなに柔らかいのか、としみじみと感じてしまったりもする。……あと、スカートだからか、目線の端に伊吹の膝、もとい太ももの一部まで覗けてしまい、罪悪感がえげつない。かといって、上を向けばそれはそれで伊吹と目が合うのでどうしようもないんだけど……。
「……よし、終わりっ。最後に耳ふーってしますね」
梵天で細かい耳垢を掃き出すと、伊吹は前髪を片手で押さえ耳元に口を近づけ「ふぅぅ」と、優しく息を吹く。ぞわあ、と生温かい感覚が走ると、思わず僕は声が漏れそうになるのを必死に堪える。
そんな僕の反応に満足したのか、伊吹は嬉しそうに頬を緩めては、
「じゃあ、次は反対の耳するので、体ひっくり返してもらっていいですか?」
変わらない調子で僕に呟く。言われるがまま、僕は頭の向きを反対にする。……すると、どんな問題が発生するかと言うと。
……目に映るものが、膝からお腹に変わるわけで。心なしか、距離感が近くなったように思える。ずっとお腹を凝視するのも申し訳ないし、目線を下に逃がすわけにはいかないし、かと言って上に逃がすと、
「…………」
遮るものがない視界が、耳掃除に勤しむ真面目な伊吹の表情を見せるのだけど、
「……すみませんね。胡麻さんほど大きくなくて」
「いっ、いやっ、僕まだ何も言って」
「……まだ成長期だもん。……これから大きくなるもん……多分」
結果として、こういう会話に至ってしまうわけ。ごめんなさいそんなつもりじゃ……。
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