第7話 そういうとこ……すひ、だよ……
「……はれー? 石原くん、この女の子、られー?」
僕の肩に寄りかかっている稲穂さんは、安定しない活舌で伊吹のことを聞いてくる。
「……え、えっと、この子がさっき言った幼馴染の──」
「松江伊吹です。いつも悠乃くんがお世話になってます」
……なんだろう、語気を強めて正妻アピールするのやめてもらっていいですか? 悠乃くんのところ、夫になっても違和感ないですよその台詞。
「それで、あなたは一体どちら様なんですか? ……悠乃くんとこんなにベッタリして」
「ふぇ……? 胡麻稲穂ってひひます、石原くんとはたまにこうしていっひょにのんでもらってまひゅ」
お互い自己紹介を済ませると、伊吹は敵対心マックスの目つきで稲穂さんのことを睨んでいるし、稲穂さんは稲穂さんで酔いつつも伊吹に興味は抱いている模様。
「もうお食事は終わったんですよね? 雨も強くなってきましたし、帰りましょう? 悠乃くんっ」
伊吹は僕の腕を引いて、アパートのある方角へと歩き出そうとするけど、
「……いやっ、でも、この状態の稲穂さんをひとりにするわけには……」
ひとりでまともに歩けないんだ。しかも雨脚も勢いを増している今、駅に放り出すのはいささか不義理だ。
「……むう、胡麻さんは悠乃くんの先輩なんですよね? いい年して、ひとりで家に帰れないのはどうかと思います」
「それは……そうだけど」
「んー、あたしはらいじょうぶだよー、かえれるかえれるー」
とてもじゃないけど、ひとりにするのは不安過ぎる。見た目は幼いけど、体は大人のそれだから、下手すればお持ち帰りされかねないし。
「ごっ、ごめん、せっかく迎えに来てくれたところ申し訳ないんだけど、僕、稲穂さん家まで送っていくから、先帰ってて」
「えっ、あっ、はっ、悠乃くんっ?」
僕は、伊吹の手を払っては、謝ってから改札口のほうへと進みだす。
「稲穂さん、帰りますよ、パスモ、取り出せますか?」
本当はどこかで酔いが醒めるのを待つつもりだったけど、伊吹は帰りたがっているし、このままだと平行線を辿ってややこしいことになりそう。稲穂さんの体を支えつつ、改札機にⅠCカードをタッチ。
「はっ、悠乃くんっっ! あっ、カード家に置きっぱなし……うう、もうっ!」
背中から、そんな叫びが雨音に混ざって聞こえたけども、心のなかで両手を合わせて、ホームへと続くエスカレーターを上っていった。
各駅停車で稲穂さんのひとり暮らし先のあるアパートの最寄り駅に移動。未だ止まない雨のなか、駅にあるコンビニにあった最後のビニール傘を差して、稲穂さんの住むアパートに向かう。
駅から三十分くらい歩いて、ようやく何度か行ったことのある先輩の家に到着。
「……稲穂さん、家着きましたよ。鍵、出せますか?」
「んんー、ほこひまったっけー」
覚束ない動きで、稲穂さんはジーンズのポケットをひとつひとつまさぐってはいるも、なかなか見つからない。……こりゃ鍵を見つけるのを待っていたら、風邪を引いてしまう。
「……ちょっと失礼しますね」
稲穂さんのリュックのポケットから鍵を見つけ出し、ギシギシと頼りない音を放つ薄い扉を開ける。
「稲穂さん。部屋、入りますよー」
僕の住む部屋よりも狭く、また壁も薄い。水回りも年季が入っていて、お世辞にもいい部屋とは言い難い。駅からも遠いし。
家具・家電も必要最低限のもしか置かれていない。テレビもないのだから、相当だろう。本棚も用意せずに、段ボールに敷き詰めて立てているのは、六法全書やポケット六法、法律関係に関する諸々の参考書や教科書など。
この部屋の様子からわかるように、稲穂さん、将来弁護士になるのを目指して、勉強をしている、いわゆる真面目な大学生なんだ。色々、ワケはあるみたいだけど。
「……布団、布団敷いて寝ないと風邪引きますよ」
春とはいえ底冷えする床に横になってしまった稲穂さんは、そのままの勢いで寝落ちてしまいそう。僕はため息とともに、部屋の片隅に畳んで置かれている布団を敷いて、一瞬怖くなるくらい軽い稲穂さんをひょいと抱えて布団に寝かせる。
「……おふとんあったかい……」
すると、稲穂さんは安らかな寝息を立て始め、すーすーと規則正しく胸を上下させ出す。
「……まあ、ここまですれば、大丈夫か」
稲穂さんに「鍵はポストに入れていきますね」とだけラインを残し、僕は部屋を後にしようとする。僕の足音を聞きつけたのか、
「……んん……いつも、らりがとう……石原くん……そういうとこ……すひ、だよ……」
と、こっちが勘違いしそうになる寝言を呟いた。
……さ、家に帰るか。
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