第3話 社会性と人間性~対立軸の発生
このシリーズにおける一つの大きな軸は、何といっても、この二つの対立です。
社会性と人間性
人間社会で生きていく上で必要な軸を2つ挙げろと言われれば、まさに、この二つでしょう。
とはいうものの、これらは本来、対立軸として扱うべきものなのだろうか?
そういう疑問が出てくるのも、確かに、もっともであろうと思われます。
正直、これを「対立軸」として私自身が認識したのは、養護施設を出て10年以上たって後のことでした。1作目で述べている山崎指導員と大槻園長のよつ葉園の園長室での初めての会話で出てくるシーンですが、このもととなる話をとある方からお聞きして、それがきっかけ。一応物語のような話はあったようですけれども、それについての詳細(実話)はここでは一切述べません。
さて、私自身はどうなのかというと、この話で出てくる大槻園長の側に立つ見方をする人物ということになっておりますが、逆に、山崎指導員ともつながりがあるという、そういう立ち位置になっております。ある人に言わせれば、おまえ、スパイやろ、なんてことにもなりそうですけど(それも両者公認の二重スパイ、となれば、単なるメッセンジャーボーイかよ~苦笑)、それは買い被りを通り越した祭り上げ過ぎというものでしょう(汗汗)。
人とのつながりを構築して社会で生き抜く力をつけるには、言うまでもなく社会性を身につけなければならない。人間としてよければとか何とか、人間性とやらを延々論じてみたところで、そんなものは時間の無駄でしかない。最低限必要な能力を身に着けることは、そのうえで最も力を入れなければならないことである。自分自身を必死で高めていく努力をしていけば、友達とか何とか、そんなものは後からついてくるものに過ぎない。独り立ちできないようで何が社会で生きていけるか。
こんなところですかね、社会性側に立つとすれば。
それでは逆に、人間性側に立つとすれば、どうか。
確かに、社会で生き抜いていくための社会性は身に着ける必要がある。しかしそれ以前の問題として、人間性を高めることが肝要である。人間としてよくないと、社会性においてもどこかで必ずほころびが出る。人間としてよければ、それで人からも好意的に見てもらえる確率が高まるのではないか。能力云々は、後からでもついてくるもの。まずは周りのみんなと仲良くやっていくことが大事ではないか。人は、ひとりでは生きていけないものではないか。
ざっとこんな感じで、それぞれの立ち位置から述べそうなことを書いてみました。
この二つの文章をそれぞれ別の紙に印刷して、時々見直して書き足していけば、結構なものになりそうな気もするね。いやマジで。
さてさて、ここで述べた2つの文章のうち、前者のような意見を持つ人たちを「社会性重視論者」、後者を「人間性重視論者」としてみます。
登場人物がこの文章で述べるどちら側なのか。どちら側であるにしても、この文章で書いたところと、その人物のもつキャラクターは、どれほどズレがあるか。
そういうところを見ていくと、おもしろいかもしれません。
逆に言えば、こちらとしてはそこからどのように登場人物間の差を表現していくかというのが、腕の見せ所というところでしょうけど、その肝心かなめの表現力の腕のほうが、ねぇ・・・(苦笑)、というわけですので、しっかり精進していかなければなりません(一応、自覚はあります。はい)。
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