第2話 弁証法的発展と逆説

 別段意識して執筆・編集したわけでもないですが、このシリーズの登場人物というのは、どうも、弁証法的発展という要素が強い気がしますな。

 もちろん、そのモデルにした人物がそういう傾向のある人ではないのかと言われれば、それは、確かに、当たっているとは思われますけどね。


 社会性と人間性


 これが、その対立構図の軸となるキーワード。

 ウルトラジャイアントキングコング級の「事件」というのも、私の単なる思い付きによる創作ではなく、当時の関係者から取材するでもなく聞かされたお話をもとにしています(ということになっています)。

 社会性を標榜することで、確かに、問題点をどんどん突破していくことができ、自分自身の身もより良いところへと進められます。その時に、人間性とか何とか、そんな眠たいことを言っておっても仕方ない。

 それこそ、寝言は寝ていえ、くだらん郷愁論を抜かすな、的な話にもなる。

 ただし、それがある地点に来た段階で、そのままではいけなくなる時が来る。

 そこで問題となるのが、人間性であるという感じですかね。

 そして、その問題とどう向き合って次の道へと進むか。


 これまさに、正反合の弁証法的な組立てが伴っておりましょうがな。

~最初意図したことと違った表現になったが、誤植のはずが、かえっていい形になった。


 第1作はまさに、そういう展開ね。

 第2作は、それを「逆説」という要素を踏まえての展開。今度は、1人ではなく、世代と立場の違う2名を並列させて組立てております。


 1作目は、1人称。

 2作目は、2人称。


 そんな感じで、主人公が設定されました。

 というわけで、3作目は、3人称。

 というつもりかと言われますと、まあ、そうでんねん。


 養護施設というのはどうしても、そこに住む子どもたちの親代わりというのが仕事として勤める「大人」のもっとも主たる仕事となるわけです。それは言うなら、第1・第2の親、つまり両親とか、強いて言えばそれに代わる親族あたりまでがそこに含まれましょうけど、そういうつながりがあるわけでもないけど、ある意味、親子的な要素のある人とのつながりというものも、世の中にはないわけじゃない、というか、いくつもあるではないですか。

 その典型例が、養護施設であると言っても過言ではないでしょう。

 もっとも、私の「作風」として、そこばかりを描くわけでもないのだけどね。


 次あたりでぼちぼち書きますけど、一連のこの作品、徐々に、プリキュアシリーズに向けたオマージュも込めております。

 そういったところにつきましても、また、こちらで述べさせていただきます。


 

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