第182話 目一杯の花を君に

 *


 こんな事を言うのは生涯、ただ君だけだ。

 俺がエリカにそう応えようと思った時だった。


「兄弟子」


 エルザの小さな、されどハッキリと聞こえる声が耳を打つ。


 何故か静まりかえっている周囲の人間の視線がエルザに集中する。


「エルザは限界です」


 殆どの人間は何を言っているのか理解出来なかっただろう。

 理解しているだろう数少ない人間、師匠がおぉと実に軽い感じで嘆く。


 俺は慌てて立ち上がる。

 産まれたての子鹿みたいにプルプルしてるが、外聞を気にしている暇は無い。


「今すぐ逃げろ! 地面が崩れるぞ!」


「ダメ押しは兄弟子の踏み込みでした」


 エルザが余計な事を言う。

 瞬間、顔を真っ赤にした辺境伯がロングダガァ!と叫ぶ。


 だが期せず辺境伯の大声が皆を動かした。

 各々が悲鳴を上げながら逃げ出す。


 人々が突然動きだして、「フンスー!」と奇妙な気合いの声を上げているエルザには、もうちょっと頑張ってもらおう。

 俺も逃げなければ。


 ……おぉう。

 俺も逃げなければと動き出そうとしたら笑えるぐらいに動けない。


 震えているのが自分の足なのか地面なのか、もう分からない、焦る。

 最悪は下水道に逆戻りか、いやこの状況で崩落に巻き込まれたら流石に死ぬか。


 いやいやマズいマズい。

 エリカが記憶する最期の俺が、崩落に巻き込まれて死んだ奴になってしまう。


 辺境伯がロングダガー必ず後で話をするからな!と怖い顔で叫びながら撤退し。

 ハゲ樽が両肩に避難住民を何人も抱えながらドタドタと走り回っている。


 師匠はエルザの襟首を掴んで待機している、限界が来たらエルザを引っ掴んで退避するつもりだ。

 シャラとルーとダリル王子も怪我をして動けない避難民を担いで逃げている。


 つまり、俺を担いで逃げてくれる人はいない。

 いや、居るには居る、エリカがいる。


 だが俺は助けを求められない。

 無理だろ、惚れた女に足がプルプルしてるので助けてくださいって頼むの。


 どんなツラをして頼めば良いのだ?

 どんなイケメンフェイス持っていてもさまにならんぞ。


 動け!動くんだ!俺の足!


「シン、どうかしましたか?」


 エリカがソワソワしながら尋ねてくる。

 今にも地面が崩れるかもしれないのだ、そりゃソワソワするだろう。


「いや、ちょっとね」


 どうにかして足を動かすが、ガニ股プルプルである。

 もうこの姿を晒してる時点で手遅れじゃないか?


 呼吸を整えて魔力の回復をしようとするものの、エリカが側に居て俺が落ち着いた呼吸が出来るわけが無く。

 それが出来るなら最初からこんな事になってない。

 膝枕された時なんか心臓が痛かったからな物理的に。


「その……逃げないのですか?」


 逃げたいんだよ、逃げたいんですよエリカさん。


「万が一の話をするのですが、その、もし魔力がキツいと言うのでありましたら、わたくし手がいておりますよ?」


 分かってる、分かってるんですエリカさん。

 言えないのです、貴方にかっこ悪い所を見せられないんです。


 震える足を一歩前に進めようとプルプルしていると、エリカが目の前に移動してきて両手をグーパーさせて、手が空いているとアピールしてくる。

 クッソ可愛いなぁオイ!


 足下からビシビシという音すら聞こえ始める。

 どうにかして、どうにかならないかと、何一つ解決しない事を考える。


 考える端にはずっと一つの考えがチラチラとよぎる。

 今更じゃね? と。


 つい先程もエリカに散々さんざん助けられたし、この身は既にエリカにお姫様抱っこまで“されて”いるのだ。

 何を今更と開き直る自分と、かっこ悪い所を見せたくない自分が拮抗する。


 よし、投げてもらおう。

 時間の無さに心の拮抗はすぐに解かれた。


 決して手が空いてるアピールのエリカが可愛かったからではない。

 投げられたら、受け身すらまともに受けられるか分からないが、崩落に巻き込まれるよりかはマシだろう。


「エリカ、その、すまないが頼みがある。ちょっと助けて欲しい」


 ちょっと俺を投げてくれないか?

 と言おうとしたらお姫様抱っこされた。


 エリカ的に手を繋ぐのは、はしたない判定だったので、てっきり何も言わなくてもぶん投げられるかと思ったら、お姫様抱っこされた。

 これで二度目である、下から見上げるエリカさんの凜々しい顔も見慣れた物である。うーん好き。


 ふとエリカの大きすぎる独り言が聞こえてくる。

 これは緊急避難、これは緊急避難、これは緊急避難。


 わさわさとエリカの手が俺の太ももあたりを触る。

 お姫様抱っこするついでに怪我の有無でも確かめてくれているのだろう。


 それは有難いのだが、脇腹をさすられるのはちょっとくすぐったい。

 広場から避難したシャラが遠くで何故か叫んでいる、何かあったのだろうか?


 あとエルザからのお前らさっさと避難しろよと言いたげな視線が痛い。


「あーエリカ? 怪我を確認してくれるのは有難いんだが、そろそろ逃げた方が良いんじゃないかな?」


 エリカは三呼吸ほど緊急避難と呟きながら俺の怪我を確認すると、ふぅと長い深呼吸をする。


「役得、いえ緊急避難です、ええ緊急避難です。そうですね、避難しましょうか、緊急避難ですし。それにしてもシン、良い脇腹ですね」


 よし、今度から脇腹が見える服にしよう。


「では」


 エリカがそう言って地面を蹴ったと同時に崩落が始まる。

 飛び上がった所でここが噴水前の広場だった事に気が付いた。


 噴水が吹っ飛んだのか。

 俺のせいではないが、全くもって俺のせいではないが、辺境伯の為に首を綺麗にしておいた方が良いかもしれない。


 エリカが軽やかな足取りで、噴水前広場に繋がっていた通りに着地する。

 通りは避難民に冒険者や騎士達、教会の人間で混雑していたが、みな崩落した広場を前に呆然ぼうぜんとしている。


 突然その人混みの中からシャラが生えてくる。


なにしてんです!?」


「役得」


「避難」


 叫ぶシャラにエリカと俺が答える。

 瞬間シャラが死んだ目をする。


「エリッち! 大丈夫!?」


 死んだ目をしたシャラの上にルーが生えてくる。


「はい、わたくしもシンも無事ですよ」


「いや、頭の話だよ?」


 あらやだ、とエリカがルーの冗談に笑顔を見せる。

 何故か同じくルーも死んだ目をする。


 それにしても周りが騒がしい。

 辺境伯が大声で騎士達に曲がり角を警戒しろと命令を飛ばしているし、ラナがハゲ樽はどこ行ったと叫んでいる。


 シャラとルーの背後では人混みに溺れたダリルが、俺も、俺もそこにと呻きながら藻掻いている、腕しか見えないが元気だろう。

 実に目茶苦茶だと思う。


 だがまぁこれが俺が今住む街なのだ。

 流石、別名冒険者の街と呼ばれるだけある、住民達は疲れた顔をしているが沈んではいない。


 タフな人達だ、思わず細くなった目で彼らを眺めてしまう。

 ふと花弁が目に入る。


 過大な魔力に晒されたせいだろうか? 本来なら白いはずの花弁は、魔力を吸った時の真っ赤な色のままになっている。

 ふむ、俺はエリカを見る。


 シャラとルーと楽しげに笑っている。

 ちなみにシャラとルーはまだ人の壁から頭だけ生えてる状態だ、迷惑だぞお前ら。


「エリカ」


「なんです?」


 俺の呼び声に彼女が振り向いてくれる。それだけで嬉しくなる自分が我ながら恥ずかしい。

 一歩エリカに近づきながら言う。


「ちょっと目を閉じてくれないか?」


 途端なぜかシャラとルーが人混みから抜け出そうと暴れ出す。両脇の人が非常に迷惑そうな顔をする。


「あの……え? シン、今“ここで”ですか?あの えぇ? その理由は分かりませんが、そうしなければならないのですか? えぇ?」


 そしてエリカは何故か顔を赤らめてオロオロしだす。


「そのえっと?えぇ?」


 珍しく歯切れの悪い声を上げながら、意を決したかのような顔をしてエリカが目を瞑る。

 予想外のエリカの反応に困る。


 てっきり、あら何を企んでいらっしゃるの? みたいな感じで目を瞑ってくれると思っていたのだ。

 なんか、胸の前で両手をギュッと握って、さぁバッチ来いみたいな決意を見せられるとは思っていなかったのだ。


 いやしかし、ここで俺が日和るわけには行かない。

 俺はエリカの肩に両手を乗せる。


 シャラとルーがワーギャーと騒ぐ、両隣の人がめっちゃ迷惑そう。あと王子が人混みから何が起きている!?と騒いでいる。

 お前ら本当に迷惑だな。


 俺はエリカの身を引き、目を瞑ったままピャっと可愛いクシャミをするエリカをクルッと回す。


「あれ?」


 エリカが何故か困惑の声を上げ、シャラとルーが助かった!?と笑顔になる。


「前にさ、花を贈るって言ったのを覚えてくれているかな?」


 エリカに問う。


「えぇ覚えていますが……その……」


 困惑しきりのエリカが目を閉じたまま首を傾げる。「本当は両手一杯の花でも贈りたかったんだけどね」

 目を開けて。


 そう俺が言うとエリカの黄金の魔力視線が彷徨うように惑うのが分かった。


「目一杯の花を君に贈るよ」


 惑っていた黄金の魔力がそれを捉える。

 噴水が吹き飛び、大量の水と一緒に撒き散らされた名も知らない花。


 その花弁は撒き散らされ、水と共に人々に張り付いている。

 一部の人間は花塗れな上に血塗れだが、危機から脱した人々は疲れた顔で、それでもなお笑顔を浮かべている。


 これを花と呼ぶのはキザ過ぎるだろうか?

 でも俺はこれを花と感じる。


 冒険者として依頼をこなした時、彼らが浮かべるなんて事のない表情、しぐさ、俺はそれを花と呼ぶに躊躇はない。


「まぁ名前も知らない花だけどね」


「あら? シンにも知らない市井の物があるのですね?」


 からかうような声。エリカがそっと俺の手を、その中指をつまむような優しさで握る。


「あれは幸せの花と言うのですよ」


 なるほどエリカは頭良いなぁ。

 俺が感心していると、シャラが「時間差ぁあ!」と叫びルーが「キッツい!この人混みで指ギュで二人の世界はキッツい!」と光の巫女にあるまじき形相で首を振っている。


 まぁいいや。俺は、目の前の花を堪能した。


***あとがき***

いつもコメント、イイね、評価など、ありがとうございます。

作者のモチベーションの源泉となっております。

今章クライマックスでこれを言うのはしのびないのですが

すいません、ちょっと連載が不定期になります。

週一は守れると思うのですが、週二回はちょっと無理そうです。


それはそうと

まぁいいやの一言で、流されてしまうシャラとルーさんのコンビは、なかなかに良いかもしれません。


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