第177話 その手に短剣を1

 *


 黒い閃光と共に噴水が吹き飛んだ瞬間。

 エリカ・ロングダガーは流石に唖然あぜんとした。


 シンが地面の空いた穴に落ちたのだ。

 だったら逆もあるだろう。


 そう思っていたらこれである。

 下から何か来るだろうと思ってはいたが、まさか噴水が吹っ飛ぶとは思っていなかった。


 自分が貴重な数瞬を無駄にしたと分かったのは、シンの師匠である“親切なバルバラ”が動きだした時だった。

 手に何かの魔法を発動させているのが見えた。


 結界魔法?

 掌に乗るほどの結界魔法で何をするのか?


 そう思った瞬間、エリカは再び唖然あぜんとした。

 バルバラが掌に作った球状の結界を握りつぶしたからである。


 そんな事が出来るのか、エリカは素直に感心し、バルバラからの「見とけよ?」と言いたげな視線に思わず頷き返した。

 自分が失った貴重な数瞬で、このままでは致命的となるであろう大量の瓦礫。


 それに向かってバルバラが握りつぶした結界を投げるのを見て、エリカは思った。

 今度真似しよう、と。


 極小のソルンツァリの秘技、エリカはそれをそう評した。


「いやぁちょっとスッキリした」


 バルバラの物騒な言葉は無視した。

 “ちょっと”で、済まして良い威力ではない。


 あれ程あった瓦礫が殆ど粉々になっている上に、爆発が起きたにも関わらず瓦礫が飛散しない。

 なんて使い勝手の良い魔法なのだろうか。


 エリカの感心は、しかして、次の瞬間には霧散した。

 身体強化のせいで狂う時間感覚の中でも、見逃す事はなかった。


 吹き上がる大量の水、その中からシンが飛び出てくる。

 姿を見た瞬間に溢れ出る多幸感に目眩を起こしそうになる。


 押し殺し続けた心配が、端的に言ってエリカから正気を奪った。

 押しつけていた力が強かった為に、それはもう勢いよくたがが吹っ飛んだ。


 シンが空から降ってくるなら、地面から飛び出してくる事もあるだろう。

 大丈夫、あの人の事だから予想の範疇だ。


 だが自分の心の高揚感は予想外だった。


「お前はここで死ね!殺す!」


 空中で叫ぶシンを見て――。

 エリカ・ロングダガーはその殺意を実に素直に受け取った。


 いっそ優しげですらあった。


 *


 ダリルを投げたせいで狙いが少しズレた。

 水を蹴って得た速度でそのまま斬りかかる。


「ちょっとは人間らしくしようか!?」


 一番人間らしくない奴に言われる。

 そして人間である俺は空中で剣を防がれた後はそのまま重力に引かれる。


 地面に引かれる俺を男が見下ろしてくる。

 ちょっと待ってろよ、すぐに戻ってくるからな。


 落下しながら男を睨み付けていると――。


「少しばかりが高いですね」


 唐突に炎に撫でられた。

 まったくだ、全くもってその通りだ。ノータイムで反射で肯定する。


「エリカ?」


 予想外のエリカの声に、思わず間抜けな問いが口を突く。

 え? どこ?


 高鳴る胸に、思わず目の前の敵から視線を外して探してしまう。

 風魔法を使って声の出所を分からなくしているのだろう、声はすれど姿が見えない。


 どこに居るのか? そう思ったのは俺だけではなかったようで、男も戸惑ったようにあたりを見回す。

 見つけたのは俺の方が早かった。


 当たり前だ、負けるわけがない。

 黄金の魔力が実に殺意が高い軌道を描く。


「這いつくばりなさい」


 空中で放たれるそれを、踏みつけるように、と表現して良い物か?

 上空から風魔法で加速したエリカが、男の顔面を“踏みつけた”のは、男がエリカを見つけて笑ったのと同時だった。


 男の体が錐揉みしながら地面に激突する。

 はい! ざまぁ!


 地面にペチャン!だ、痛いだろ? 痛かろう、ペチャン!は。

 そう思った所でエリカに手を掴まれた。


「降ろしますね?」


 はい?

 俺は返事をする間もなくエリカにぶん投げられた。


 *


 石畳に背中から着地して、後頭部が地面に激突する前に両手を頭の横についてバネにする。

 後ろに跳ねたら大惨事な予感がしたので、出来るだけ上に跳ねる。


 剣を握っていた右手の骨が折れてるが、痛みを無視して体を丸くして、勢いを回転に変えて殺す。

 エリカにぶん投げられた俺は大道芸人みたいな着地を成功させた。


 背後をこわごわ確認したら、両手を広げた姿勢のままで残念そうな顔をする師匠が居た。

 大惨事だったじゃねーか!


 冷や汗が出る間もなく、エリカが俺とほぼ同じ速度で飛んできて着地する。


「やってみれば人間は空も飛べるものですね」


 目が合った瞬間に目茶苦茶な事を言う。

 風魔法で体を押せば自由に飛べるのではないか? その発想は幾人もの馬鹿の屍で彩られている、不可能であると。


 ちなみに今も馬鹿の数は毎年積み上げられている。

 流石、名前を叫ぶだけで不可能を可能にさせる人だ、本人に不可能なぞ無いのだ。


「飛べない身としては、手でも引いて降ろして欲しかったんだけど?」


 今後のためにリクエストしておく。

 いつかのようにお姫様抱っこも悪くは無いが、人前では恥ずかしいので、手にしておこう。


 エリカの視線が一瞬、俺の手に伸びて逸らされる。


「人前で手を握るのは、その、はしたない、かと」


「なら仕方ないか」


 残念だけどお姫様抱っこか、投げられるかの二択か。

 まあ悪くない、俺は剣を構える。


「あと気が付いてると思うけど、まだアレ生きてるから」


「そうですね」


「あと、アレは君の敵だ。すまないエリカの前に立たせてしまった」


「派手なエスコートは嫌いではなくてよ」


 俺の謝罪をエリカが諧謔かいぎゃくで流してくれる。

 相変わらず優しい、好き。


 という事ですので。

 エリカが振り返る。


「アレはわたくしの物ですので、お控え願えますか?バルバラ様」


 膨れあがる魔力の気配に、背筋が凍る。

 ギョッとして振り返る。


「ズルくないか嫁ちゃん」


 不満げな師匠の顔に思わず声が出る。


「師匠からの結婚祝いという事で!」


「嫁ちゃんに謝れ馬鹿弟子」


 師匠に非常識を見る目で見られた。

 ついでに溜息まで吐かれた!


「仕方ない、嫁ちゃんがイイ女の顔してるから譲るよ」


「エリカに謝れ馬鹿師匠、エリカはいつでもイイ女だぞ」


 師匠の間違いを訂正するとエリカがしゃっくりをする。

 水に濡れて冷えているのだろうか?


 師匠の間違いを訂正したついでに、エルザに確認する。

 師匠が小声で童貞のくせに、と呟いたのは無視だ。ちくしょう後を引くなぁ童貞。


「エルザ、地面は大丈夫そうか?」


 師匠の隣でしゃがみ、両手を地面に付けて黙っているエルザに声をかける。


「鉄杭で補強してる。し続けてる。下は大分グズい、早く修理の人を呼んでくれるとエルザは嬉しいです」


 成る程、時間は無いな。


「シャラ、ルー、逃げ遅れてる住民を冒険者と協力して守ってくれ。師匠はエルザが集中出来るように守ってください」


 エルザがうへぇみたいな顔をして、師匠が仕方ないみたいな顔をし、シャラが「これ以上甘くなる前に逃げましょう」とルーの手を引いて住民の方へ走っていく。

 ルーの、あれ以上甘くなんの!?という謎の言葉を聞き流しながらエリカを見る。


 彼女の顔は実に雄弁だった。

 微笑みにも見えるその顔は、実に好戦的だ。


淑女様レディ? 一緒に踊って頂けますか?」


「喜んで」


 エリカが抜く剣は、楽器が奏でるような涼やかな音を鳴らす。

 その先はゆらりと立ち上がる男を指していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る