第171話 混沌は深く静かに潜航する4

 *


 辺境伯コムサスはエリカから逃げるように避難民の対応に出たが、それが正解であった事に感謝した。

 住民は不安を感じ疲弊していた。


 距離ではなく、恐怖に耐える事に疲弊していた。

 秩序を維持するには、それを守れば助かるのだという希望が必要なのだ。


 不安と疲弊はその希望を容易く砕く。

 そこに辺境伯である自分の顔を出せたのは偶然とはいえ幸運だった。


 自分の顔にそのような効果が無い事は重々承知している。

 辺境伯という身分の者が居るという事が重要なのだ。


 権力者が身を晒している場所は安全な場所。

 たみはそう思うものなのだ。


 教会の施術派に回復魔法をかけられている住民達の顔を見てコムサスは安堵した。

 冒険者が回復魔法の順番待ちしている怪我人に励ましの言葉をかけている姿にも満足する。


 我が街の住民共は本当に良き奴らだ。

 冒険者時代は自分も半ば彼ら側にいたのだなと懐かしく思う。


 増した責任はその場にとどまる事を自分に許さなかったが、その代わり彼らにほんの少しの安堵を与えられる権能を自分に与えてくれた。

 コムサスは怪我人に近づこうとするビバルとシャラの首根っこを掴んで、どっかいけと権能を発揮しながら今の自分に満足する。


 テキパキと働く施術派の人間、秩序を持ってこちらの指示を聞く住民、それらを見渡してからコムサスは邪魔になるからと、退散する事にした。

 付き従う執事が、何故か誇らしげな顔をしている理由は分からぬが、まぁ大人しくしているなら良いだろう。


 なのでコムサスはその言葉が聞こえてきた時は何かの間違いかと思った。

 陣中で抜剣したエリカの姿が見えた。


 今の気分なら落ち着いてエリカとも話せる。

 そう思ってロングダガーに近づいたのが間違いだったのだ。


「下から何か来ます! 噴水から離れなさい!」


 突如響き渡った大声に、コムサスは何を言っているのだロングダガー、と思った。

 理解出来なかった。


 だが次の言葉は理解できた。

 避難住民を引き連れてきた若いギルド職員の声だった。


 それはいっそ必死とも言える声だった、いや必至か?

 ともかくそのギルド職員は叫んだ。


 馬鹿野郎!

 気弱そうな見た目に似合わぬ言葉が飛んできた。


「“あの”ロングダガーが逃げろと言ってんだぞ!ボサボサすんな! さっさと逃げろ!」


 一番最初に反応したのは冒険者達だった。


「うわやべぇ」


 近くにいた冒険者の男がそう呟くと、大声と身振りで避難住民達を噴水から遠ざける。

 まだ動けぬ者を相手の文句も聞かずに冒険者が引き摺り噴水から離す。


「結界が使える奴は盾になれ!」


「マジかよ!? ロングダガーが逃げろって言ってる相手だぞ!?」


「上の口は閉じてろ!ケツから声出せ!」


 冒険者が怒鳴り声を上げながら住民の前に結界を張る。

 今はケツから声出せって言うのか、コムサスは感心した、自分の時ははらからだった。


 次ぎに反応したのは騎士達で噴水に向かって真剣な目を向ける。

 抜剣するまでに至らぬのは信じきれぬからなのか? それともザワつく住民達の不安を気にしての事なのか?


 なんだ? 何なのだ?

 コムサスは状況にまったく付いていけなかった。


 呆然ぼうぜんとしていた、と言っても良い。

 周囲からは泰然と噴水に厳しい目を向け警戒しているように見えていたが、内心では愚痴の言葉すら思いつかない程に混乱していた。


「ちくしょう! 街の外に逃げれば良かった!」


 先程叫んだギルド職員がそう言いながら自分の脇を駆け抜けていった。

 確かに、それなら魔族からもロングダガーからも離れられる。


 コムサスがそんな事を考えた時だった。

 地面が震動している事に気が付いた。


 隣で執事が腰を落とす気配がした。


「お気を付け下さい旦那様」


「そうか」


 少なくとも何か来る。

 コムサスは諦めて身体強化の強度を上げる。


 次の瞬間だった。

 腹を響かせる程になった地鳴りと共に噴水が吹っ飛んだ。


 文字通り吹っ飛んだ。

 本当に吹っ飛んだ、マジで吹っ飛んだ、粉みじんに吹っ飛んだ、我が街の貴重な財産が吹き飛んだ。


 嘘だろ馬鹿野郎。

 大量の瓦礫、それと比する程の大量の水が柱となって天を突く。


 落ちてきたら大惨事。

 そんな事を考えた瞬間だった。


 空中で爆発が起きた。

 もう意味が分からん、何一つ意味が分からん。


 だが有難い事に大量の瓦礫の大半は、起きた爆発で小さな破片となった。

 大量の水が壁となったのか、爆発で飛んでくる破片にも勢いはない。


 そしてコムサスは気が付く。

 空中にいる影に。


 魔族か?一瞬そう思うものの完璧な人の形をした影にそれを否定した。

 だがそれを追うように、まだ空中に残る水の中から飛び出た影は見間違いようが無かった。


 瓦礫と一緒に吹き上がった水がまだ空中にある、その事実にコムサスは混沌カオスの速度に戦慄した。

 見間違いようのない影は何故か脇に人を抱えていた。


 それは叫んだ。


「ハゲ樽! 馬鹿を頼んだ!」


 空中で放り投げられる脇に抱えられていた人間。

 何故お前がそこに居るのか?


 コムサスはただただ率直にそう思う。

 お前は空からビターン!で、地面の穴に消えていったのでは無かったのか?


 死んでないのは良い。

 死んでいると思う方が難しい。


 だが、出てくるにしてもそれはないだろう。

 お前は何だ、アレか?


 びっくり箱か?

 それとも陽気な馬鹿が打ち上げる花火か?


 放り投げられた人間を空中で受け止める冒険者ギルド長ハゲ樽、お前も何故いる? と思いつつもコムサスは驚けなかった。

 馬鹿シン・ロングダガーは叫んだ。


「お前はここで死ね!殺す!」


 そう言われたのは、間違いなく最初に現れた謎の人影の方だろう。

 ソイツは叫んだ。


「しつこいぞ!ロングダガー!」


 それは俺の台詞だ。

 コムサスはどこまでも追ってくる混沌を前にそう思った。


 呆然、そのまま目の前で展開される混沌に言葉を無くす。

 そして深呼吸――。


「俺はこれより冒険者に戻る」


「何故で御座いましょう?」


 かたわらに控える執事が問うてきた。


「人の首を噛み千切ろうとする辺境伯なぞさまにならんからな」


 成る程、執事は主人がロングダガーに以前告げた脅し文句を思い出して納得した。

 目の前で渦を巻く混沌カオスに辺境伯が剣を抜く。


「秩序ある者は我に続け!」


 執事は嬉々として主人の背中を追った。


***あとがき***

静かに潜航しっぱなしとは、言っていない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る