第169話 混沌は深く静かに潜航する2

 *


 冒険者ギルドは殆どの街では外縁に作られる。

 主に利便性の問題で、護衛を頼む商人との兼ね合いで概ねもっとも人の出入りが多い出入り口付近に作られる事が多い。


 ヘカタイもその例に漏れず街の南側の外縁付近にある。

 街の拡張によって今では若干内側に寄っているが、それでも街の中央を守護する二枚目の結界までは遠い。

 故に距離としては内に逃げるより、外に逃げる方が近い。


 人の動きに流されるように内側へと避難を開始したが、これは失敗だったかもしれない。

 冒険者ギルド職員のラナは周囲の冒険者に檄を飛ばしながら考える。


 結界の外は確かに危険だが、街の周辺には多数の魔物避けも設置されている。

 魔族が角に隠れているかもしれない場所を、避難民と負傷者を抱えて移動するよりかは安全だったかもしれない。


 ハゲギルド長が確保した道が二枚目へと続く道だったので、それに従ったが判断をミスったかもしれない。

 あのハゲ樽が難しい事を考えられるわけがなく、それを信じたのは愚かだったのか?


 ラナがそう後悔し始めた所で冒険者から声をかけられた。

 エッズだった。


「ラナさん、十名追加です」


 逃げ遅れていた住民がまた追加された。

 冒険者に檄を飛ばしていたらいつの間にか全体の指揮を取ることになっていた。


 年上のギルト職員も何故か素直に指揮に従ってくれている、正直意味が分からない。


「エッズ様、もう人数の報告は結構です。代わりに伝令をお願いします、中央サイドの冒険者から気合いの入ってるのを選んで5人ほど後ろに回してください」


 エッズが元気よく返事して人混みに消える。

 良い子だ。


 周囲の冒険者から文句が飛んでくる、俺らと扱いが違うじゃねーか。

 その文句に、ロングダガーを相手にしてからぬかせと返事を返しながらラナは考える。

 不味まずい、どう考えても不味い。


 完全に手持ちの札で守り切れる人数を超えている。

 冒険者の中にも怪我人が多数いる。


 それでも冒険者に逃げ遅れた住人を探させているのは、拾える者を見捨てる気にはなれなかったからだ。

 冒険者ギルドは戦う力を持たぬ弱者の為にあるのだ。


 ギルド職員も冒険者も半笑いで、そうだね、それがギルドの建前だねと肯定する程度の物だが。

 外部の者が馬鹿にしたら烈火の如く怒る。


 真顔で命をかけるには下らなく。

 疲れ切った顔で誇りをかけるには上等過ぎる。


 我が身可愛さでそれに背を向ければ自分でいられない。

 簡単な挨拶で二度と会う事が出来なくなった冒険者彼らに合わせる顔が無い。


 だからこそ、人が魔族に変わるという異常を前にしても避難する住民を受け入れ続けるのだ。

 臆するな、私はまだ疲れた顔をする程には疲れ切っていない。


 だが現実は厳しい。

 明らかに能力を超えている。


 救助と探索を同時にやりながらなので、メインストリートを進んでいるのに、既に前方には人は居ない。

 つまりは自分達が最後尾という事だ。

 怪我人を多数抱えた集団としては急ぐに急げない。


 一瞬ハゲ樽がいたら、と考えるがラナは首を横にふる。

 あのハゲ樽はハゲ樽で助け回っているだろう、そういう人間だ。


 不真面目、ちゃらんぽらん、悪い意味で適当、勤勉という概念への挑戦者。

 だがそれでもアレは冒険者だ。


 ええい、手に無い札で戦略を練るな!

 ラナはそれを弱気と断じた。


 集団の中央に陣取ったラナは考える。

 先頭はそこそこ気合いが入った奴ら、殿しんがりにも補充した。


 予備戦力として気合いと実力十分な連中を手元に置いているが、複数箇所を魔族に襲われたらたぶん支えきれない。

 馬鹿に気合いを足せば八割方はどうにかなるが、これはどうにもならない二割の方の問題だ。


 最悪は斬り捨てる覚悟が必要だ。

 出来るのか?自分に?


 街から、村から、斬り捨てられた冒険者連中の力になりたい、そう思ってギルド職員になった自分にそんな事が出来るのか?

 ラナの自問に答えが出る前に前方との連絡役をしてくれている同僚がやってきた。


「逃げ遅れを探してた冒険者からの報告だ! この先の噴水広場で辺境伯様が陣を張ってるらしい!」


 ラナは漏れそうになる笑みを堪えた。

 無理をして戦力を捜索に割り振った自分を褒め称えたい。


 建前大事! 冒険者ギルドの建前信じて良かった!

 ラナは同僚に噴水広場に向かうよう先頭に伝えてくれと頼むと大きく息を吸い込んだ。


 後方まで聞こえるように声を張る。


「喜べ! 辺境伯様直々じきじきのお出迎えがあるぞ! 気合い入れろ! ドヤ顔でお前の街の住人を守り切ってやったんだと自慢してやれ!」


 周囲から返ってくる気合いの入った馬鹿の声が心地良い。

 ラナは気が付けなかった、混沌カオスの入り口は整然として見える事がある事に。


 *


 マキコマルクロー辺境伯、コムサス・ドートウィルは概ね満足していた。

 噴水広場――、昔は下水の浄水処理の水質確認の為の施設だった――、は部隊を展開させるのに十分な広さがあった。


 コムサスはそこを中心に部隊を展開させ、救援と魔族の討伐の指揮をっていた。

 騎士達に誘導される住民達にも、恐怖はあれど秩序が維持されている。


 コムサスは実に気分が良かった。

 長年の治世の賜物である。


 年に一度の街全体でおこなう避難訓練、まさにその成果がこれである。

 集団に一定の秩序が保たれていれば多少の混沌なぞ押し流せるのだ。


 秩序! 秩序こそが至高!

 コムサスは部下からの報告を聞きながら満足げに頷く。


 だがそれでも不安な事はある。

 魔族の動きだ。


 コムサスは知識としては魔族という存在を知っていた。

 魔物とは違う存在で、死んだとしても魔石に変わる事はない。


 教会は魔族を加護無き者と呼び、その姿を見ると人は例外なく強烈な嫌悪感を抱くという。

 人が魔族になる、等という話は聞いた事も無かったが、それでもコムサスはそれ以外は大して魔物と変わらないと考えていた。


 人が魔族になるという事の真偽は別として、人を見れば襲いかかってくる魔物の一種、コムサスはそのように考えていた。

 だがそれは間違いだったようだ。


 コムサスは自分の間違いを認めなければならなかった。


「逃げ出すだと?」


 思わず問い詰めるような口調になる。


「はい」


 自分の問いに申し訳なさそうな顔をする部下に、コムサスは後で謝ろうと考えながら眉根にシワを寄せる。

 部下からの報告はこうだった、魔族は形勢の不利をさとると逃げる、と。


 人を見れば襲いかかってくる魔物と同じような物だと考えていたコムサスは驚いた。


「それは我らでは追いつけぬ程か?」


 だとしたらかなり厄介だ。


「いえ、追いつけます。ですが街中である事と、奴らは複数体いますと仲間を逃がす為に捨て駒になる個体が出てくるのです」


 返ってきた答えはもっと厄介な事実だった。

 まるで人間のようではないか? 思い浮かんだ疑問がこの魔族が元は人間だったのでは?という疑いを強くさせる。


 何を馬鹿な事を。

 コムサスはそう斬り捨てながら思考を現実に集中させる。


 まるで混乱を長引かそうとしているようではないか?

 魔族にそう言った考えがあるのか分からない。


 そも知性と呼べるような物があるなぞ聞いた事が無い。

 だが、あったとしたら?


 もし魔族に知性や、目的という物があったら?

 答えは簡単だ。


 邪魔をすれば良い。


「ビバル司教」


 ここが使い所だな。

 コムサスは決断した。


「なんでしょう?」


 名を呼ばれたビバルが一歩近づいてくる。


「教会の後詰めを使いたい」


「どうぞご随意に」


 確認はそれだけで済んだ。

 オルクラ王国であっても、王族貴族と教会との関係は同じだ。


 互いに互いを敵対視はしないものの、微妙な距離感を保っている。

 国から見れば教会は組織立っているだけに冒険者以上に危険な存在だ。


 だがヘカタイにおいてはそうではない。

 魔境の存在がそれを許さなかった。


 教会と密接に連携すれば中央から有らぬ疑いをかけられるので、おおっぴらではないものの歴代のマキコマルクロー辺境伯は教会との間に太いパイプを持ち続けてきた。

 それは二枚目の結界の内側にある孤児院だったり、他国他領と比べて充実した冒険者ギルドの図書館の蔵書という形で現れている。


 更には現司教とコムサスは昔なじみである。

 同じパーティーで少なくない死線を潜ってきたのだ、連携に問題は無かった。


 いやまぁ、死線を潜る事になったのは大体がこの司教のせいだったが。


「本陣の部隊を三分割、一部隊を残して他は教会の者と組ませて魔族ども駆逐せよ」


 コムサスは部下にそう命じる。

 それでは本陣が手薄になりすぎるのでは? 部下の目がそう語っていたがコムサスは黙殺した。


 秩序を保った数でもって圧殺する。

 それこそが事態を早期に収束させる合理的な手段だ。

 要は囲んで叩けばオッケー。


 部隊の再編成に取りかかる部下の背中を見ながらコムサスは強く思う。

 伝え聞くファルタールの騎士団ほどではないが我が騎士団も魔境の前線を預かる精鋭なのだ。


 我が騎士団の秩序を持って混沌カオスを圧殺するのだ。

 我が騎士団であればそれが可能である。


 ヘカタイは六十年前の魔物による災害により一から出直す事となった。

 それは冒険者も、そして騎士団も同じだった。


 自分が物心ついた頃から、マキコマルクローの騎士団はその立て直しに苦心していた。

 あれも足りない、これも足りない。


 それらを自分達の手で探し、磨き、研いできた。

 それを幼き時から見てきているが故に、コムサスは己の部下達が魔族ごときに遅れをとるはずがないと知っていた。


 やはり秩序!

 秩序こそが全てを解決する!


 コムサスは規律正しく動く部下を見て確信した。

 陣から出立する部下達の背中を見送る目にも余裕が出来る。


「旦那様」


 だからだ、だからこそ執事が声をかけてきた時、コムサスは嫌な予感を感じた。

 いつもだ、いつも自分が安心しきっている時に自分を驚かせるのはこいつの一言からなのだ。


 執事が下げていた斧槍を構えている事に更に嫌な予感は増す。


「なんだ?」


 出来るだけ平静に、そして静かにコムサスは尋ね返す。


「何か来ます」


 執事の簡潔な答えにコムサスは反射的に叫んだ。


「警戒せよ!」


 この執事が簡潔に言ったという事はそういう事だ。

 何というタイミングか!


 手持ちの戦力の三分の二を出した所でこれか。

 先程までとは違い、随分と数が少なくなった本陣を見てコムサスは歯がみする。


 にわかに緊張が走る噴水広場に、執事の小さな声が漏れる。


「上?」


 釣られるように上がったコムサスの視線はそれを捉えた。

 屋根の上を飛び跳ね、こちらに駆け寄ってくるエリカ・ロングダガー達の姿を。


「ぎゃあああああ!」


 辺境伯は矢のように飛んでくる混沌カオスに悲鳴を上げた。


***あとがき***

辺境伯はどんなに叫ばせても

叫ばせすぎるという事はない

『蛮族の山領』

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