第168話 混沌は深く静かに潜航する1

 *


 どうしましょう?

 エリカは増え続ける避難民の中で思った。

 あの二人がまさかあれ程使えないとは……。


 二枚目の結界に近づくにつれ、当然ながら避難する人間の数は増え。

 自由に動くことすらままならない状態になっている。


 この群衆を事故じこ無くコントロール出来ている、という事実だけで辺境伯領の騎士達の優秀さが分かる。

 おそらく普段からこういった事態を想定した訓練を積んでいるのだろう。


 流石は魔境の最前線と言うべきなのだろうか?

 それとも辺境伯の治世の賜物と言うべきか?


 いやそれにしてもこの二人、使えない。

 エリカはルーの脇に護衛として立つバルバラとエルザを見た。


 二人とも心なしかションボリした顔をしている。

 簡単な話だ、これ程までに人が密集すると流石にこの二人だと過剰すぎるのだ。


 メインストリートに合流したぐらいから二人は完全に動けなくなってしまっている。

 逆を言えば二人が無理をして動く必要がない状態になっているとも言える。


 辺境伯の騎士達は優秀で、真っ先に避難先となる第二の結界周辺とその避難路となるメインストリートの安全を全力で確保したのだろう。

 周辺に魔族の気配はなく、道の脇に立って避難する人間を誘導している騎士達の話を漏れ聞くに。


 現在は既に魔族を“外側”に追いやりつつ掃討に入っているらしい。

 結界内でどれだけの魔族が湧いたのか分からないが、事態が発生して短い時間で驚異的な手際であると言えるだろう。


「嫁ちゃん……」


 エリカが辺境伯の騎士達に感心していると、バルバラが声をかけてきた。


「私は……ホントは強いんだよ?」


 突然この人は何を言うのか?

 呆れつつもエリカは「ええ知っていますよ」と答える。


 ソルンツァリの秘技をはじかれているのだ。

 強さ、という点に置いて疑う理由は何一つない。

 むしろ意味が分からない、なんだコイツ、マジで何だ。


 バルバラの向こうからエルザが何か言いたげな目で見てきている事に気が付いて。


「貴方もですよ、エルザさん」


 とエリカは付け足す。

 満足げにフンスと鼻息を漏らすエルザを見てエリカは思わず溜息を吐きそうになる。


 こっちはシンが心配でならないのにこの二人は……。


「あーすいません、ちょっと通ります、すいませーん」


 エリカが思わず出そうになる愚痴を飲み込んでいると、目の前の人混みからシャラが生えてくる。


「おっとっと」


 すぽっと人混みから抜けたシャラがバランスを崩したたらを踏む。

 それに手を貸しながらエリカは問う。


「どうでしたか?」


 ある意味この場でもっとも過剰な戦力である詠唱魔法の使い手、シャラに前方の様子を確認しに行ってもらったのだ。


「結界入り口がそんなに大きくないので事故を防ぐ為に整理している最中でした、中に入れるようになるにはまだ時間が掛かりそうですね。今は臨時の通行路を結界に作るかどうかを考えてるそうです」


 人混みをくぐり抜けたせいで掻いた汗を手で仰ぎながらシャラが報告を続ける。


「あと辺境伯様が教会うちの人間を引き連れて前線に出張ったみたいですね。なぜか法王様も一緒だとか。騎士の人に聞けた話としてはこんな物ですね」


 シャラの報告に礼を返しながらエリカは悩む。

 訊いて良い物かと。


 逡巡は一瞬で、エリカは内心で覚悟を決める。

 正直ちょっと訊くのが怖い、怖いが状況はそれを許さない。


「ところで……貴方のお友達の“声”はあれからは何も?」


 エリカは思いきって尋ねた。


「何も言ってこないですねぇ」


 エリカの内心の覚悟とは裏腹な、実に軽い感じのシャラの答えがよりいっそう怖い。

 シャラ曰く――、困っている時とかにときおり励ましてくれる“声”との事。


 自分よりも、シンよりも、そしてエルザやバルバラよりも先に魔族の襲来に気が付けた理由。

 シャラは言った、声が教えてくれたからと。


 その正体が一体何なのか?

 エリカはちょっと怖くて尋ねる事が出来なかった。

 思ったのは、シャラがアレでもわたくし達は友達ですよ、だけだ。

 ついシャラを見る目が優しくなる。


「いやぁいつもは下らない感じの事も言ってたりするので、こんな時はもっと声をかけてくれても良いんですけどねぇ」


 シャラがそんなエリカの視線に気が付かないまま側頭部をトントンと叩く。

 その仕草がちょっと怖い。


「その……シンについては何も?」


 だがそれより怖い事がある。


「いえ、シンさんについては何も」


 シャラが申し訳なさげに答える。


「そうですか」


 そう答えつつも自然とシンの気配を探ってしまう。

 いつ頃からか出来るようになった、なんとなくシンがいる方向が分かるあの感覚。

 それがまったく働かない。


 見えないだけに嫌な想像が頭をよぎる。

 シンが死ぬとは思えない、死にそうになるのは容易に想像できるけども。


 だがそれはそれとして心配なのだ。

 だからエリカはダメ元でシャラに尋ねたのだ。


「なんだ?嫁ちゃんは弟子が心配か?」


 あまりにも軽い調子に思わず眉根に皺が寄りそうになる。


「エルザは兄弟子が見えない所でボロボロになってるのが見れないのが残念です」


 二人の言葉に唸りそうになる。

 貴方がたは逆に心配しなさすぎです、エリカは眉間を軽く揉む。


 そんなエリカを見て、バルバラとエルザに挟まれたルーが溜息をつく。

 シン君はもうちょっと優しくされるべきじゃないかなぁ。


 まったくです、わたくしの親友。


「大丈夫だよ、嫁ちゃん、大丈夫だ。アレが死ぬならそん時は嫁ちゃんの腕の中だ。その程度の道理はちゃんと弟子に教えてきたよ」


「わたくしの腕の中で死んでくれますでしょうか!?」


 思わず喰い気味で尋ね返してしまった。

 エリカは思う、自分の腕の中でシンが死ぬ、それはもう最上ではないかと。


 あの人は目を離せば理解できない場所で理解できない理由で死にそうなのだ。

 自分の腕の中で死ぬと言うのなら、下らない理由は自分が焼き払えば良い。


 目の前で死なれるのなら骨も拾いやすい。

 泣くのは拾いきった後でいい。


「エルザは兄弟子は教会の尖塔とかに貼り付けになる形で死ぬ感じを所望します」


 エルザの言葉は無視した。


「教会にそんなオブジェ要りませんよ」


 ゲンナリしたシャラの声も無視した。


「どうしよう? 私本気でシン君が不憫になってきたんだけど?」


 エリカは親友の言葉に深く同意するように頷き返した。

 当の親友がエリっちも腕の中で死ぬならみたいな顔してたよね? と思っていた事には気がつけなかった。


「ああ、いえ話がそれました」


 エリカは自分も話がそれるに乗っかった事を無視して仕切り直した。


「わたくしはシンにルーを頼まれました。第一にまずはルーの安全を確保します。シンに託された我が親友です、必ず守ります」


 はふぅん。

 ルーが変な声を出した、欠伸あくびだろうか?


「それですけど、私達って二枚目の中に入れますかね?」


 シャラが疑問を呈してくる。


「まだ居ると言うのですか?」


 エリカはそう尋ね返した後にすぐに言い直す。

 先回りしすぎる癖はなかなか抜けない。


「この群衆の中に魔族に変わる人間がまだいると、辺境伯の騎士は考えているのですね?」


「見てますからね、そう考えるのは当然じゃないですかね」


 私の感覚だと居ないと思うですけどね、とシャラが言う。

 だがそれを信じる者は騎士達の中には居ないだろう。


 バルバラとエルザの顔が、それが何か問題か?みたいな顔なのは無視した。

 どうせ、出たら倒せば良いじゃ無いかと考えているのだろう。


「最悪はここで足止め、ですか」


「よほどが無い限りは危険を取る理由は無いですからね。追加の通行路を作ろうか検討している、というのも避難民を足止めする為の理由かもしれません」


 成る程、あり得る話だ。

 エリカは考える。


 ここはある程度の安全は確保されている。

 二枚目の結界内で魔族が湧いているというのなら、結界を破ってでも孤児院に行くが、現状はそういうワケでもない。


 ここで状況が動くまで待機する、というのは実に合理的な判断だ。

 だがエリカはその考えを捨てた。


 問題はシンだ。

 エリカは孤児院までルーを届けたら、そこでバルバラとエルザに孤児院とルーの護衛を頼むつもりだった。


 如何なる対価も払うつもりだった。

 それで自分はシンを助けに行ける。


 十分に安い取引だ。

 だが二枚目の結界内にも入れないとなると話は変わる。


 流石にこの状況でシンに託されたルーを放ってシンの元に行くつもりはなかった。

 バルバラとエルザがいて、どうにかそれをくぐり抜けたとて、ルーを害する事なぞ無理だと思っていてもエリカはそれを選べない。


 自分の気持ち的にも、何よりシンに失望でもされたら生きていけない。

 ふむ。

 エリカは顎に当てていた手を離した。


「結界を無理矢理破るのは――」


「やめてください!」


 シャラが悲鳴を上げた。


「無しとして」


 シャラが安堵し、バルバラが残念そうな顔をした。

 エリカは言葉は慎重に使おうと思った。


 シャラが叫ぶのはともかく、シンの師匠様が危なすぎる。


「要はルーが誰ぞと知っている人の許可があれば、他の方々には悪いですが二枚目の結界内へと通していただけましょう」


 答えに思い至ったのかシャラが周囲の人混みを確認して、そんな事が出来るのだろうか?と首を傾げる。


「辺境伯様とご一緒されている法王猊下の元へ行きましょう」


 つまりは今から道を戻って前線で対処している辺境伯の所まで行くぞ、という事である。


「この人混みの中で行けますかね?」


 シャラの視線に無理では? という素直な疑問が浮かんでいる。

 その視線に晒されたバルバラとエルザが首を傾げる。


「大丈夫です」


 エリカは安心させるように頷く。

 誰一人、魔族がいるかもしれない場所に戻る事に反対しない事を嬉しく思いながら。


「シンの流儀にならいましょう」


 そう言ってエリカは天を指さした。


「人は飛べませんよ?」


 シャラが真顔で指摘してくる。


「屋根です、屋根」


 エリカは苦笑しながらシャラの勘違いを訂正し、横から聞こえる「なんだ飛ばないのか」というバルバラの言葉を無視した。


「嗚呼、ついに私も蛮族の仲間入りかぁ」


 さようなら文明社会、シャラがボヤキながら人混みを掻き分け進み、さっそく壁をよじ登り始める。

 相変わらず行動に移すのが早いシャラにエリカは好感を覚える。

 教会のシスターが壁をよじ登る姿はかなりシュールだったが。


 エリカはシャラに周囲の視線が集中しているのを確認すると。

 ルーの手を取って一気に屋根に飛び乗った。


 エリカさん!?

 屋根に飛び乗ったエリカにシャラから抗議の声が飛んでくる。


淑女レディですので」


 エリカはそう言って見上げる人々の視線から顔を隠して言い訳した。


「じゃあ私はなんなんです?」


 唖然としたシャラの呟きに応える者は居なかった。

 そして更に残念な事に、王子の護衛として付いてきた近衛騎士の男が、光の巫女一行の身分保証の為にヘカタイの騎士と話していた事には誰も気が付かなかった。

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