第165話 馬と鹿の蹄は固い3
*
下水道、というより地下水道を歩き初めて、道など分からないがすぐに進むべき道順は分かった。
出口の方向を示す看板が設置されていたからだ。
ちょっと辺境伯の用意周到さが怖くなる。
何を想定してこんな専門業者ぐらいしか立ち入らない場所に出口の方向を示す看板を建てたのか?
辺境伯の意図は分からないがとにかく有難い。
明かりは確保されているが、身体強化を使って走り抜けるには狭すぎて危険な為、小走り程度の速度で歩く。
急く心を出来るだけ落ち着かせる。
「シンよ」
そんな俺を背後から王子が呼ぶ。
「やはり貴様はそうなのだな」
お前は俺の何なのだ。
理解ある俺君か?
だが王子の気持ちも分かった。
急く心は強烈なストレスだ。
そんな時に目の前に話しかけられる相手がいたら俺でも話しかける。
「何がだよ?」
「ファルタールに戻るつもりは無いのだな?」
唐突な王子の確認を鼻で笑う。
「そこで疑問形な時点でどうかしてんぞ?」
王子が背後で首を傾げる気配がする。
「惚れた女を国外追放されてその選択肢が俺の頭に湧いてくると思うのか?」
しばしの沈黙。
壁に反響する足音だけが時を告げる。
「愚問であったな」
全くだ。
続く沈黙に王子が意外な事を言う。
「すまなかったな」
「何だと?」
思わず振り返る。
「エリカ・ソルンツァリがああなったのは俺とて不本意であった」
相変わらずの偉そうな顔だが、声には真剣味を感じる。
「事態に気が付いた時には既に真っ当な幕引きは不可能であった。言い訳にもならぬが予想を超えていたのだ、貴様の惚れた女の敵は相当に厄介だぞ」
思わず足が速くなりそうになる。
こいつ……、つまりこいつは。
「どこぞの糞野郎の狙いはエリカだと?」
そう言ったのか?
こいつはそう言ったのか?
宰相殿と王家の間をどうこう、とかではなく。
エリカこそが狙いであると言ったのか?
頷く気配が焦燥に火を付ける。
「王家と宰相殿との間に遺恨を作るが目的ではなく、エリカ自身が狙いだったと?」
思わず問い直してしまう。
馬鹿なのか?馬鹿なんじゃ無いのかコイツは。
何でこう唐突なのだ。
前振りぐらいしろ馬鹿野郎。
下水道に落ちる事がお前のスイッチか何かか?
ああ、下水道に落ちた。よし、ちょっとした真実でも話そうか、とでも思ったのか?
「信じられぬかもしれんが、我ら王家はあの計画には全く関与しておらん」
むしろ――、そう言う王子の声には明確な悔恨が滲んでいた。
「知った時には全てが遅かった。焚きつけた手管に用意周到さから推測するに木っ端ではないのは確かだが、尻尾すら掴めなかった」
王子の声に思わず皮肉が口をつく。
信じられなかったからではなく、信じてしまう自分を自覚したからだ。
「王子からすればエリカは邪魔だったろうに」
俺の皮肉に王子が不愉快げに鼻を鳴らす。
「惚れた女が悲しむような事なぞせん」
それに、と王子が道理を説く教師の口調で言う。
「恋の障害に燃え上がらず、邪魔だと排除しようとするような無粋な輩と一緒にしてくれるなよ我がロングダガー」
「成る程すまなかった、お前は馬鹿だったな」
俺の謝罪に「うむロングダガー」と王子が満足げに頷く。
真面目にロングダガーとはなんぞやと問い詰めたい。
「それを踏まえて再度問おう。シン、ファルタールに戻るつもりは無いか?」
今度は否定せずに視線で問い返す。
「業腹ではあるが、貴様の敵は我が臣下どもの中に潜んでおる、それも一人や二人ではない。我ら王家には王国最強の騎士団あれど、忍ばせる刃は持たぬ。短剣が必要だ、遠くまでとどく短剣が」
「建前だけじゃなかったんだな」
俺は独りごちる。
“王国の暗殺者”は王家だけでは動かせぬ暗部だ。
王家は暗部を持たない。
これは長い宮中闘争の末に王家に
てっきり建前だけの話かと思っていた。
「むろん無理強いなどせぬ。我らが調べだした相手が信じられぬと言うのなら、その時は貴様の判断で動いて貰っても構わん」
足を止めずに考える。
俺にそう持ちかけるという事は、今の話はエリカの父親である宰相殿には信じて貰えなかったのだろう。
王家と宰相殿が組めば確実ではないが“王国の暗殺者”は使える算段が立つ。
そうではなく俺を使うという事は、宰相殿は王家の話を信じなかったのだろう。
もしくは裏をとっている最中か?
まぁそれはともかくとして。
俺は王子からの提案を考える。
エリカに不幸を強いた連中を片っ端から処すのだ。
随分と気持ちいいだろう。
「断る」
だが駄目だ。
「何故かと問うても?」
そう問い返してくるがその声には分かっていたと言いたげな響きがあった。
「逆に問うが、お前は惚れた女の知らぬ場所で人知れず戦う事を選ぶのか? そんでもって倒れ伏す時に自己満足でも満たして笑って死ぬのか?」
ハッ!
傲慢な笑い声が壁に響く。
「笑止な! 惚れた女の目の前で盛大に死んでやるわ! 永劫忘れられぬ男になってやろうではないか。惚れた女を影から守る? 堂々と目の前で死ね!」
「だよなぁ!」
変な所で気が合った。
エリカの為なら血に塗れようが泥に塗れようが、まったくもって問題ない。
問題ないが、それとエリカの側から離れるのとはまた別の話だ。
単純な話、俺が嫌だ。
エリカの側を離れるくらいなら、かかる火の粉をはらって目の前で大炎上である。
いいや、もっと正直に言おう。
愛する者の為に知らぬ場所で戦うのも良いだろう、その美学も分かる。
だが俺はどうせならエリカに良いところを見せたい! 格好いい所を見せたい!
泥と血とその他諸々に塗れた俺の頭をエリカに撫でて貰いたい!
最高か!?最高じゃねーか!
エリカに格好いいって言われたいし、何なら素敵! とか言って惚れられたい、甘やかされたい。
「どうせ死ぬなら惚れた女の腕の中だろうが!」
「うむ、うむ。まことにロングダガーである」
満足げに王子が頷き。
そしてT字路を曲がったところで盛大に顔をしかめた。
二度目は吐かなかったか。
「成る程」
眉間に深い皺を作って王子が呟く。
お前も結構切り替えが早いな。
いや、突然雑談みたいなノリで追放劇の裏話を始めてるので、切り替えが早いというより何も考えてないだけだろう。
「何の忠告かと首を傾げたが、こういう事か」
それら自身が作る影がまるで一つの生き物のように蠢く。
いったい何体いるんだ?
数えようかどうか悩んでいると背後から実に偉そうな声が聞こえてくる。
「数は“足りる”か?ロングダガー」
随分と煽ってくれるもんだなクソ王子。
「丸腰でパンツ濡らしてないか? 正直に言うなら黙っててやるぞ?」
――ハッ!
「我ら王家がロングダガーの、否、俺が貴様を
俺は剣を抜く。
「
道を空けろやごらぁ!
俺達は魔族の群れに突っ込んだ。
男の恋バナを邪魔する奴は蹴り殺すぞ!
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