第163話 馬と鹿の蹄は固い1

 *


 ルーを突き飛ばした格好のまま、崩落した地面に落ちる王子に追いついた俺は思考を置き去りにする体の赴くままに王子を空中で肩に担ぐ。

 目の前を丁度良さげな大きさの岩が落ちていく。


 これだけ重そうなら空中で踏んでも飛べるのでは?

 岩に足をかけた俺は思わず舌打ちする。


 畜生そういう事か。

 俺の足首を掴む猿のような魔族の顔に、嫌悪感を感じる前に空いた足で蹴りを入れる。


 手を離さない、成る程コイツらの狙いはこれか。


 地面の下に引きずり込むのが目的だったか。


 このままでは自由を奪われたまま瓦礫と一緒に生き埋めにされる。

 焦る心がパニックを起こしそうになった所で、良く知る鉄杭が猿魔族の頭と手首を貫いた。


 *


 あっぶねぇ。

 俺は大量の土埃に塗れながら生き埋めにならなかった自分の幸運に感謝した。


 正直、かなり危なかった。

 空中で王子に追いつき担いだまでは良かったが、手頃な落ちてる岩を足場に飛ぼうかと思った所で穴の中にいた猿みたいな魔族に足を掴まれたのだ。


 魔族の狙いは穴に落ちた人間の自由を奪って一緒に生き埋めになる事だったのだろう。

 本来の目標はエリカかルーだったのだろうが、落ちてきたのは馬鹿王子と俺である。


 腹いせとしか思えない力強さで俺の足を握る魔族のせいで、このままでは本当に生き埋めになると覚悟を決めかけた。

 そうならなかったのはエルザのおかげだ。


 エルザが猿魔族を串刺しにしてくれたおかげで自由になれた。

 あと数瞬エルザからの援護が遅かったら本当に危なかった。


 崩れる周囲の土砂に追いかけられるように、落ちるというより駆け下りた。

 半ば運任せで王子をぶん投げ、運を頼りに穴の底で転がり、悪態を吐き散らかした結果。

 俺は無事に生き埋めを回避する事ができたのだ。


 地面に転がった俺は両手と両膝で自分の体を支える。

 生き埋めになりかけた恐怖から息が上がっている事を自覚する。


 深呼吸。

 地面を殴る。


 いっくらなんでも混沌カオスすぎるだろ!


 加減しろ! ちょっとで良いから加減しろ!

 何なんだよ! 俺の! 平穏な! エリカとのラブラブ結婚生活を返せ!


 ていうかもう光の巫女も師匠も帰れよ!

 俺は単にエリカと毎日一緒にお茶飲んだり、エリカが髪をかき上げる仕草にドキドキしたいだけなんだよ!


 俺のキラキラふわふわな日常を返せよ!

 意味の分からない速度で加速する混沌に心中で喚き散らす。

 落ち着ける瞬間が欲しい、切実に。


 よし、落ち着いた。

 心中で喚き散らして立ち上がりながら周囲を確認する。

 等間隔で設置された魔石灯が照らすそこは、馬車一台分程度の広さの水路と、同じ程度の広さの道で出来た地下空間。


 下水道という奴だ。

 不愉快な匂いで充満していないのは、代々の辺境伯の都市計画の賜物たまものだろう。


 魔道具で水が作り出せるおかげで、生きていく為の水源はどうにでもなるが。

 使った水は正しく処理しなければ街は荒廃する。


 ちなみにエリカが作った我が家の風呂は、エリカがそのあたりの排水関係をすっかり忘れていたせいで使用不可だ。

 流石に風呂を湧かす度に、使い終わったお湯をエリカに蒸発させてもらうワケにもいかない。


 嗚呼くそ、エリカは大丈夫だろうか?

 優しいエリカの事だから心配しているのではないかと、心配になる。


 爆笑している師匠とエルザの姿は容易に想像できるのが悲しい。

 きっとエリカとシャラはそんな師匠に腹を立てて怒ってくれるのだ。


 よし、落ち着いた上に元気でた。

 想像でもエリカの優しさは万能である。

 まずは放り投げた王子の回収だ。


 俺は背後から聞こえてくる呻き声の方へと視線を向ける。

 右腕と右脚を瓦礫に挟まれ、地面に仰向けに倒れる王子に近づく。


 偉そうな顔をした土埃塗れのイケメンが転がっている。


「シンか……」


 頭から血を流した王子が俺を見上げて言う。

 肺か喉を損傷したのか、苦しげな息だ。


「彼女は……ルーはどうなった?」


「無事にエリカに渡したよ」


 色々と言いたい事を飲み込んでそう答える。

 そうか、と苦しげに頷く王子の顔に浮かんでいるのは、自身の信頼が無駄にならなかったという満足感だろう。


 果てしなく迷惑だが。


彼奴きゃつの側であれば凍える事もあるまい」


 当然だ、エリカの側こそこの世でもっとも温かい場所だ。

 学園でエリカと敵対しまくった王子なだけあって評価も正しい。


「しがらみだらけの我が身だが」


 王子が血の混じった咳を吐きながら言う。


「惚れた女の為だけに身を投げ出す事のなんと愉快な事か」


 そう言って静かに目を閉じる。

 溜息を押し殺し、愚痴を押し殺し、百ほど思い浮かぶ罵詈雑言を押し殺す。


 俺の口から出たのは溜息だった。


「浸ってる場合か」


 王子の頭の横にしゃがみ込んでその頭をはたく。


 痛い! じゃねーよ。


「さっさと回復魔法をかけて抜け出せ、グズグズしてると腕と足が引き千切れるのも無視して無理矢理引っこ抜くぞ」


 身体強化と回復魔法が使える人間がこの程度の怪我で何をひたっているのか?

 お前、今は非常事態だぞ。


 なんでそんな信じられない、みたいな目で俺を見る。


「待て待て!シンよ!我がロングダガーよ!こういう時は、こう、手を握って気をしっかり持て!とか励ます場面ではないのか?」


 俺は無言で王子の左腕を握って引っ張る。


「痛い!凄く痛い! 違う!そうじゃない!手を握るのは合ってるが!」


 ギャアー!

 イケメンは悲鳴でも上げてろ。


 *


 流石にロングダガー過ぎるであろうが。

 そう言って王子が立ち上がる。


「お前の言うロングダガーなぞ知らん、誰ぞの為にロングダガーをやった事なんて無いからな」


 回復魔法で治療した腕をさする王子を見ながら言う。


「それもまたロングダガーよな」


 いい加減にしろよと、声が出そうになるが我慢。

 ここで反論すると余計に、おおロングダガーと喜ぶからなコイツ。


「して、シンよ。ここはどこだ?」


 そして急に真面目な顔になる。


「見ての通り、ヘカタイの下水道だよ」


 王子がスンと鼻を鳴らして、辺境伯は良き治世をおこなっているようだなと呟く。

 嫌な匂いがしない、という事は下水道までの間に浄化する機能があるという事だ。


 その分、深い場所に下水路が作られている事になる。


「地上にはどう戻る?」


 王子が視線を瓦礫の山に飛ばす。

 穴は瓦礫で埋まり、そこから出るのは難しいだろう。


 どの程度の深さに下水路が作られているか分からないが、穴を掘って地上に戻るわけにもいかない。

 掘っている最中に崩れてきたら、それこそ次は生き埋めだ。


「どこかに地上に出る為の出口があるだろうから、それを探すしかないな」


 流石に他国の下水路の地図なぞ頭に入っているわけがなく。

 出口を探して歩き回る事になるだろうが。


「まあ、そうであろうな」


 予想通りの答えだったのだろう。

 王子が素直に頷く。


「では行くか。我が愛は地上にある、地下にこられては眩しすぎる故に迎えに来いとも言えぬからな」


 言った所でお前は迎えに来て貰えないだろ。

 俺は迎えに来てくれるだろうがな!


 そう思ったものの俺は口にはしなかった。

 俺にも分別という物はあるのだ。


 代わりに俺は忠告を口にする。


「とりあえず空をもう一度見たいってんなら気合いを入れるんだな、王子」


 王子は俺の忠告に耳を傾げた。

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