第162話 ビター ベター ビターン(bitter better ビターン)3

 *


 ルー・メンフィースはその声を聞いた瞬間に、不覚にも羨ましいなと思った。

 母が娼婦だったせいだろうか?


 いまいち好きだの惚れただのを信じきれない自分だが、これは本物だと、これ以上の本物はそうは無いだろうと分からされた。

 互いの声に溢れる信頼がエグい。


 どちらも相手が自分の信頼を零すとは欠片も思っていない。

 手を握るのではなく、互いの手首を掴むかのような信頼関係が言葉だけで見えた。


 男女の愛情と言うには剣呑に過ぎる雰囲気があったが。

 エリカの声、アレは良くない、ホントに良くない。


 よろしくてよ?

 エリカがそう言って自分を抱き止める。


 本人は自分が無自覚に高い期待をかけすぎるせいか、人がすぐに離れてしまうと悩んでいたがトンデモない。

 理由はその顔だ、その笑顔だ。


 エリっちのその笑顔を向けられて、これは危ないと距離を取った貴族令嬢がどれ程いるのか知っているのだろうか?

 絶対の自信、それを凌駕する覚悟、平民風に言うなら吐いた唾は飲まねぇぞ、な顔。


 そんな顔で言うのだ、あんなにも愛おしそうに。

 エモい、エモすぎる。


 情緒エモーショナルが騎兵突撃してくる。

 今なら分かる、エリカから離れて影から見ていた同級生女子の気持ちが分かる。


 これは良くない、夫婦揃って良くないぞコイツら。

「本懐です」


 本懐かー私は本懐かー。

 ウニョウニョ笑いそうになるものの足が地面についた瞬間に正気に戻る。


 どう考えてもウニョウニョしている暇は無い。

 何せそのエリカの旦那が穴に落っこちたのだ。


 ダリル君が私を助けようとしなければ、とか色々と言いたい事はあるが、全部そんな事より、だ。

 突然の地面の崩落に反応したのか、護衛の一人である銀髪の子が空から振ってくる。


 相変わらず良く分からない子だ。

 生きている世界が違い過ぎて友達になれるイメージが湧かない。


 じっと崩落し穴が埋まった地面を見ているエリカに何と声をかけようか?

 言葉を探していると、銀髪の子――エルザがエリカにこう言った。


「兄弟子なら大丈夫、されたから引き上げられなかったけど下までは行けたと思う」


「シンなら当然ですね」


 エリカが崩落現場から目を引き剥がしながら言う。


「ルーに万が一にも当てるワケにはいかなかったので助かりました、エルザさん」


 自分には分からない会話を交わしながらエルザが埋まった穴に向かって「王子ぃい!」と叫ぶ近衛騎士の襟首を掴む。


「師匠、撤退ー撤退ー、兄弟子が無様晒したー」


 そうかー、と本気で何も心配していない声が、もう一人の護衛バルバラから返ってくる。

 貴方はシン君の師匠では? と思うがルーはあの二人は常識が違い過ぎるからと深く考える事を止める。


「うっわ、穴が埋まってんじゃん。弟子も馬鹿だなぁ空ぐらい気合いで飛べば良いのに」


 人は気合いでは空を飛べるように出来てないと思うよバルバラさん。

 ルーはエルザと同じく空から側に振ってきたバルバラを見て思う。


 ルーはシンを可哀想だと思った。


「エリカ、土砂で穴が埋まってるという事は下はスカスカですから、ちょっと離れましょう」


 怪我人を安全な場所へ移動させたシャラが近づいてきて、エリカの手を引き穴から離れる。


「んー?」


 エリカの手を握ったシャラが首を傾げている。

 そう言えばこの子も大概変な子だったな。


 ルーはシャラの仕草に妙な危機感を感じる。

 このシスターは誰よりも早く、この異常な状態を察知したのだ。


 またぞろ変な事を言い出すのではないかと警戒する。


「大丈夫ですよエリカ。シンさんがあの程度で死ぬなら既に二桁は死んでます」


 シン君そんなに死にそうになってるの?

 違う方向に変な事を言い出した事に驚く。


 そんな自分をよそにエリカがシャラに笑いかける。

 エリカがもう大丈夫だと、この手は震えていないのだと示すように手の平をヒラヒラとさせながら応える。


「そうですね」


 そうですね!?

 ルーは当たり前のように肯定するエリカにギョッとした。


「わたくしの前ですから二桁で済んでいますが、あの人は目を離すと三桁は死んでます」


 困ったものです。

 困ってんのはシン君じゃないかなぁ?


 思わず首を傾げた自分をエリっちとシャーちゃんが覗き込むように見てくる。

 どうしましたか? と視線で問われても困る。


 自分でも困惑しているのだから。

 それでもルーは二人に答えた。


「まさか自分から親友を奪った憎い男を心配する事になるなんてなーって思ってる」


 エリカが笑う。


「その言葉を聞けばシンは喜ぶでしょう」


 シン君優しい言葉に飢えてるのかな?

 いや私の言葉もそんなに優しい言葉じゃ無い。


 これで喜ぶなら普段は相当大変なのでは?


「ですが心配無用です、シンなら首から上が半分残っていれば大丈夫でしょう」


 それもう人間って言わんよ?

 ルーはそう思ったが口にはしなかった。


 偉い人っぽい騎士が移動を開始すると大声で合図しているので、人の流れに乗って歩き出す。

 エリっちってちょっとSっけあるからなぁ。


 そういう関係なのかもしれない。

 ルーはそういう事にした。

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