第160話 ビター ベター ビターン(bitter better ビターン)1

 *


 王子が盛大にゲロった瞬間だった。

 近衛だか何だかのオッサンが叫びながら王子の前に飛び込んできたかと思った瞬間に吹き飛ばされ、エリカが青黒い色の触手を五本同時に燃え上がらせ、エルザが鉄杭を雨あられと降らせた。


 俺は自分の方へと向かってきた触手を剣で叩き潰すと、視界を走らせる。

 七体。


 エルザの鉄杭で地面に縫い付けられた魔族の姿が目に入る。

 ――と、俺が突っ込もうと足に力を込めた瞬間に七体の魔族が風船のように一斉に“弾けた”。


「街中に魔族が湧くなんて、随分と面白い街だね」


 右手についた血を払いながら師匠が言う。

 屋根の上に居たはずでは? 等とは思わない。


 師匠ならそれぐらいの速度は常用の範疇だ。

 嫌になるのは、それだけの速度を出して屋根も、石畳にも、ヒビすら入っていない事だ。


「いや、人が魔族になったんだからもっと面白いと言うべきかい?」


 そういう分かりづらい諧謔かいぎゃくを見せるから人に誤解されるんですよ?

 そう言いたくなるのを我慢する。


 それどころではない。

 街中で魔族?


 俺はヘカタイに来る旅の途中で、エリカの父親である宰相殿が雇ったメルセジャが言っていた事を思い出す。

 街中で人間が魔族になるなんて事が起きれば大騒ぎでさぁ。


 ああ、その通りだよ先輩どの。

 俺は堰を切ったかのように上がる悲鳴に、騎士達の怒号と困惑を見て思う。


「何が、何が起きた?」


 汚れた口を手で拭い、浄化魔法を使いながら王子が誰に問うでもなく疑問を口にする。

 答えが返ってくるのを期待しての事ではないだろう。


「ああもう、普段は聞こえて欲しくないのに、肝心な時に聞こえづらいとか、何なんですか」


 それよりも気になる事をシャラが言う。

 俺達よりも、そして何より、師匠よりもずっと早くに気が付いたシャラだ。


 調子の悪い魔石灯にするように、自分の頭を叩く様子は恐怖一歩手前の奇妙さだが、邪魔をしてはいけない気にさせられる。

 あ――来た、シャラが遠くを見る。


「まだ沢山、いるそうです」


 誰もが何故わかる? と思ったがそれを口にする愚か者は居なかった。

 周囲の建物よりも頭二つ三つ高いせいで離れていても目立つ、通り一本向こうにある冒険者ギルドの屋根から黒い煙が大量に立ち上る。


 火事ではない、ギルドが緊急で冒険者に報せる為の狼煙のろしを上げる魔道具だ。

 冒険者なら見間違えない、ファルタールと同じなら意味は街へ魔物の侵入アリ、であり、ここまで侵入されている、だ。


 遠くからの悲鳴も、ギルドが上げる狼煙も、シャラの言葉が真実だと告げる。


「シン!」


 エリカの声に焦りを感じ取る。

 彼女の目を見た瞬間に分かった、そしてこのままだとエリカがまた走り出す事も。


 エリカの視線魔力がチラリとルーに向く事で確信に変わる。

 この目配せは、親友を頼みます、だな。


「待った!エリカちょっと待った!」


 慌てて声をかける、この状況でエリカが単独行動とか冗談じゃない。

 エリカの頼みならルーを死守する事はやぶさかではないが、エリカを一人にしよう等とは思えない。


 エリカが何故なぜわたくしを止めるのか? と非難じみた感情が滲んだ目を向けてくる。

 この状況で何を言い争ってるんだ?みたいな視線が周囲から飛んでくるのを無視して俺は言う。


 あとエリカさんのその目は俺に特効があるのでホントやめてください。


「今から俺が確かめる」


 エリカが困惑の表情を浮かべる。

 それでも何を確かめるつもりなのか?と問われない事が嬉しい。


 何を焦っているのか分かってくれていると、信じてくれている事が嬉しい。


「あと俺が“落ちてくる”から場所をけといてくれ」


 なにを――、そう言ったのは王子だったが言葉は風の音に掻き消えた。

 二重身体強化に地面に目一杯の強化。


 普段なら最大限の注意をはらう力加減をかなぐり捨てる。

 欲しいのは高さだけだ、俺は最大強度の身体強化で地面を蹴った。


 両足が地面を離れた瞬間に強度を下げる、ちょっと捻られた内蔵の回復に集中する。

 あと足首が折れた、超痛い。


 視界が凄まじい勢いで広がっていくが、逆に耳は自分の体が風を裂く音で何も聞こえない。

 風に乾く目をしばたたかせながら上を向く。


 二重結界都市ヘカタイ、その名前の通りに街を包む二重の結界。

 その外側、街全体を包む一つ目の結界、その“天井”が俺に近づいてくる。


 普通の目では薄い霞の膜のようにしか見えないが、魔力が見える俺の目には見ようと思えばハッキリ見える。

 つまりドデカい壁が迫ってくる。


 思ったより怖い。

 そう思いながら結界に手を付き勢いを殺す。


 殺しきれない勢いで頭を軽くぶつけながら、再び身体強化をぶん回す。

 あの馬面魔族にも出来たのだ、俺にやってやれないワケがない。


 俺はファルタールをエリカと一緒に旅立った初日に襲いかかってきた魔族を思い出す。

 あの馬面魔族は馬車の結界を引き千切ろうとしていた。


 だったら結界というのは“掴めるように”出来ているのだ。

 指先に感じる反発感を全力でねじ伏せる。


 食いしばる奥歯が欠ける感触を無視して眼下を確かめる。

 人間やれば出来るんだよこの野郎、見たか馬面!人間様は気合いだ気合い!


 街の中心部を囲う第二の結界が見える。

 つまり辺境伯の住む城だったり、教会だったり、金持ちとか貴族とか住んでる場所で。


 そんでもって孤児院がある場所だ。

 貴族としての矜持きょうじなのか慈悲なのか、何かは知らんが二つ目の結界の内に孤児院を置いているという時点で俺の辺境伯への好感度は爆上がりだ。


 何せ俺が惚れてる相手はソルンツァリだ。

 非常時こんな時に親友を最大戦力に預けて、単身で孤児院に駆けつけようとするような女性なのだ。


 “孤児の守護者”、ソルンツァリ家の二つ名は伊達ではない。

 パンタイルに数多あまた付く悪名とは格式が違う。

 おかげでファルタールで孤児院にチョッカイを出す連中はいない。


 それすなわち目を血走らせた大貴族とご対面だからだ。

 それを分からなかった馬鹿の墓標は貴賤きせんを問わないあたりが恐ろしい。


 バキバキに強化した目で視線を走らせまくる。

 街中の複数の箇所から黒い煙が上がっている。


 火事ではない、ギルドから出ていたのと同じ煙だ、つまりはその周辺、もしくはそこまで侵入をゆるしたという合図だ。

 よし! 煙が上がっているのは一枚目の結界までだ。


 二枚目の結界内に魔族はいない。

 孤児院のとりあえずの安全が分かった上に避難先も決定だ。


 ルーとついでに王子を連れて孤児院まで行けば良い。

 エリカも安心、俺も安心、だ。


 時間にして三呼吸、限界を迎えた指が結界を離す。

 さて、あとは生きて落ちるだけだな。


 落ちるのかぁ、嫌だなぁ。

 背中を這い上る怖気に自然と出そうになる悲鳴を押し殺す。


 身体強化を覚えて人が死ぬ理由、そのダントツの一位がこの感覚だ。

 天井に頭をぶつけて死ぬし、転けて死ぬし、なんなら首をコキっとして死ぬ。


 だが圧倒的に死ぬのがコレだ。

 力加減を間違えて高く飛びすぎて、その落下の感覚で思わず身体強化を解いてしまった奴が死ぬのだ。

 俺は時間感覚が狂わないように気を付けながら身体強化を維持する。


「おぉおおお怖ぇ!」


 我慢できずに悲鳴を上げる。

 我ながら頭がちょっとアレだと思うのだが、地面に激突する事より落ちる方が怖い。


 眼下で俺を指さしながら人払いをしてくれている師匠やルーの姿が見える。

 ここから多少着地点がズレても問題ない事を確認してから両手両足を目一杯広げる。


 所謂いわゆる大の字っていう奴だ。


 良いか? 足から真っ直ぐ地面に突っ込むより大の字でビターン!ってなった方がマシなんだ。

 コレ豆な?


 俺は大の字でビターン!された。


***あとがき***

お肉柔らかくする下処理的な。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る