第159話 元侯爵令嬢は光を照らし、短剣は輝く2

 *


「エリカさんカッケー」


 シャラが思わずといった感じでそう呟くのを、俺は唖然とする王子の隣で聞いた。

 確かにエリカが格好いい。


 何なのあの人、格好良さで世界でも征服するつもりなの?

 喜んで旗下きかに馳せ参じるよ?


 何度もエリカの名を叫び、屋根を飛び回り街中を走り回り。

 エリカが突然に立ち止まったかと思うとアレだ。


 どれだけ叫ぼうと止まる気配のしないエリカに、これはもう抱きついてでも止めるしかないのか?

 そう覚悟を決めかけていたので、殆ど屋根から落ちるのと大差ない無様な格好で着地し。


 何事かと戸惑っていると繰り広げられたのは、完全に男子お断りのキラキラ空間だった。

 あれはたぶん俺が声を挟んだだけで何かの過激派に刺されかねない気がする。


 嗚呼、それにしても終わった。

 俺の幸せは終わってしまう。


 俺は目の前で繰り広げられる絶対に男子禁制フィールドを前に、正直に言えば諦めかけていた。

 無理だと、エリカを引き留めるのは無理だと。


 ずっと目を背けていた当たり前の事実、それを突き付けられて心が折れそうになっていた。

 ルー・メンフィース、光の巫女、エリカの親友。


 彼女が隣国まで態々わざわざ足を運んだのは何故か?

 考えなくても分かる、親友を連れ戻す為だ。


 そしてエリカのあの顔。

 あの吹っ切れた顔。


 もう無理だ、エリカがあの顔をしたという事はそういう事だ。

 ルーが一言、帰ってきて欲しいと言えばエリカは頷くだろう。


 その答えが如何いかなる困難を自分に運んでこようとも、エリカはその全てを燃やし踏み砕き進むだろう。

 そういう人だ、俺の好きな人はそういう人なのだ。

 突然に走り出したのはその覚悟を決める為だったのかもしれない。

 人間って走ると考えが纏まるって言うし。


 俺は思わず口から溜息が漏れる。

 さて、どうなるだろうか?


 いやもう、大混乱だろう。

 王家も教会も貴族連中も、上から下までしっちゃかめっちゃかだ。


 王子もそれを予感して唖然としているのだろう。

 王子は確かに馬鹿だし、頭に花しか詰まっていないが、驚くことに無能ではないのだ。

 何者かに自分達の計画を利用されるという、特大のやらかしをカマしているが、無能では無い。


 兄弟子の嫁さんカッケー、と俺の背後で呟いているエルザとはその辺りは似ている、エルザの頭に何が詰まっているのかは知りたくないが。

 んーさてどうすっかなぁ。


 俺は頭を掻きながら考える。

 当然ながら俺はエリカに協力する。


 がしかし、俺はただの貧乏子爵家の次男坊だ。

 政治闘争において出る幕なぞ無い。


 自慢にならんが剣しか無い。

 となるとジェンに土下座するか?


 ジェンなら頼まなくても首を突っ込んで来そうだが、敵側に首を突っ込まれたら厄介この上ない。

 やはり土下座だ。


 ソルンツァリとパンタイル、混ぜたら危険な二家を混ぜればどうなるか?

 内乱に発展する前に王家はエリカの暗殺を決めるだろう。


 出てくるのは“王国の暗殺者”である。

 対人間特化の暗殺集団、一任務一殺、噂は聞けど姿を見ること叶わず。


 俺はむかし見た元王国の暗殺者だった老婆を思い出す。

 アレの同類と戦う事になるのかと思うと気が滅入るが、俺が出来る仕事はそれくらいだろう。


 マジかよ、魔物達の王オーガナイトを相手にする方がまだマシだぞ。

 俺が流れで自分が戦う事になるだろう化け物に唖然としていると、ルーの声で現実に引き戻された。


 俺にとってはこの生活の最後を告げる声になるだろう。


「エリッち」


 ルーがエリカから数歩離れる。

 お互いの姿が視界に収まる程の距離、人に何かを求めるには遠すぎる距離。


 何だ?

 俺はルーの声に違和感を感じる。


 ルーはいったい何の覚悟を決めたのだ?


「多分だけど、きっと私の事でエリっちに迷惑かけたんじゃないかな?」


 俺の隣で王子が鉄壁の無表情を維持している。

 光の巫女からあの言葉が出てきて、まるで関係ないと言わんばかりの顔を維持できるコイツをちょっと尊敬しそうになった。


 そんな言葉が出たものだから必然的に視線はエリカに集中する。


「そうですね」


 エリカの声に流石の王子も微かに喉を鳴らす。


「友からかけられる迷惑を迷惑と思う道理をわたくしは知りませんが。 そうと答える事で貴方が救われるのならわたくしはそうだと答えましょう」


 だがエリカは首を横に振る。

 そうでは無いのだと、言葉よりも雄弁に所作しょさで告げる。


「ルー、わたくしは今、幸せなのです」


 エリカの視線が親友の姿を余さず目に収めるように、彼女の足先から頭までなぞるように動く。

 そしてそれはルーも同じだった。


 必然互いの顔を見つめる二人は、たぶんきっと大切な何かを交換した。

 エリカが静かに微笑み、ルーがその見た目の雰囲気からは意外な程に明け透けな笑みを浮かべる。


「知ってるし!」


 親友の言葉に「あら? 知られていましたか?」とエリカが笑う。


「うん、知ってる。見たら分かっちゃったよ。 最初は責任とって我が儘言おうと思ってたんだ、責任感に自覚があるのなら権利に対しても自覚的であるべきだ、ってエリっちが教えてくれたしね」


 どれ程の能力を示そうとも、大半の貴族から結局は平民の娘として侮られていたルーがそのしたたかさを覗かせる。


「ここは一発、親友の為に我が儘権利の使いどこだなって思ってたんだぜ?」


「無駄にさせてしまいましたね。ですが良いですよルー、責任感だけ押しつけてくるようなやからなぞ轢殺れきさつしてやれば良いのです」


 不穏にすぎるなぁ。

 元光の巫女の後ろ盾だと思われていたソルンツァリの娘が言うには多分に政治的すぎる。


 普段のエリカなら、いや昔のエリカだったら人前では決して言わないだろう言葉だ。

 それは追放されてから得たエリカの一面だ。


 それを見せられたルーは嬉しそうに笑う。


「幸せになってね? エリっち」


 その言葉にエリカが笑う。

 実にソルンツァリらしい、今にも炎がこぼれ落ちそうな笑みを、黄金の魔力を撒き散らしながら。


「貴方には悪いですが、ええ、宜しくてよ? わたくしは“借りている物”でも気に入れば自分の物にしますの。 実に傲慢でありましょう?」


 エリカが、貴方の元へは戻らない、と親友に告げる。


「幸せに“して”みせましょう、寒さをしのぐ火にも、家路を照らす火にも、降りかかるやくを祓う火にも、困らぬようにしてみせましょう」


「エリっちらしいね」


 そうでありましょう?

 エリカがそう言って髪をさっとはらう。


 舞う髪は炎で出来た錦糸きんしのようだった。


 *


「それで……」


 俺の隣で王子が首を傾げる。


「どういう事なんだ?」


 コイツ……。

 分かってなかったのか?


 もしかして状況が理解できなかったから、平然な顔をしてられただけか?

 つい溜息が漏れる。


「つまりエリカは格好いいって事だよ」


 俺の百点満点の答えに王子が首を傾げる角度が深くなる。


「そう……であるか?」


「それ以外にあるか?」


 王子が腕を組み唸る。


「格好いいかは別とするが、ファルタールに帰る気は無い、というのは理解できたが……」


 俺は両手で顔を覆いながら「誇り高き少女時代の終わり……尊い!」と正気をとばしているシャラを見つつ首を横に振る。

 これだからコイツは駄目なのだ。


 顔が良くて、血筋も良いくせに肝心な所で人の心が分からないのだ。


「つまりあれはエリカの宣言だよ、自由の身になった自分をより幸せにする、だから貴方は何の心配もせずに心安んじてファルタールに帰ってくれっていうな」


 言外にお前らの尻拭いをしてやったんだぞ、と付け加える。

 通じるかは分からないが。


「俺には別の宣言に、というか惚気のろけに聞こえたのだが。 まあ茶番とはいえ夫である我が友が言うのであればそうなのだろう」


 王子バカのくせに良いことを言うではないか。

 俺はそう思いながらエリカとルーが、まるで別れの挨拶のような握手をかわす所を眺める。


 シャラが体をくの字に曲げながら「こういう! こういう爽やかな甘さ! 新感覚!」と意味の分からない奇態を晒しているが無視する。

 エリカとルーが小声で二言、三言かわしながら近づいてくる、二人ともその顔には納得感が浮かんでいる。


 なるべくしてなった。

 収まるべき所を二人で見つけた、そんな顔だ。


 女性の機微きびなぞかぜに舞う綿毛の行方と同じくらいに分からない。

 そんな俺だがエリカの顔に浮かぶ感情に、奇妙な程の安堵を感じてしまう。


 エリカとの茶番劇が終わってしまうと、つい先程まで本気で心配していた反動だろうか?

 つい漏れてしまう自分の笑みの諸元しょげんが身勝手な安堵でなければ良いのにと思う。


 ふと目が合ったエリカが、ツイっと目を逸らしたので、まぁ身勝手な笑みなのだろう。


「ダリル君」


 ルーが軽い足取り、軽い呼び方でこちらに駆け寄ってくる。


「私の我が儘に付き合って貰った所で悪いんだけど」


「かまわん、惚れた女の我が儘なぞでる物であっていとう物では無い」


 ヤダ、ちょっと王子が格好いい。


「そういう事を嘘なく言えるのは割と高得点なんだけどねぇ。さえぎるあたりがちょっと」


 うむ、そうか次は気を付けよう。

 王子が若干へこみながら反省する。


 良いように転がされてるな王子。


「私の親友がちょっと悪い男に捕まっちゃったからさ、ちょっと何とかしないと思ってたんだけど……、その必要はないみたい」


 気弱そうな雰囲気の独特な皮肉気な笑みを浮かべて俺を見てくる。

 俺は何とかしてくれと、視線だけでエリカに助けを求めたがこれも目を逸らされてしまう。


「だから悪いんだけど」


 ルーがそう言葉を続けた時だった。

 シャラが虚空を見るような目でブツブツと、良く聞こえないですと、何事なにごとかを呟きながら視線を彷徨さまよわせると、唐突に俺を見てこう言った。


「シンさん! 何か来るそうです!」


 何が来るんだ?

 疑問の前に腰に吊した剣に手が伸び、エリカが更に俺より早く剣を抜く。


 ルーはおろかエルザも、そして屋根の上で見張りに立つ師匠ですら、何だ? と疑問を浮かべている。

 いつの間にか街中に配置されていた騎士の何人かが、街中で剣を抜いたエリカを見て顔色を変える。


 五を数える程の沈黙。

 王子が痺れを切らして口を開いた。


「いったいそのシスターは何を」


 そう言って王子は吐いた。

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