第156話 短剣は短く、光は刺す、そして炎は走る7~辺境伯の胃痛を添えて~

 *


 ノックにどうぞと応えたマキコマルクロー辺境伯コムサス・ドートウィルは、焦るように開かれたドアに嫌な予感を覚えた。

 作りかけだった光の巫女・ロングダガー対策対応表を汚さぬようにとペンを置き、机の脇に避ける。


「旦那様」


 ドアを開けた三つ年上の執事――冒険者時代には頼りになる戦士だった――らしからぬいた気配に嫌な予感がいやます。


「件の冒険者の夫の方が、妻の名前を大声で叫びながら妻を追いかけ街中を走り回っています」


 何だよそれ!

 コムサスは思わず机に拳を打ち付けた。

 せめて光の巫女が関係しているような事をしろ!


 先程まで作っていた光の巫女・ロングダガー対策対応表にそんな項目は無い。

 まさかこれ以上は無いと思えた、結界に対する攻撃以上の事が起こるとは思わなかった。自分の想像力が恨めしい。


 老いによる想像力の低下だろうか?

 いやアイツらが人の想像力を軽く超えすぎなのだ。

 ああ、いや待て。

 馬鹿が走り回る等というのは特段珍しい話ではない、迷惑な話ではあるが。


 つまり対策を想定する程の事ではないから、自分は対応表にロングダガー(夫)が妻の名前を叫びながら走り回る際の対応を書かなかったのだ。


「詳しく話してくれ」


 執事が出来るだけ主人を落ち着かせようとするように静かに頷き返す。


「夫は屋根の上を、妻の方は身体強化を使って人混みを走り回っているようです」


 大惨事じゃねーか!

 大! 惨! 事! じゃねーか!

 コムサスは思わず机を三度叩いた。


「被害は!?」


 とりあえずの怒りを机に預けてコムサスは執事に問う。

 いやもう、必ず落とし前は付けさせるが、まずは被害状況の確認である。


「それが今のところは被害の報告は上がってきておりません。うるさいとの苦情が数件だけです」


「もうなんなのあの二人」


 付き合いの長い年上の執事は肩を竦めて主人の疑問を無視した。

 お前、昔からそういうトコあるよな?


「おそらくですが……」


 なんだ答えてくれるのか。

 コムサスは執事の答えを待った。


「痴話喧嘩かと」


「犬にも見放されたか」


 食べてくれませんからねぇ。

 そう答える執事にコムサスは頭を抱えた。


 いやもう意味がわかんねぇよ。

 アイツらは俺に恨みでもあるのか?


 俺ってかなり寛大に扱ってるよね?

 普通は結界にあんな魔法をぶっ放した時点で問答無用だよ?


 目立たないように大人しくするって選択肢を持たないの?

 死刑にしようとした教会のトップが同じ街にいるんだよ?


 頭を抱えながらひとしきりぼやいたコムサスは、深呼吸を一つ済ませて顔を上げる。

 執事の、はい良くできましたと言いたげな顔が腹立つ。


手透てすきの騎士達を派遣しろ」


 執事が何か言いたげな顔をする前に時間を確認する。


「巡回から戻ってきた連中も使え」


 丁度、街道の定期的な巡回任務から騎士達が戻ってくる頃である。

 部下達には苦労を強いるが走り回っているのがあの二人である。


 ゴールデンオーガ三体を無傷で倒し、指定討伐対象だったフォレストドラゴンを倒し、更には黒化した竜を実質的に単騎で討伐するような人間だ。

 ……おい本当に人間か?


 何が起こるか分からない以上は出し惜しみは悪手だ。

 またも執事が何か言いたげな顔をする前にコムサスは言葉を続ける。


「街の警邏けいら任務に当たっている連中はそのままで良い、馬鹿にかかりきりになって自分が馬鹿を晒すのは我慢ならん。対応は魔物が結界内に侵入した際のマニュアルを流用するよう伝えろ、それで事足りる」


 まだそっち魔物の方がマシかもしれない可能性がチラリと頭をかすめる。

 それを無視して、今度こそ何か言いたげな顔でこちらの言葉を待つ執事に言う。


「急がせろ、以上」


 満足げな笑みを浮かべた年上の執事が頭を下げて退室する。

 お前ほんとそういう所なんだよなぁホント。


 冒険者時代に魔物を殴り殺すどこぞの頭のオカシイ神父と共に、自分の胃壁を虐め倒した年上の執事の背中を見送ってコムサスは胃をさする。

 常識人みたいな顔をして正解を知っている癖に黙って悪ノリする奴が一番たちが悪い。


 何が、ああご存じかと思いまして、だ。

 ご存じだったら止めとるわ!


 昔なじみの問題児二人への愚痴をこぼす事で逃避を試みていたコムサスは、溜息をついて現実に向き合う事にする。

 とりあえずは光の巫女ロングダガー対策対応表に、夫が妻の名前を叫びながら街中を走り回る際の対応を書く事から始めよう。


 コムサスは耳を澄ませば妻の名を叫ぶロングダガーの声が聞こえるのではないかと、鼻歌で誤魔化しながらペンを手にとった。


***あとがき***

いつもコメント良いね、ありがとうございます。

ストックの手直しとかしてたら主人公が苦労するのが割と先になるのが分かって

凹んでいる作者です。

前話のコメント欄を読んで、今回の話を投稿するのが怖かったのは内緒です。

すいません、素直な作者じゃなくて。

謝罪のついで、ではないのですが、年度末を乗り切れそうなので週二回更新に戻りたいと思います。

週二回が無理でも、週一更新は必ず守りたいと思っておりますので気長に待って頂ければと思います。

では最後に作者の言い訳を聞いてください。

だって犬にも見放されたと嘆く辺境伯が思いついたら面白かったんだもの、仕方ないじゃない。

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