第154話 短剣は短く、光は刺す、そして炎は走る5

 *


 光の巫女ルーのリクエストは、観光というよりもまるでこの街でのエリカの生活を辿るような物だった。

 エリカの好きな焼き菓子屋、エリカの好きな飯屋、エリカの好きな茶を出す店。


 エリカとこの街で生活を始めて半年にも満たないが、それでも二人で通い慣れた道。

 それらをルーと王子を連れて、いつもの生活をなぞるように歩く。


 師匠とエルザという特大の異物はいるものの、エリカとルーはまるでずっとこの街に住んでいたかのように自然に歩き笑う。

 二人の会話にときおり驚くシャラにしても、まるで自然でずっと一緒にいたかのようだ。


 昨日は光の巫女の前だとガチガチだった癖にと思うが、シャラにはそういう所がある。

 ホントそういう所は尊敬する。


 どうやったら巫女様と呼んでいた人間が、一日でシャーちゃん、ルーちゃんと呼び合える仲になるのか?

 陽キャのそういう距離の詰め方ほんと怖い。


 いやしかし、ルーがこの街に来てからどうにも遠い。

 俺は溜息を奥歯で噛み殺す。

 エリカが遠い、遠すぎる。


 言い訳をダラダラと並べて贅沢だ望みすぎだ、今以上を望むなと、自分に言い聞かせる事を止めた俺は素直に思う。

 エリカが遠いのだと。


 しかもエリカに距離を取られているような気がするのだ。

 あからさまに避けられているわけではなく、こう何というか遊ぶ気分じゃない猫に距離を取られている時のような感じなのだ。


 ちょっと相手してくれたと思ったら、気が付いたら遠くにいる、そんな感じだ。

 つい先程もエリカと二人で光の巫女の相手をしていたら、なんかこうすぅっと光の巫女の手を取って俺から離れていったのだ。


 ふと恐ろしい考えが浮かぶ。


「まさかこれが倦怠期?」


「なんか疲れてんの?」


 俺が恐ろしい可能性に恐れおののいていると、横から声がかかる。


「なんだ、巫女様か」


 俺の言葉に何故か光の巫女、ルー・メンフィースが下がった眉尻を更に下げる。


「巫女様はやめよーぜーシン君。せめてルーちゃんとかさー」


 陰キャにちゃん付けしろは自殺の強要と同義だぞ。


「百歩譲ってメン蔵だな」


「私譲りすぎて崖下なんですけど?」


 それじゃあ巫女様で我慢しろ。

 そう答えつつエリカを探す。


 ルーがエリカの側から離れている事に疑問を持ったからだが、成る程そういう事か。

 俺は焼き菓子屋の前で王子と睨み合っているエリカの姿を見つけて納得する。


 どの焼き菓子を買うかで言い争っているか、もしくはこんな物を光の巫女に食わせる気か、とかそんな感じだろう。

 ちなみにシャラは服の上から自分の腹の肉をつまんで悩んでいる、何してんだアイツ。


「シン君ちょっと女の子に冷たくない?」


「嫁以外に優しくしない事にしてるんだよ」


 光の巫女が初日の挨拶の時に見せた目をする。

 悪意はなく、敵意もない、こちらを観察するような、井戸の暗闇を見透かそうとするような目。


「んー。何だろう? 私の目も曇ったのかなぁ?」


 何がだ? と視線だけで問い返す。


「嘘ついてるように見えないんだよねぇ」


「嘘ついてないからな」


 そう言えばコイツには悪い男だと思われているんだったな。

 否定したいが、確かにそれは否定しきれない真実を含んでいる。


 俺はエリカの窮状につけ込んで一年一緒にいさせてくれと頼んだのだから。

 エリカの父である宰相殿からの頼みである、というのは言い訳にもならない。


 学園でずっと自分を見てた陰キャからの願いをエリカがどのような思いで受け入れたのか?

 エリカであるならば、どんな男であろうと気にくわなければ指一本どころか、同じ空気を吸うのですら難しいだろう。


 だがそれはそれとして、単純にそんな陰キャからの願いを告げられるのは怖かったのではないか?

 降って湧いた幸運に舞い上がり茹で上がっていた過去の自分を今更だが深く反省する。


 まぁそれはそれとして、今はエリカに好きになってもらえるよう努力するけどね。

 指輪は贈れた、次は花だな花。


「んー、昨日は凄く童貞ぽかったのになぁ」


 天下の往来で童貞を泣かす気か?


「今日は倦怠期の奥さんの気を惹こうとする旦那さんみたい」


 やっぱり倦怠期なんだろうか?

 いや待て、茶番劇の夫婦に倦怠期って来るんだろうか?


「ハッハッハ、倦怠期だなんてそんなまさか。ラブラブだな、ラブラブ」


 とりあえず否定する。

 嘘ではない、ラブラブなのは俺だけだが嘘では無い。


 一人で二倍愛せばラブラブだ。


「それは嘘じゃ無いけど嘘だね」


 光の巫女がくるりと身体を回転させながら俺の真正面に回る。


「私って色街の産まれなせいか、そういうの分かるんだよね。嘘じゃ無いけど真実じゃないよね?」


 彼女の言葉で光の巫女が色街の出身だという噂が本当だったと分かった。

 あまり外聞の良い話ではない上に、光の巫女になった時点で元が浮浪者だろうが関係ない。


 おそらく大量殺人鬼であっても関係ないだろう。

 そも俺からするとエリカと友人になれるというだけで、その身の内が善良な人間であるという事に確信が持てる。


「ママが娼婦だったせいかなぁ。男の人の嘘って良く分かるんだよね」


「そいつは便利だな」


 正直かなり羨ましい能力だ。

 冒険者をやっていると、こちらを脳筋の馬鹿だと良いように利用しようとする人間とも良く会う。


 俺の場合は主にパンタイルだったが、世の冒険者を騙そうとするのはパンタイルだけではないのだ。

 俺は“俺を騙そうとする方”のパンタイルの顔を思い浮かべる。


 あっちのパンタイルも元気だろうか? 死んでくれていてもいっこうに構わんが。


「んー、やっぱりその余裕は童貞っぽくないなぁ」


 意外と曖昧なんだな童貞判定。


「昨日の微笑みはかなり童貞ぽかったのになぁ」


 エグッチー君、我らの紳士力は女性の前では無力であったようだ。


「そんなに俺の貞操ていそうが気になるのか?」


 思わずそう問うた俺にルーは大きく頷く。


「当然っしょ。私の親友の事だよ?君が悪い男だったら許せないね」


 俺に向けられた目を見て、その声音を聞いて、俺は一瞬で理解した。

 強い意志は彼女から立ち上る魔力を強く瞬かせ、白昼であってもその存在を主張する。


 嗚呼ああ、同じなのだ、彼女も俺と同じなのだ。

 答えがに落ちる。エリカだ、エリカしかいないのだ。


 自分の中の、酷く湿った部分が乾くのだ。

 貴方の側にいる時だけ、貴方が私を見てくれている時だけ。


 声を聞けるだけで、その笑顔を見れるだけで。

 その足音が聞こえる距離にいられるだけで。

 目を背けたくなる程に柔らかく湿った部分が乾くのだ。


 きっと俺とルーとでは本質は違う。

 俺が己の劣等感からエリカに憧れを抱いたのとは違い、彼女の場合はエリカ以外に自分に並び立てる者が見つからないという孤独感からなのだろう。


 だが同じだ。

 エリカだ、エリカだけなのだ。


「まいったな」


 急に理解できてしまった戸惑いに頭を掻く。

 俺の反応に光の巫女が首を傾げる。


 俺と良く似た俺とはまったく違う俺。

 エリカと友達になれた俺。

 

「裏切れないなって事だよ」


 光の巫女、ルーの希望。

 親友がただ幸せであって欲しいという願い。


 それは俺の願いそのものだ。

 故に彼女の願いを裏切るのは俺を裏切るのと同義だ。


 酷く単純な結論に心中で笑いそうになる。

 簡単な話だ、俺はルーと友達になれる。


「今更だが――」


 俺と友達になってくれないか?

 学園で、教室で、花壇の側で、彼女たちが語らうその姿を見て、大貴族の連中がついぞ言えなかった言葉。


 そして自分が彼女に話しかけるなんてと俺が飲み込み続けた言葉。

 自分の過去の臆病さを笑う。


 俺は今それを言う。

 俺と――。


「そう……ですよね」


 握手を求めようと差し出そうとした手と言葉は、耳を撫でる声に行き場を無くす。

 ひどく悲しげな声に、それだけで喉が締め付けられる。


 頭の中が真っ白になる。

 エリカが俺を見ている。

 飲み込みきれないと、今にも零れそうな感情を瞳にたたえて。


 頭がまったく働かない。

 何かを言わなければ、そう思うが喉は動かない。


 ジェンに鍛えられた皮肉も、師匠のような無茶を通す道理も、強敵に立ち向かう時に自分を奮い立たせる為に吐く言葉も、何も出てこなかった。

 焦りだけが募る。エリカが悲しそうな顔で俺を見ている。


 俺とルーの分だろうか?

 焼き菓子を二つ手に持ったままのエリカが言葉を探すように唇を浅く開けては閉じる。


 手に持った焼き菓子がそれぞれ違う種類である事に気が付く。

 一つは歯触りがザックリとした固めの焼き菓子で、俺が好きだと以前に言ったやつだ。


 覚えていてくれたのかと、場違いな嬉しさを感じる自分が少し理解できない。

 エリカが目の前で悲しげな顔をして俺を見ているのにそんな事に喜びを感じてる暇なんてない。


 何か言わなければ致命的な程に間違える。

 その予感だけに急かされるように、エリカに一歩近づこうとした。


「エリッち?」


 だが俺から声が出る事はなく、俺と同じくエリカの様子に呆然としていたルーが先に口を開いた。

 ルーのその声は心底から友人を心配するそれであり、それだけで彼女にとってエリカがどれ程大事な人なのか分かる。


嗚呼ああ


 耳を打ったのは現実感の無い声だった。

 まるで泣き出す寸前の幼い迷い子が漏らした溜息のようだった。


 それがエリカの口から出た事が信じられない。

 衝動的に体が動き出しそうになる。


 とにかく良く分からないが、その後にどうなろうと、例え首を刎ねられようとも、蛇蝎だかつのように嫌われようとも。

 今すぐ彼女を抱きしめたい。


「ごめんなさい!」


 だが踏み出した一歩はその一言で地面に縫い付けられ、腕は空ぶる。

 俺の腕はいつも短い。

 エリカが背を向けて走り去る。


 体がどうしようもなく動かない。

 戸惑いよりも絶望感がまさる。


 何をすべきなのか? 何をしたいのか?

 竜の顎を目の前にしても、ゴチャゴチャと色々と考え続ける頭が何一つ働かない。

 膝から下が泥に埋まったかのように重い。


 俺はどうすれば?

 その疑問の答えはすぐに与えられた。


「シン君?」


 ルーが笑顔で俺の肩に手を乗せる。


「何したし!?」


 そう問う声と共にルーの拳が俺の腹を抉る。

 何すんの!?あと俺にも分からんわ!


 お前……人間を殴ってドゥンって音を鳴らすのは駄目だぞ、ホント駄目。

 俺は体をくの字に曲げて痛みに耐える。


「シンさん!」


 悲鳴に近いシャラの声。

 そりゃそうだよな、そうなるよな。


 教会自分とこの巫女様が突然のご乱心だ。

 そりゃ悲鳴じみた声も出るだろうさ。


「何してるんですか!?」


 それは俺の台詞だ。

 シャラの輝く膝シャイニングニーが正確に俺の額を打ち抜く。


 ボディで頭を下げさせた所を膝で額を打ち抜く。

 何のコンビネーションだ?


 教会直伝の必殺コンボか?

 殺意たけぇな教会。


 俺は「兄弟子ぃ」というエルザの気の抜けた声と共に飛んできた鉄杭を右手で掴みながら体勢を整える。

 エルザさん、初手で首は止めなさい首は。

 師匠が腹を抱えて爆笑してるのが有難ありがたすぎて涙が出る。


 いやぁ、うん。

 笑える事に答えは一瞬で出た。


 追いかける以外にあるわけがない。

 ルーは何をグズグズしているのかと目で語っているし、シャラは「早く!街が燃える!」と錯乱しているが、実に正しい。


「ちょっと追いかけてくる」


 俺はそれだけ言うと走り出した。

 背中に王子の「シン!?」という声が掛けられるが無視する。


 俺の名を心配して呼んだのが王子だけという悲しい現実は、まじまじと見るには辛すぎだ。



***あとがき***

やっと走ってくれた。

今章はシンとエリカが忙しく冒険者として働くエピソードとか

削りに削りまくったのに、この進行速度である。

長らく主人公の内臓が無傷なのが作者的には不満です。

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