第150話 短剣は短く、光は刺す、そして炎は走る1

***まえがき***

 この話数では、ジェニファーリン・パンタイルというキャラクターの名前が出てきます。 

 何度か本編でもチラチラと名前を出していますが、誰やねん、となった方は短編を読んで頂ければと思います。


 以下、短編読みに戻るの面倒だよって人用

 ジェニファーリン・パンタイル、シンとエリカと同郷、ファルタールの貴族、パンタイル男爵家の娘。

 シンのファルタール王国での学園の友人で、シンが学園に通いながら冒険者をやっていたと知っている数少ない人物。

 金儲けと投資と浪費の天才であり、鑑定スキルという珍しいスキルの持ち主。

 パンタイルの中のパンタイル、百年に一度のパンタイル

 敵と味方は数多かれど、友達の数はさっぱり少ない人。

 シンいわく、難儀な一族。

 シンとの間にあるのはブロマンス。

 

 *


 地獄のような一日だったと思う。

 光の巫女は会えない日々を今日一日で取り戻すのだと言わんばかりにエリカを片時も離さず。


 王子は王子でそんな巫女を眺めては気持ち悪い笑みを浮かべていた。

 俺の隣で。


 そう、俺の隣でだ。

 イケメン陽キャのお前はあの輪に入ってこいよ、俺の輪に入ってくんな。


 お前が隣にいると自動的に鎧のオッサンまで付いてくるんだよ。

 何度そう言おうと思った事か。


 だが俺は我慢した。

 俺の隣と背後に師匠とエルザがいたからだ。


 正直この状況で王子に向こうの輪に行かれていたら、俺は詰んでいただろう。

 全て正直に書いた手紙を出しているにも関わらず、申し開く事など無いのに、申し開きをさせられるのだ。


 何を言っているのか自分でも分からないが、師匠はそういう人だ。

 そして申し開いた所から何かをこじ開けて、なんかこうはた迷惑な親切心が飛び出してくるのだ。


 “親切なバルバラ”とは、人類に容易く人の親切に頼ってはいけないと警告する為に存在しているのだ。

 師匠に冗談でリンゴを買ってきてくれと頼んだ男は、今は遠い国で近衛隊長をやっている。


 意味が分からないだろ?

 それが師匠なのだ。


 俺は師匠の理不尽っぷりを思いながら、早朝の庭先で剣を振る。

 ちょっとした欠陥により使えないエリカ作の風呂を傷つけない様に端によってひたすらに剣を振り下ろす。

 天才でも何でも無い俺の日課だ。


 反復を経て鍛えられた動きは決して裏切らない。

 騎士団剣術に師匠から教えてもらった南方由来の剣術、それに冒険者としての実戦まで混ざってしまい、俺の剣は完全に我流になってしまっている。


 実は割と気に入っていたりする。

 騎士団剣術にしろ南方の剣術にしても、多少の魔法が使えるのが前提なので、どうやっても魔法が使えない俺とは合わない部分がある。


 俺のように完全に剣しか使えない、というのは冒険者まで含めても珍しいだろう。

 つまる所、俺の剣とは、他にいないのだから仕方が無い、で出来ている。


 要らない部分を削り、足らない部分を足し、それらをどうにか形にする為に反復を繰り返すのだ。

 それが俺の合理に至るまで。


 そう反復こそが合理へと至る道なのだ。


 *


 反復こそが我を合理へと導くのだ。

 反復こそ、反復こそが。


 地獄のような一日をなんとかしのいだ俺は朝の台所でお茶を煎れる準備をしながら心中で繰り返す。

 馬鹿みたいな話だが、人間とはやらなければならない事を繰り返し口にするか、考えるとやれるようになるのだ。


 俺の脳裏に浮かぶのは実家の親父殿だ。

 俺が知っているなかで一度として欠かさなかった親父殿の朝の挨拶。


 アレをやるのだ、俺は。

 俺は親父殿の朝の挨拶のパターンを思い起こす。


 やあハニー、今日も綺麗だね。

 おはよう我が愛、朝から君の笑顔は少し眩しすぎるよ。


 おはよう私のバラ、君がいるせいで王都の花屋は花が売れないと嘆いているよ。

 おはよう、おはよう、おはよう。


 親父殿の朝の挨拶、もちろん相手は母だが、それを思い出しながら良くもまぁ朝一からこんな言葉を恥ずかしげも無く言えたもんだなと感心する。

 さすが親父殿である。


 毎朝繰り返されるそれは、必ず母の美しさを褒める言葉で締めくくられる。

 儀式めいていたが、そこには確かに反復による合理が存在した。


 何せ、何かしらの事情で親父殿からの朝の挨拶が無いと母の機嫌がすこぶる悪くなるのだ。

 何が悲しくて朝一から親父殿が母の美しさを褒め称える挨拶が聞けるようにと祈らなければならないのか?


 地獄か?

 だが、地獄にこそ真理はあるのだ。


 俺は湯が沸くのを待ちながら頭の中で何度も繰り返す。

 おはようエリカ、今日も君は美しいね。おはようエリカ、今日も君は美しいね。


 噛みそうな部分は無い。

 よし、大丈夫だ。


 俺は微かに動く空気を感じながら最後のチェックを終わらせる。

 俺と違って育ちの良さを感じさせる静かな動き。


 微かに鳴るドアの蝶番、床板の軋みすら気品があるように感じる。


「おはようございます、シン」


 朝のまだ低い声が耳朶じだを打つ。

 両手に自分のカップとエリカのカップを持ち、万全の準備を整えて俺は振り返る。


 おは――、いやホンット綺麗だなエリカ、朝から我が家で太陽が謹賀新年だぞ。

 まだ手櫛で整えられただけの髪の“ほつれ”ですら美しい。


 美しいねと言おうとした相手が本当に美しいので言葉を無くす、という馬鹿を晒している俺の沈黙にエリカが不審げな顔をする。

 いかん、これでは不審者である。

 

「おはようエリカ、今日も君は美しいね」


 はい!言えた! 言えました!

 シンさん言えました、噛まずに言えました。


 嫁(仮)に綺麗だねと言っただけでドヤ顔するワケにはいかないので、表情は平静をつとめる。

 あとなんか平然と褒めた方が格好いいと思う、自然に嫁を褒められる俺格好いい。


 ドヤ顔にならないように俺が気を付けていると、エリカから深い呼吸の音が聞こえてくる。

 鼻から深く息を吸い込み、ゆっくりと息を吐き出す。


 下半身は何時もの冒険者装備、ただし脛当ては家の中では付けない。

 上半身はインナーシャツのみの身軽な姿。


 そんな何時もの朝の格好をしたエリカは、深い深い呼吸を二度三度繰り返すと俺にこう言った。


「それは……どういった意味です?」


 意味? 世の夫は妻を褒めるのに理由が要るのだろうか?

 もしくは何か記念日じゃないと褒めてはいけない、というような決まりでもあるのか?


 親父殿は毎日褒めてたからそれはないか、と思ったがあの二人なら毎日が何かの記念日だったとしても不思議じゃない。

 俺は参考にならない両親の事を頭の隅に追いやって考える。


 俺の長い沈黙にエリカが何故か不安げな表情を浮かべる。

 いかん、すぐに答えないと。


「練習……だな」


 焦った俺はつい正直に答えてしまう。

 正確にはいつかエリカを口説き落とす為の練習なわけだが、流石にそれを口にする勇気はわかなかった。


 目に入ったのは安堵の混じったエリカの溜息。

 俺の目が確かなら、微かな失望も混じっている。


 何を間違えた?俺は一体何を間違えた?


「シン」


 エリカの声に自然と背筋が伸びる。

 背後でお湯が沸き始める。


「貴方が役目に真面目である事を今更疑いませんしそれを責めよう等とは思いません」


 エリカの顔が駄目な生徒を叱る教師の顔になる。


「ですが髪に櫛すら通していない女性に対して、美しいというのはいささ感受性デリカシーに欠けるというものですよ?」


 ド直球に間違えた俺は、恥ずかしげに髪を撫でるエリカを見て謝る。

 欠けた感受性デリカシーの角が胸に刺さって超痛い。


「ええ、まぁその、褒めてくれるのは嬉しいのですよ? その……例え彼女の前でも自然に褒められるようにという練習だったとしてもです」


 嗚呼、やっぱりか。

 俺は席に着くエリカの前にカップを起きながら内心で顔を覆い叫ぶ。


 分かっていた、分かっていたのだ。

 女性には男が童貞かどうか分かる能力があるのだから、エリカにも俺が童貞だとバレていると。


 つまり俺は今こう言われているのだ。

 童貞(笑)の夫役さんは妻を褒めるのにも練習が必要ですよね、大変ですね、と。


 エリカに俺を馬鹿にするような意図なぞ無く、単純にねぎらってくれているというのは分かるが、出来れば今すぐ崖から飛び降りたい。

 ポットに茶葉を入れながら心中で泣く。


 エリカがお湯を注がれるポットを見ながら微笑む。

「貴方がお茶を用意するのは珍しいですね」


 そうだろうか? 煎れた記憶もあるが、言われてみると確かにエリカの方がずっと俺より多かった気がする。


「お茶を煎れるのは下手だって自覚があるからかな?」


 踊る茶葉を確認してポットの蓋をする。


「友人にお茶を煎れたら、不味まずいと分かっている茶を出すなんて、と文句を言われたよ。そのせいかもしれないな」


 茶をエリカと自分のカップに注ぐ。

 砂糖は? と視線だけで問うと「要りません」と返事が返ってくる。


「貴方が煎れてくれたお茶は砂糖無しと決めているので」


「そう言えば散々と俺のお茶の不味さを語って聞かせてくれた奴も同じ事を言ってたな」


 席に着きながらエリカに話しかける。

 このまま童貞(笑)が頑張って妻を褒める練習をしていた話題から自然に離れたい。出来れば忘れて欲しい。


「意外、と言えば失礼な話ですが。学園で貴方にそのようにお茶を振る舞う友人がいた、というのは驚きですね」


 肩を竦めて気にしていない事を示す。


「学園を卒業したら冒険者になろうと思ってたからね、積極的に友人を作ろうとしてなかったのは事実だよ」


 それでも――。

 エリカがどこか羨ましげな顔をする。


「貴方の家に招かれてお茶をご馳走になれるというのは、中々に楽しそうです」


 俺はお茶を飲みながら首を横に振ってエリカの間違いを正す。


「彼女に茶を煎れる時は出先ばっかりだったな、野営のたびに不味いと言うくせにお茶を煎れろとうるさかったよ」


「あら」


 エリカが良く分からない微笑みを浮かべる。

 何故だろう? 責められている気がする。


「ご友人とは冒険者の方でしたの?」


「いや、学園の同級生だよ」


 強まるエリカの目力にたじろぎそうになる。


「ジェン……ジェニファーリン・パンタイルだよ。名前ぐらいは知ってるだろ?」


「はい?」


 何故かエリカの顔から微笑みが消え、地面からシャラが生えているのを発見した時のような顔をする。

 俺はいったい何を言っているんだ?シャラが地面から生えてるワケないだろ。

 確かに驚くけども。


「ジェニファーリン・パンタイルというと、“あの”ジェニファーリン・パンタイルでしょうか?」


「“その”ジェニファーリン・パンタイル以外のジェニファーリン・パンタイルを知らないので、たぶんそのジェニファーリン・パンタイルであってると思うけど?」


 学園に他のジェニファーリン・パンタイルはいなかったと思う。

 というかやっぱり長いなジェニファーリン、ジェンでいいか? 良いよな。


「え? 待って下さい、貴方はジェニファーリンとご友人でしたの?」


「まぁジェンとは色々とあって、友人と呼んでも許してくれる間柄だな」


 応えについ照れが入ってしまう。

 友人と呼べる人間が少ないせいか、人を友達だと呼ぶ事に照れてしまうのだ。


「王子はともかくとしても……」


 エリカが重大な疑義を浮かべた目で見てくる。


「あの正真正銘のパンタイルと愛称で呼べるような関係でありながら、学園では友人を積極的に作らなかったと?」


 俺はいったい何を疑われているんだろうか?

 まさか“作らなかった”のではなく、“出来なかった”の間違いではないのですか? と問われているのだろうか?

 俺の場合その両者は殆ど変わらないニアイコールだが。


 俺が曖昧に頷き答えるのを無視してエリカが独り言を呟く。

 パンタイルとシン、このように目立つ存在を、知らなかったとは言え気が付かないなんて事があるのでしょうか?


 王子の件は捨て置くとしても、妙に作為的な物を感じますね。

 何者かの情報操作? いえ、それこそ“なぜ?”という事になります。


 エリカが良すぎる頭を使って有りもしない陰謀を探そうとしている。

 宮中闘争とは要は派閥争いであり、その為に貴族は貴族同士の交友関係に非常に気を遣う。


 だが俺とジェンの間にあるのはそれらとは異なる。

 貴族の友情は利害の一致が必須だ。


 貧乏子爵家と“ちょっと”特殊な男爵家の間に元より利害など発生するはずもなく。

 つまりは只の友達なのだ。


 独り言を終えたエリカが茶を一口飲み、やたらと真剣な目で俺を見つめてくる。


「シン」


 声まで真剣だ。


「もしかして簒奪クーデターを目論んでいたのですか?」


 エリカがどんな陰謀を思いつくのかと、好奇心で口を挟まなかった事を後悔した。


「そうでありましたら――」


「まった、待ってお願い待って」


 続く言葉を聞くのが怖くて慌てて止める。

 あとここにジェンが居ない事に心から感謝した。


 高笑いしながら有りもしないクーデターの計画を事細やかに語りだしただろう。

 きっとまるで事前に考えていたかのような完璧な計画が出てくるに違いない。


「ジェンとは友達、本当にただの友達だから」


 エリカの瞳からは疑いは消えない。


「“あの”パンタイルの中のパンタイル、正真正銘のパンタイル、銀貨一枚で全てを引っ繰り返す、可能性狂いのパンタイルと交友を持ち、尚且なおかつ野営をしてまで目立たぬ様にと各地を何やら暗躍したと言っておきながら、ただの友達です、と?」


 おいジェン、お前の一族が難儀すぎるぞ。

 何故だ? 何故友人に茶を煎れたという話からクーデターの話になるんだ?


 いや待て。

 エリカのパンタイル評は本当にパンタイル家に対する物か? まさかジェン個人への評ではなかろうな?


 おい、ジェンさんよ。お前は一体何をやらかしてるんだ?

 エリカの隣で実に嬉しげに笑うジェンの姿を幻視しながら溜息を噛み殺す。


「ジェンは俺が冒険者やってるのを知ってたからな、野営ってのは依頼を受けての話だよ」


 俺の真実100パーの言葉にエリカが一旦は疑義を引っ込める。

 お前の悪評のせいで朝から酷い目にあってるぞジェン。


 俺は腹を抱えて爆笑しているジェンの幻を追っ払いながら安堵の息をつく。


「友情が時には夫婦の間に秘密をもたらす、というのはまぁ承知いたしましょう」


 無いんだけどなぁ、秘密。


「学園の時に貴方が一人で随分と楽しそうだった、というのも今更言った所でせんない事です、残念ではありますが」


 一応の納得を示してくれるエリカの顔に微笑みが戻る。

 何故か再び責められているような気になる。


「それはともかくとして、明日からは朝のお茶はシンに煎れて頂きます」


 まったくもって問題無いが、何故に? 

 疑問が顔に出たのか、エリカが腕を組み駄目な生徒に答えを教える教師の口調で言う。


「妻が夫に煎れられたお茶の回数で人後に落ちるワケにはいかないでしょう」


「そういう物か?」


 そういう物です。

 そう応えるエリカは、何故か若干顔を赤らめ俺から視線を外した。

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