第148話 幻に影は無く、陰に幻は無い3

 *


 童貞か? と尋ねられたら否定するのではなく、静かに優しく微笑み返しなさい。

 それが紳士という者だよ、ロングダガー氏。


 我が心の紳士、エグッチー君よ。

 無思慮に抉られた傷を前に、微笑むその所作こそが紳士であるという事なんだな?


 俺は紳士力の高い微笑みを浮かべられた自分を誇らしく思う。

 世の童貞は全て紳士であれ。


 それは兎も角として。

 なんなのだ? この状況は?

 一体全体、何なのだ? 何がどうなってこうなるんだ?


 挨拶一発目で童貞かと問われるという危機を、紳士力あふれる微笑みで脱した俺は自分の状況に頭を抱えそうになっていた。

 鉄壁の紳士の微笑みで質問をかわし、トイレに一時撤退し戻ってきたらコレだ。


 目の前には花園が広がっている。

 今は殆どの家で使われる事が無くなった暖炉の前で、エリカと光の巫女ルーがソファに座って談笑している。


 ちなみにシャラも同じソファに座っているが、ルーのせいかガチガチに固まっている。

 光の巫女を前に岩の様に固まっているシャラを除けば、それはもう満開の花が咲いたかのような光景だ。


 学園の教室で、中庭で、良く見た光景だ。

 平民であるルーが砕けた口調で話し、エリカがそれに上品に応える。


 貴族と平民であってもその間に壁はなく、互いにあるのは純粋な友情だけなのだと、納得させられるだけの暖かさがあった。

 この光景を見て、それを理解出来なかった王家貴族連中の節穴っぷりは相当だ。


 有りもしない宰相殿の影を見て、手をこまねいた挙げ句に“出遅れ”を挽回する為に策を弄し、それを何者かに利用された。

 ただ素直に仲間に入れてくれと言えば良かっただけだと、気が付いている連中はどれほど居るのだろうか?


 身分差に諦めてエリカを見るだけだった俺が言えた事ではないが、ほんの少しだけ素直になるだけで良かったのだ。

 貴族の一員であるという、実に下らない政治的な自覚をぶん投げれば良かったのだ。


「まぁ、これはぶん投げ過ぎだし、素直すぎるけどな」


 俺は自分の左側に座る王子の顔を見てぼやく。

 ソファでくつろぐエリカ達をキッチンのテーブルから見つめる王子の顔は、そりゃもうゆるみに緩んでいた。

 学園でエリカを見ていた俺でもそんな顔はしなかったぞ。


 俺のボヤキが聞こえたのか、何だ?と顔で問い返してくる王子に手を振って何でも無いと伝える。

 光の巫女を眺める作業に戻った王子を尻目に、つい自分の右側を確認して溜息を吐きそうになる。


「嫁ちゃんの煎れたお茶は美味しいな、弟子よ」


 右手に座った師匠が感心した声を出す。


「師匠が茶の味が分かるだなんて始めて知りましたよ?」


 左手に王子、右手に師匠。

 目の前の花園とは随分な落差だ。


 ちなみに背後には鎧のオッサンとエルザが立っている。なんだこの地獄。

 ちょっとトイレに逃げただけでこの仕打ちか?


「お茶の味ぐらいは分かるさ、普段は気にしないだけさ。ちなみに弟子の煎れた茶が一番好きだぞ?」


 そりゃどーも。


「そう言えば、先日は師匠の挨拶が激しかったもので聞きそびれていたんですが、何でまた光の巫女の護衛なんて引き受けたんです?」


 地獄に放り込まれたついでに気になってた事を師匠に尋ねる。

 割と仕事を選ばない師匠だが、それでも護衛依頼は苦手だと自覚があるらしく、あまり受けようとはしない。


 力加減が難しいらしい。

 良く街の中で生活できてんな師匠。


「手紙一つで勝手に居なくなった弟子に会うため」


 師匠の応えにグゥと唸りそうになる。


「というのはまぁ冗談だな。下らないのに引っかかってるなら連れて帰って“やろう”と思っていたけどね」


 その時は、どうせ弟子は見捨てられないとか言いそうだから、そっちもどうにかするつもりだったけど。

 師匠が、要らぬ親切を発揮しなかった幸運に感謝しそうになる事を言いながらお茶を飲む。


「では何故です?」


「巫女ちゃんに頼まれたからだよ」


「頼まれた、ですか?」


 お茶請けのお菓子を摘まみながら師匠が頷く。


「どうも国外に出るには護衛に私を付けるというのが条件らしくてな」


 そいつはまた、危ない橋を渡ったな。

 師匠が、ではなく王家貴族連中が、だ。


 光の巫女の意思を妨げてはならない、という法律的にもギリギリだし、光の巫女の内心的にもギリギリを攻めてる。

 巫女としての自覚があるなら自身の護衛が過剰とも言えるような条件になるのを受け入れるだろうが、そうでなければ少なからず不満を感じただろう。


 さすがにその程度ではどうこうならないだろうが、危ない賭けである事には変わりは無い。

 それにしても――つい苦笑してしまう。


「師匠を護衛に付ける事が条件とは、よほど後を追われるのを嫌ったようですね」


 師匠を護衛に付ける、というのは難易度が高い。

 年がら年中、強い魔物を求めてはフラフラしているし、王都に居れば居たでランク9の実力を求める依頼が舞い込んでくる。


 性格にはかなり問題があるが実力だけ見れば師匠は本物の実力者なのだ。

 依頼者は師匠が妙な親切心を発揮しないよう祈る事になるが。


「たまたま王都に居た時に依頼を受けたと?」


 運の良い奴だな、俺ほどではないが。


「いや」


 師匠が首を横にふる。


「何とか伯爵の領地で竜が暴れてたから、それの討伐依頼を受けてる時に巫女ちゃんが会いに来たんだよ。竜を殴ってる時にやって来るから驚いたよ、巫女ちゃん一人だしさ」

 

 我が国よ……ホント我が国よ。

 ファルタール国内で護衛無しの方が余程よほど危険ではないのか?


 若干の頭痛を感じる。

 真正面から光の巫女を害せる存在なぞ、そうは居ないが、居ないからと言って竜とドツキ合ってる師匠の所に一人で行かせるとか、アホなのか?


 どうせ巫女と言っても最近まで戦う事も知らなかった只の平民。

 竜と師匠が暴れている所にまで行かない等と考えたんだろう。


 流石に光の巫女に頼まれたとて、そんな所にホイホイと付いていこうとする冒険者も稀だろう。

 一人でならそんな危険な所に行くはずがない。


 そんな甘い考えで流れに任せた結果、光の巫女は一人で師匠に会いに行ったと? やっぱりアホなんじゃないかな?


「いや、アホだったな」


 隣で両目をハートマークにしてる王子を見て思わず呟く。

 ああ、いや待て。


 巫女を外国に行かせたくないという形振り構わない自国のアホっぷりに呆れてしまったが。

 これは師匠が光の巫女に会った話であって、師匠が光の巫女の護衛を引き受けた理由ではない。


 俺が師匠に問うたのは、護衛の依頼を引き受ける気になった理由だ。

 疑問が顔に出たのか、師匠が鷹揚おうように頷く。


「友達が悪い男に引っかかったんじゃないかと心配なんだってさ」


 頬が引き攣るのを自覚する。


「真剣な目でそんな事を言われたらさー」


 師匠が最高の冗談を聞いたと言いたげに笑みを浮かべる。


「悪い男の師匠としては受けないワケにはいかないだろ?」


 渋面じゅうめんを作りそうになる顔面を気合いでコントロールする。


「面白い顔だな弟子」


 師匠の茶々は無視する。

 あの野郎、人のことを悪い男だの童貞だの言いやがって。

 まぁ童貞は事実だが畜生。


 エリカ達が何が面白いのか、ガチガチに固まっているシャラを巻き込んで笑っている。

 俺の童貞をネタに笑っているんじゃなければ良いのだが。


 貴族淑女がお喋りする時に使う妨害魔法のせいか、すぐ近くであるのに会話が分からなくてモヤる。


「師匠」


 ふと気になって師匠に訊いてみる。


「女性って見ただけで童貞だって分かるもんなんですか?」


 胡乱うろんげな目をした師匠がマジマジと俺の顔を覗き込む。


「お前マジかよ、タマ付いてんのか?」


 師匠の辛辣な言葉を耳に、やはり女性とは見ただけで童貞かどうかが分かるのかと。

 俺は女性の神秘について感心した。

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