第147話 幻に影は無く、陰に幻は無い2

 *


 エリカ・ロングダガーには確信している事がある。

 シン・ロングダガーという人間は情が深いのだと、強い確信があった。


 普段は飄々ひょうひょうとした態度で、自身を一段下に置くことで何事からも距離を取っているきらいがあるが。

 その実とても情が深い。


 世の不条理理不尽に諦めた風な態度を示しながら一等諦めが悪いのがシン・ロングダガーという人間だ。

 だから平然と弱者の隣に立とうとする。


 およそこの世に並び立てる者を探す方が難しい程の力を持ちながら。

 先頭に立つのではなく、隣に立とうとするのだ。


 それはここ最近の冒険者としての働き方を見ていても良く分かった。

 大量の冒険者が出払った結果、溜まった依頼を解消していくにシンが選んだ依頼は――、実に強者らしからぬ物ばかりだった。


 近隣の村への魔石屑の運搬、急ぎの手紙の配達に、駆け出し冒険者でも対処可能な魔物の討伐。

 強者である事を理由に依頼の内容にこだわらないのだ。

 掛かる困難の多寡たかと質を問わぬ、つまりシンにとっては黒化した竜と戦う事と、母の近況を気にする手紙を届ける事が等価値なのだ。


 何という強者の傲慢ごうまんさであるか。

 気の向くまま己の情を他者に向ける事に頓着とんちゃくしない。


 そのくせ、前に立つのではないのだ。

 隣に立とうとするのだ、自虐じぎゃくで、謙遜けんそんで、諧謔かいぎゃくで、自分を一段下に置きながら。


 恥ずかしそうに、怖々と。

 分かるよ“お互い”に大変だよな? と。


 一体どのような心の働きか?シンの中ではおのが被る困難と弱者が被る困難にさしたる差は無いのだ。

 シンからすれば平然と乗り越えられる困難を前にして、足を震わせる者の隣に立ち、その一歩を踏み出す手助けをするのだ。


 頭から血を流し。

 腹に穴が空いていても。


 民のためにと、王族や貴族が示す慈悲とはまったく違う物だ。

 まったくもって貴族らしからぬシンだが、それでも生まれは貴族である。


 自由で無思慮で無分別に情を振りまき。

 それでいて平然と理不尽に塗れる生き方冒険者を好んで選んでいる。


 いったいどのように育てればシン・ロングダガーが出来るのか?

 エリカにとっては驚くべき謎だった。


 そんな物自由は望んだとて得られぬ物と、早々に諦めたエリカからすると不思議でならなかった。

 掛けた純粋な情ですら政治的な意味を持つ、貴族の世界で育ったエリカからするとそれは余りにも眩しすぎた。


 ――ゆえに、エリカ・ロングダガーにとって、そんなシンを痴れ者と呼ぶ者は敵であったし。

 光の巫女親友は恐怖だった。

 意外な程にシンを評価していた王子に関しては少しだけ見直したが。


 シンの目の前に彼女が現れる。

 それだけで胸の奥が痛くなった。


 ルーがやってくる前に茶器の用意を出来たのは僥倖ぎょうこうだった。

 手に持っていたら粉々にしていただろう。


 エリカは親友の顔を見て、笑顔を浮かべられた自分に安堵した。

 ここで自分が親友に会えて嬉しい以外の感情をまろすなぞ、シンに対する裏切りに他ならない。


 平民である彼女の、シンと良く似た無思慮な好意を抱き止めながら。

 胸の痛みとは別に、ただ再会を嬉しく思える自分にエリカは安堵しそして――。


 一瞬だけ眩しげに目を細めたシンの顔を見て、歪まぬ自分の顔に安堵した。

 近づくシンの姿を視界の端に、ついに来てしまうのだと心が沈む。


 手を差し伸べ、静かな声で自分の夫だとルーに自己紹介するシンを見て、言わせてしまう自分とそれだけで鼓動が跳ねる自分に嫌悪感すら感じる。

 なにゆえに自分の好きな人はこれ程の理不尽を受けねばならぬのだ。


 彼にこれ以上いったい何を捨てろと言うのだ?

 掛かる理不尽全てを平然と真正面から受け止めるシンを見て、エリカはいっそ邪魔だと言って貰えたらと願った。


 嗚呼、いえ、これは卑怯な自己満足だ。

 シンがそのような事を言わないと知っているが故に、そう言われたいと願う愚かしい言い訳だ。


 自分にそのような物を許せる道理を知らない。

 自分自身がシンに降りかかる理不尽その者なのだから。


 ルーに何事かを耳元で囁かれ、驚くシンを見てエリカはそっと胸を押さえる。

 痛みなら容易く耐えられる。


 だが、ついシンの身を我が元に引き寄せたくなるのを抑えるのは、酷く困難だった。


***あとがき***

なお本当に眩しかっただけの模様。


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