第144話 修羅場るシャラ3

 *


 お忍びである、という建前はシャラの想像以上には大切であるようだった。

 鎧の男は扉の横に控えると静かに黙礼して客人を――ファルタールの王子を迎え入れるとその脇へと控えた。


 良かった、演劇で見るように何々なになにのおなーりぃ~とか言われたら真顔でいられた自信がなかった。

 シャラは想像より常識的な王子の登場に心中で安堵した。


 それはそれとして。


「久しいな、シン・ロングダガー。それにエリカ・“ソルンツァリ”」


 シャラはそう挨拶するファルタールの王子に首を傾げた。

 何故に一人なのだろうか?


 ファルタールの王子は、演劇で出てくるような凝った髪型でもなく、なんかヒラヒラの付いたタイツでもなかった。

 短く刈り込んだ日に灼けたような色の金髪は、そこらの冒険者と変わりなく、傲岸不遜ごうがんふそんな表情と雰囲気、それに旅装姿を合わせれば王子というより冒険者のようである。


 その王子は確か光の巫女のオマケだったはずだ。

 エリカやシンさんからすると主賓はこの王子じゃないはずだ。


 シャラが抱いた疑問はシンとエリカにとっても同様だったらしく、背中しか見えなかったが二人の表情に疑問が浮かんだのがシャラにも分かった。

 その疑問に王子が答える。


「彼女には政治の話があると馬車に控えて貰っている。許せ“ソルンツァリ”、友との再会は少し待ってもらおう」


 やっぱコイツは王子だわ。

 声から溢れる“偉そう”にシャラは即座に抱いた印象を修正する。


「はて? 追放され貴族籍も無い小娘相手に政治の話でありますか?」


 エリカの声に王子の視線が一瞬先触れの男に振れる。


「それとわたくしは今は“ロングダガー”ですので、お間違えなきよう伏してお願い致しますわ」


 すげぇな。

 シャラは感心した、ミリも伏してない。


 ファルタールの王子がエリカの応えに不愉快げに鼻で笑う。


「学友に会う、と申し渡していたのだがな。どうやら上手く伝わっていなかったようだな」


 シャラは既に教会に帰りたくなっていた。

 今のは部下が失礼な事を言ったようだゴメンナサイ、という意味だろう。素直に謝れよ。


 コイツらは丁寧な言葉で相手を殴りに行く競技でもやってるのだろうか?

 どう考えてもコッチの方が修羅場だ、今なら教会の尖塔の先まで綺麗にしろと言われても喜んでやるだろう。


「だが茶番であろう? 貴様を“ソルンツァリ”と呼ぶに不都合があるか?」


 帰りたい!

 シャラは叫びたいのを堪えた。


 従者だか護衛だかの男に自分の意思が上手く伝わっていないのを謝罪、謝罪だよね? した直後になんで喧嘩売るの?

 これが貴族の礼儀というなら自分は一生真似出来そうにないとシャラは思った。


 ほら、エリカが凄い怒ってるじゃん。

 背後から見て分かる程にエリカの背中に緊張がはしる。

 シャラはエリカが息を吸い込む為の短い沈黙が最後の平穏であると覚悟した。


「俺が不愉快だって言ってんだよ、王子」


 そっちかぁ。

 シャラは納得した、まず最初に爆発するならあなたですよね。


 鎧の男が王子の背後で凄い顔になる。

 まぁそんな物でシンさんの口が止まるワケがないのだけど。


「学友だって言うなら学園の時の口調で言ってやる。理解しろ王子、俺が、不愉快だ、やめろ」


 自国の王子に向けるにはあんまりな言葉遣いを聞いて。

 シャラは自分が誤解していたのだと思った。


 学友とは言っても、貴族が通う学園での話なのだ。

 そこには身分差が明確にあり、言葉遣いや礼儀にはうるさく、何かこう優美で典雅てんがで、貴族の令嬢令息がオホホーとかウフフーとかアッハッハとかそういう世界だと思っていたのだ。


 そんな世界であのシンさん蛮族がまともに生活できていたのかと疑問に思っていたが。

 成る程、学友だからと自分の国の王子相手にこんな口調で話せるというなら、あのシンさんでも学生生活を送れるだろう。


 シンの事だから学園では浮いていた悲しい過去でも背負っているのだと思っていたシャラは正直ちょっと安心した。

 良かった悲しい青春をおくった蛮族はいなかったんだ。


 つい微笑んでしまいながらシンを見たシャラは次の瞬間に絶句した。

 エリカが嘘だろお前みたいな顔でシンを見ていたからだ。


 やっぱり浮いてたんだ。

 エリカがそんな顔をするという事はつまりはそういう事だ。

 あんな口調は学友だからと許されるわけではないのだ。


 シャラは蛮族と同じ教室に押し込められていた貴族の方々に同情した。

 いやしかし、となればここからは戦争だ。


 シャラは下っ腹に力を込める。

 あの偉そうな王子がシンさんに怒って、そんでもってシンさんは初手で殴るのだ。


 間違いない。シャラは確信する。

 あの蛮族が二回も三回も言葉を交わす程の忍耐を持っているワケがないのだ、特にエリカ絡みで。


 とりあえず私は全力でエリカを止めよう、そうすれば少なくとも人死ひとしには無いだろう。

 シャラは自分と同じような事を考えているだろうエリカの顔を見てそう考える。

 考えた結果の行動は真反対であろうが。


 言葉を発しようと息を吸う王子。

 部屋の空気が今にも破裂しそうな程に緊張する。


 うわぁエリカが初手で決めるつもりの顔をしてる。

 シャラは自分の肋骨ろっこつぐらいは諦めることにした。


「シン」


 嫌だなぁ、肋骨は嫌だなぁ。

 シャラはかかとを浮かす。


「俺の事はダリルと、名前で呼べと何度も言っておろうが」


 予想外に好意的な響きの王子の声に、シャラは浮かした踵の行き場を無くし、エリカは感情の行き場を無くしたような顔をした。

 王子が、ダリル王子が親しげな苦笑を浮かべてシンに声をかける。


「貴様は我が友であろう、口調は平で通してくれるというのに、名はいまだに呼んでくれぬとは頑固な奴だ」


 シンさん友達いたんだ。

 王子と友人である事より友達がいた事にシャラは驚いた。


 驚いたのはどうやら自分だけではないようで、鎧の男どころか、エリカも驚いている。

 やっぱりそれぐらいに意外な事だったんだなと、シャラは自分だけが驚いたわけではない事に安堵した。


 そうですよね、シンさんに友達がいたなんて普通はビックリしますよね。

 そう思ったシャラは直後に絶句させられた。


「勝手に友達にしてくれるな王子」


 ……シンさんよぉ、ホント、シンさんよぉ。

 友達は大事にしようよ。


「あと俺を呼ぶならシン・ロングダガーと呼べ、それなら許してやる」


 何なの? 目の前に居るのは親の仇か何かなんですか?

 あ、駄目だ、本当に仇だったら目に入った瞬間に首を取りに行く人だわ。


「ハッハッハ、そう恥ずかしがるなシン」


 お前はお前でその自分は友達であるという自信はどこから来るの?

 シャラは思う、会話とは言葉を互いに投げ合う行為であって、ぶつけ合う行為ではないと。


「俺は貴様のそういう奥ゆかしさも好ましく思うがな」


 ぶつけ合うどころか暴投だ。

 文明人である自負からシャラはそう断じた。


「いい加減に言葉通りに受け取ってくれ王子」


 あのシンさんが疲れたような顔をするとは、シャラはダリル王子を尊敬しそうになった。

 シンからの明確な拒否の言葉に王子がどう応えようとしたのか?


 興味はあったがその答えを聞く機会は訪れる事は無かった。

 鎧の男が激高し、叫んだからだ。


「貴様ぁ!」


 怒りに顔を赤くした男の声は本物の殺意が篭もっていた。


「殿下の御寛恕ごかんじょ有ればと黙って聞いておれば、舌に乗せるもはばかられる無礼の数々!」


 アレを無礼で済ませるこの人は存外いい人なのかもしれない。

 シャラは思った。

 あと黙って聞いていたのではなく絶句していただけでは?


最早もはや我慢ならぬ!このれ者が! 貴様を見逃せば近衛のちゅうを疑われる!その口に二度と言の葉乗せられぬよう」


 その首を落としてやる、とか?

 シャラは続きが聞けないであろう言葉の続きを考えた。


 それにしても長い口上だ。

 シンさんかエリカならもう既に首を落としてるぞ。


 目の前で赤髪が掻き消えるのを捉えながらシャラは考える。

 さて、スイッチはどれだろうか?


 鎧が派手な音を立てる。

 男が床にうつ伏せに転がっている。


 ゴン! という音と共に男の悲鳴じみたうめき声が漏れる。

 男の背中を踏みつけたエリカが言う。


「誰を痴れ者とおっしゃられたか? わたくしの夫と知ってのげんであろうならば」


 成る程、痴れ者の方でスイッチ入ったのなら十分に我慢した範疇だろう。

 シャラは思う。

 何せスイッチ入った後で少しは話せているし、男の首もまだ繋がっている。


「よろしくてよ?」


 エリカが一瞬だけ視線をシンに向ける。


「その挑戦、売り切れるまで言い値で買い上げましょう」


 冒険者の流儀にならったエリカの言葉は、どこで覚えたか市井しせいのそれだが、それでも妙な高貴さがあるなぁと、シャラは感心した。

 それにしても美人が怒った顔は恐ろしい。

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