第143話 修羅場るシャラ2

 *


 光の巫女一行がヘカタイの街にやってくるその日。

 シャラ・ランスラは教会から逃げ出した。


 どうも法王様はロングダガー夫婦よりも、教会に用があるらしく、直接こっちに来るらしい。

 教会では朝から出迎えの準備で大忙しである。


 別に宴の用意をしているわけではない。

 掃除だ。


 普段から綺麗に掃除されている教会だが、それを更に綺麗に掃除しているのである。

 まるで見えぬ埃でもあるかのように床をき清め、拭き磨く同僚を尻目にシャラは教会から逃げ出した。


 法王の為にそこまでしてやる気が起きなかったからだ。

 法王がおわすファルタールの教会と言えばエリカを追放した片棒だ、シャラからすれば逃げ出す理由としてはそれだけで十分過ぎた。


 あとついでに言えばマキコマルクロー辺境伯も来るらしい。

 報告書の件があるのでちょっと顔を合わせづらい。

 それに探究開発派の連中よりかはマシでしょう。

 シャラは石畳の上を歩きながら考える。


 探究開発派のあの変態どもは、自分達の研究室にバリケードまで作って立てこもっているのだ。

 それに比べれば、掃除を放り投げて冒険者パーティーを組む友人宅へ出かける護民討伐派は良心的なはずである。


 シャラはそう言い訳しつつ、鼻腔をくすぐるパンが焼ける匂いに自然と笑みを浮かべながらドアをノックする。

 二日続けてエリカと朝から挨拶を交わす。


 どうぞ、と自分を招き入れてくれるエリカ。

 それとは対照的なシンからの迷惑そうな視線に、シャラはつい言い訳がまろびでる。


「ほら、私もシンさん達の仲間ですから」


 その言葉にシンが実に迷惑そうな顔をする。

 だがシャラはその顔に怯まない。


 これはアレだ、恥ずかしがってる顔だ。

 仲間とか面と向かって言われて照れてるだけだ。


 シンさん友達少なそうですからね。

 シャラは視線に臆する事無く足を進める。


「朝ご飯まだなんですけど」


「お前、二日続けては教会のシスターとしてどうなんだ?」


 呆れるシンにシャラは言う。


「友達なら二日続けて程度は普通ですよ」


 その言葉にエリカが微笑み、シンがぬぅと唸り自分の為にパンを切ってくれる事にシャラは笑みを浮かべる。

 ほらやっぱりシンさん友達が少ない。まぁ自分も少ないが。


「茶は自分で煎れろよ」


 過剰にぶっきらぼうな言葉にシャラは嬉しげに返事した。


 *


 昼を少し回った頃。

 うおぉお!

 シャラは盤面の戦況に心中で雄叫びを上げた。


 これは初めて勝てるかもしれない。

 エリカに誘われて始めた卓上遊戯だが、連敗につぐ連敗。


 もしや自分はかなりアホなのでは?

 シンプルなルールのゲームにエリカはおろかシンにまで連敗し、シャラは真剣に悩んだ。


 そしてムキになった。

 手駒を落としましょうか?というエリカからの申し出を断り、シンからの助言に耳を塞ぎ、若干涙目になりながら戦い続けた。


 連敗に連敗を重ね、ついにシャラは勝利を手中に収めたと確信した。

 あと五手で自分は勝てる。


 勝利を確信し、それでもなお表情に浮かべる油断を殺し、シャラ・ランスラは勝利への一手を打った。


「ところで光の巫女様ご一行はいつ頃到着の予定なんですか?」


 盤外戦も怠らない。


「朝にメルセジャから聞いた所では、昼頃だろうとの事だ」


 シンが興味なさげにサンドイッチを囓りながら答える。

 盤面の状況にはあまり興味が無いのか、視線は駒をいじるエリカの指先に向いている。


 変態め。

 シャラはエリカの手番が終わるのを待つ。


 頭の良いエリカの事だから、既に自分の負けを確信しているのかもしれない。

 珍しく長考しているのは最後のあがきなのだ。


 さあ、清くその口から紡ぐのです。

 負けましたと、投了を告げる言葉を。


「あら」


 だが返ってたのは遠くを見るような顔をしたエリカだった。


「来ましたね」


 唐突に告げられる時間切れの合図に、初めての勝利が霧散する。

 エリカの手によって片付けられる盤につい恨みがましい視線を送ってしまう。


「あと十手でエリカの勝ちだったぞ?」


 昼食のサンドイッチをお茶で流し込みながら指摘してくるシンの事は見なかった事にした。

 十手先まで読めるシンさんなんて幻に決まっているのだ。


 *


「ロングダガー宅か?」


 ノックと共に野太い男の声で呼び出される。

 正直に言えばこの時点でシャラ・ランスラは嫌な予感がした。


 声が何となく偉そうだから、というのが理由だった。

 シンが嫌そうな表情を一瞬だけ浮かべてドアを開けるのがいっそ不思議なくらいだった。


「先触れである」


 先触れも何も、塀の向こうに馬車が見える。


「ファルタール王国が王子、ダリル殿下および光の巫女が行幸たまわる幸福に感謝せよ」


 ヘカタイでは見ない全身甲冑フリューテッドアーマーの男は言った。

 流石に兜は脱いでいるもののシャラはこの瞬間に嫌な予感は確信に変わった。


 これが貴族かぁ。

 シャラは普段一緒にすごしているのが、まさに大貴族の令嬢と貧乏子爵家の令息である事を忘れて感心した。


 実に偉そうである。

 この瞬間にもシンが男を殴り飛ばすのではないかとシャラは心配になった。


「行幸に拝する幸福に感謝いたします」


 成る程これが貴族かぁ。

 シャラは優美に先触れの使者に応じるエリカの所作に感心した。


 なんとシンまで貴族っぽい顔をしている。

 殴り飛ばしそうなどと心配していた事をシャラは恥じた。


 二人の友人が貴族と元貴族である事を思い出したシャラは、自分もお辞儀でもした方が良いのだろうかと思ったが、結局は何もしなかった。

 相手はその二人を故郷から追い出した連中の仲間である、下げる頭なぞ持っていない。


 やはり二人は貴族なのだなぁと感心していると、男からの視線を一瞬だけ感じたが無視した。

 もしかしたら教会の人間がここに居る事への疑問でも感じているのかもしれないが、説明してやる義理も無いだろう。


 シンさん曰く、貴族のアレコレの時に教会の人間は無視されるらしい、ので、せいぜい無視してくれとシャラは思う。


「お忍びと辺境伯様よりお聞きしていますので、何一つご用意していない事、お許し頂けますよう」


 凄い、ちゃんと申し訳なさそうな顔をしてる。

 シャラは驚いた。


「貧乏子爵家の次男と元貴族の娘に用意できるような物なぞ殿下は望まん」


 すげぇなコイツ、命が惜しくないのか?

 シャラは鎧の男に感心した。


 どうやら面子商売とは、相手の面子を潰さないように気を付けるだけの物ではないらしい。

 自分の面子の為に相手の面子を潰そうとする事も面子商売には大事な事なようだ。


 だが相手は蛮族シンさんだぞ? バナナを巡って争う猿以下の更に下を行く人間だぞ?

 いやしかし、これで納得できた。


 シャラはシンが自分の事を貧乏子爵家の次男坊だと気軽に自虐する意味を知った。

 シン・ロングダガーという人間は真実貴族であるという事に価値を見いだしていないのだ。


 成る程、それならシンさんはエリカの為に躊躇無くぶん投げるだろう。

 ついでに言うとこの男は今すぐにでもシンさんにぶん投げられるだろう。


 正直に言えば鎧の男がそうなる事を期待したが、秒でそうなると思った未来は二秒経っても来なかった。

 シャラは違和感に視線を彷徨わせた。


 蛮族使い……。

 シャラはエリカにベルトをさり気なく掴まれているシンに気が付いて思わず心中でそう呟いた。


***あとがき***

新年、あけましておめでとうございます。

今年は週に一度の更新を目指して頑張ります。

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