第139話 荒れ狂うアレ来る3

 *


 黄金の魔力に目を灼かれながらケツから地面に着地した俺はそのまま後ろに転がり体勢を整えた。

 顔を上げた時には事は既にすんでおり、師匠はどうやってかエリカに踏みつけられた足を自由にし、五足程離れた場所で両手をブラブラさせていた。


「大丈夫ですか? シン」


 剣を抜きながらエリカが尋ねてくる。

 視線は師匠から一切ぶれる事がない。


「まずは遅くなりました事、謝罪いたしますわ。ですがシン、貴方もあんな敵がいるというのなら先に教えておいて欲しかったです。おかげで命をす覚悟を決めるに一歩出遅れました」


 おそらく師匠からの反撃の一撃を防いだ左手の感覚を確かめるようにプラプラさせながら、エリカが溜息に似た吐息を吐く。


「わたくし人の形をした怪物なぞ始めて見ました」


 いやぁ世の中は広いと言いたげにエリカが覚悟ガンギマリの声で言う。

 その声に俺は若干慌てる。


「ああ、いや待ってくれエリカ、その覚悟は凄く嬉しい上に何なら二人で挑戦したくなるけど、ちょっと待ってくれ」


 このまま二人で師匠に挑むという甘美な誘惑を振り払う。

 勝てても負けても周辺がトンデモナイ事になる。


 一応だがマキコマルクロー辺境伯はエリカを受け入れてくれた恩人なのだ、少なくとも俺の中では。

 その辺境伯が住むヘカタイの街周辺を人の住めない荒野にするわけにはいかない。


「アレは」


 俺は師匠をアレ呼ばわりしながら指さす。


「俺の師匠なんだ、信じられないかもしれないけど、いや信じる方がどうかしてるんだけど師匠なんだ」


 エリカが俺を見る。

 人間って命をぶん投げる覚悟をしながら驚くとこんな顔になるんだな。


 エリカが表現するのに文学的才能が必要になる表情を引っ込めて視線を師匠に戻す。


「分かりました、シンの師匠と言うのなら首から上は残しましょう」


 そっちの覚悟かぁ。

 どうやらエリカさんがガンギメした覚悟は命を賭して師匠を殺すという覚悟だったらしい。


 流石ソルンツァリである。

 覚悟を決めたら中途半端は無い。


 死ぬ覚悟で戦うではなく、死んでも殺す覚悟か。

 助走無しでその覚悟は見習いたい。


 いや感心してる場合じゃない。

 どうにかして止めないと。


 ケツを浮かし、どちらも止められそうにないと早々に諦めかける自分を無視して立ち上がる。


「いや良いね!弟子よ! お前良くやったよ、上等じゃないか」


 俺が立ち上がるのを待って師匠が場違いな程に明るい声をかけてくる。

 またぞろ何を言い出すんだ。

 ソルンツァリの秘技を弾いて傷一つ無い手で拍手しながら師匠が言う。


「私の可愛い弟子をどこの馬鹿貴族がだまくらかしたのかと思ったら!」


 師匠が笑う、俺と同じ黒い瞳を細めて、こいつはめでたいと言いたげに笑う。


「本物じゃないか! こいつは本物だよ! 弟子よ良くやった! 褒めようじゃないか! 良い嫁さん貰ったじゃん!」


 さすが師匠である。

 その目は節穴ではない。


 ただし良い嫁さんだと褒めた相手はアンタの首から下を消し去るつもり気満々まんまんである。

 その事にまったく気が付かない師匠の空気の読め無さに膝から崩れ落ちそうになる。


 空気が裂ける音がする。

 エリカがその手に持った剣の切っ先を師匠へ向ける。


 まるで目標を定めるように。


「そ! そのように褒めたとて! いいえ! そうであるならば! おのが夫を殴り飛ばされて黙って見逃す妻などいません!」


 上擦ったエリカの声に思わず視線が向く。

 顔を赤くしたエリカが更に言葉を重ねる。


「ちなみにどの辺りが良いお嫁さん判定でしょうか!?」


 エリカさん!?

 アカン、これアカン。


 いつものエリカらしくないテンパった言葉にすぐさま俺は理解する。

 エリカは大が付く貴族家の令嬢である。


 畢竟ひっきょう、彼女が慣れ親しんできたのはやたらと遠回しだったり、理解するのに教養が必要になるような迂遠うえんな褒め言葉の世界なのだ。

 なので、エリカは直球に褒められる事にちょっと慣れてないのだ。


 ちなみに罵倒の方も迂遠で遠回しなので面倒くさいのが貴族だ。

 俺は理解できずに諦められた、罵倒よりも傷つくからな?


「そうだね」


 答えるの?

 師匠の声に思わず呆れる。


「はい!」


 そして聞くのか……。


「まずは何と言ってもあの魔法だね、アレは良かった、本当に良かった。久しぶりにちょっと死ぬかと思ったよ」


ソルンツァリの秘技アレに身をさらしてちょっと死ぬかもと思うだけで済む人間を人類に含めて良いのだろうか?

 深刻な疑問が湧く。


「でも一番良かったのは私の足を踏んで動きを止めた所だね、あれは良かった、本当に良かった。必ず殺してやるという意思も良かったけど……」


 師匠が急に優しい顔になる。

 何故か視線が俺に向く。


「私の足を踏めたんだ、つまり嫁ちゃんは少なくとも弟子と同じ所で生きてるって事さ」


 師匠が笑う。


「良かったね弟子よ、隣に立ってくれる嫁ちゃんだぞ」


 師匠の言葉にエリカがどう応えようとしたのか?

 ほあ、とか、ほえ、みたいな言葉が出かかっていたので、まあ呆れではあったのだろう。


 とりあえず師匠には、こちとら隣に立ってくれるどころか隣に立つのに必死なんだと言いたい。

 言いたいが、そんな事よりも、だ。


「おい師匠」


 我慢ならずに口を挟む。


「他にあるだろ! 声が素敵だとか!」


 ほおああ!

 俺の抗議で出鼻を潰されたせいか、妙な溜めが入ったエリカの呆れ声は悲鳴じみていた。


「あと綺麗な顎を支える首の美しいラインとか!」


 隣でエリカがしゃがみ込む気配がする。

 気になりはしたが師匠が俺の言葉を鼻で笑った事に意識を持って行かれる。


「弟子よぉ、見た目だけかぁ? お前の嫁ちゃんの良いところは見た目だけかぁ?」


 おぅ? 言ったな? 挑戦だぞ? それは挑戦だぞ? 最低でも三時間は俺の語りを聞く覚悟しろよ?


「エリカは茶に砂糖を入れる! そして好みの砂糖の量があって砂糖を入れるときは慎重になる!可愛い!」


 ――ほほう。

 師匠が感心したように頷く。


「つまり綺麗な上に可愛いと?」


「しかも優しい!」


「そいつは高得点!」


「でも目力が強すぎるせいか初対面だと優しさが伝わりにくいのをちょっと気にしてる!」


「そんな所も?」


「可愛い!」


「つまり嫁ちゃんは?」


「可愛い!」


「そんな嫁ちゃんが?」


 ――大好き!

 ぶち上がるテンションに、心のおもむくままエリカが好きだと叫ぼうとした瞬間、後頭部にはしる衝撃に言葉が喉に詰まる。


「なにしてんですかぁ!」


 俺の後頭部をドついたシャラはそう叫んだ。


 *


 おかしなテンションになっていたとはいえ、シャラ相手に不意打ちを許した事に驚き固まる。

 鬼気迫る、というより涙目になったシャラが俺の襟首を掴んで叫ぶ。


「戦争でも始めるつもりなんですか!?」


 叫びながら指さすシャラの指先を追う。

 視線の先にソルンツァリの秘技を弾いて過負荷に一部が赤く変色したヘカタイの結界がうつる。


「あー壊れてないからオッケー?」


 んなワケあるかぁ!

 シャラのお手本のような渾身の叫び。


「普通に一発死刑ですよ!?」


 シャラが両手で頭を抱えて叫ぶ。


「ていうかこの夫婦がどっちかでも死刑だなんて受け入れるはずないから戦争じゃないですか!? 確定的に戦争じゃないですか!?」


「まてまて落ち着けシャラ」


 俺とて分かっている、街の結界に対しての攻撃が重罪である事に。

 だがそれでも俺はソルンツァリの秘技が上空へと弾かれた事に安堵したのだ。


 神器を核とするヘカタイの結界ならば、一発や二発なら耐えるだろうという確信があったからだが。

 それ以上に結界に当たったのなら実質的に被害はない、だから俺は安堵したのだ。


 人的物的被害が無いのなら、俺達が作った“貸し”は十分に大きいのだ。

 平民かつ教会の人間であるシャラには少し分かりづらいかも知れないが、これでも俺は貴族である。


 その程度は脅して――もとい交渉でどうにかなるだろう。

 やった事ないけど。


「というわけで大丈夫だ」


 早口で説明した俺をシャラが詐欺師を見る目で見てくる。


「エリカが言うならともかく……ってエリカは?」


 シャラの言葉に俺はそっとエリカを指さす。

 岩のように気配を消し、首筋を両手で押さえながら顔を伏せしゃがみ込むエリカ。


「いったい何が?」


 そう問いながらも言外にお前が悪いと思っている事を滲ませるシャラの声。


「貴族の悲しいさがのせいかなぁ」


「絶対に違うでしょそれ」


 きっと――、シャラが言葉を繋げようと口を開いた所で、気配どころか文字通り姿まで消していた理不尽師匠が唐突に現れる。


「ひぇ」


 シャラが小さく息を飲む。

 変なテンションの俺に不意打ちとはいえ一撃いれたシャラを警戒して姿を消していたのだろう。


 必要あれば間違いなく俺ごとシャラを攻撃する気配が辺りに充満していたので、さっきから生きた心地がしなかった。

 姿を現したという事はすぐにはそうならないという事だ、俺は息をつく。


「シンさんを吹っ飛ばした何か!」


 見えてたのか、シャラの叫びに感心し、戦闘態勢に移るその蛮勇に戦慄する。

 顔を青ざめさせ、それでもなお恐怖を腹の内に落として拳を握るその姿は、シスターというより冒険者俺達側の面構つらがまえだ。


 やっぱりコイツ頭おかしいな。

 つい笑顔が漏れる。


 なに笑ってんですか!

 シャラが叫ぶ。


「エリカ! お願いエリカ起きて! こいつヤバい! 人類のフリした魔物か何かです! きっと皮膚の下はオーガみたいな顔ですよ!」


 師匠の頬が一瞬ひきつる。

 目の前に理不尽を突きつけられてディスれるその精神性は狂気の産物だが、その内にある何が何でも一撃加えてやる、という生き汚なさは俺にとっては高潔さと同義だ。


 ファルタールを出てから俺は随分と運が良い。

 気持ちの良い連中とばかり知り合っている気がする。


 つい師匠に自慢げな笑みを向けてしまう。

 それはそれとして――。


「まった、シャラ、まった、それ以上はいけない」


 背後からシャラの口を手の平で塞ぐ。

 ホガホガと叫びながらシャラが俺を睨んでくるが無視する。


 知らないとは言え、吐く息は馬糞の匂いとか歩く度に足下からゲップみたいな音がするは言い過ぎだ。

 お前はそこまで言って他に何を言い足すつもりなのか?


 見ろ、あの“親切なバルバラ”がショックを受けてるぞ、快挙かいきょだぞ快挙。


「その……」


 うわマジで快挙だ、師匠が言葉を探したぞ。


「教会の連中はコッチがアタリみたいだね」


「いやコイツが一等頭おかしいだけだよ?」


 師匠の言葉につい本音が出る。

 フガーと叫ぶシャラはきっと、どういう事ですかーとか何とかだろう。


 それに対して師匠が浮かべたのは苦笑だったのか、それとも満足したが故の物だったのか?


「嫁ちゃんも見れたし、弟子に面白い仲間がいるのも分かったし師匠は仕事に戻るよ」


 それに……。

 真意の分からない笑みを浮かべた師匠が言う。


「弟子の申し開きを聞くのは今度で良いしね」


 ――は?

 強度を下げた身体強化では殆ど消えた様にしか見えない速度で師匠が立ち去る。


 巻き起こった風に頬を撫でられながら。


「は?」


 俺はもう一度そう呟いた。



*****あとがき*****

シャラさんがいなかったらこの小説が終わる所でした。

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