第134話 元侯爵令嬢様の冴えたやり方7

 *


 おらやんぞ!すぐやんぞ!

 そんなテンションで剣を抜いた所でラナから待ったが掛かった。


 街の外へ強制移動である。

 当然ながら抗議をした。


「おい、ルールはどうした?」


「ギルド職員には当施設の利用者の安全を守る義務がありますから」


 言っている意味が分からなくて首を傾げそうになった。

 ラナの口が“バ”の形になった所で意味が分かったので慌てて手を横に振る。


 そんな俺を見てラナが酷く冷めた顔をする。


「柵じゃなくて建物が壊れたら失格にルール変更する方が良かったですか?」


 皮肉がめっちゃ刺さる。

 ジェンさんでもそこまで刺しにこないよ?いや刺してくるか。


 エリカは突然のルール変更にお気遣いありがとうございますと礼を言い、顔真っ赤な俺はぐぅっと唸った。

 ぐぅのは出たぞ?


 立会人のラナをエッズとパルに運んで貰い、俺達は街の北側へと出た。

 エッズとパルに丸太のように抱えられて運ばれるラナが死んだ目をしていたが、場所を変更したのは彼女本人なので我慢して貰った。

 ヘカタイの北側は魔境側という事もあり畑も何もない。


 いつもだったら一人か二人かは剣を振ったり魔法を練習したりしている北側だが、今日は誰も居ない。

 やはり俺達が昇格試験を受けるという噂が広まったせいで冒険者の多くが遠くの街の依頼や、普段はしないような魔境の中層への冒険に出かけたというのは本当のようだ。


 正直、俺達がお前達に何をしたと言うのか? と思わないでもないが顔には出さない。

 ラナにまた蛮族と馬鹿にされるのが分かるからだ。

 いやしかしこうやって剣を持ったエリカと真正面から向かい合うと学園の時の剣術の授業を思い出してしまう。

 剣術の授業なので当然ながら組み手があるわけだが、割と戦う事に関しては現実的な学園なので組み手の相手は次から次へと変わるのだが。


 俺はちょっとした事情のせいでずっと同じ相手だったのでエリカと剣を交えた事は一度も無い。

 いつも、いつもの様に遠くから見る事しか出来なかった。


 エリカに腕を打たれ剣を落とし、剣を弾き飛ばされた上に足払いで地面に転がされたり、鋭い突きを喉元に寸止めされたりしていた同級生達が羨ましくて仕方なかった。

 特に突きを寸止めする時の鋭い目とか最高である。

 あんな目で俺も見られたい。

 今や遠き日々の学園の日々を思い出しているとエリカと目が合った。


 不満げな顔をしている。

 疑問が顔に出たのかエリカが口を開く。


淑女レディを前に上の空は失礼ですよ? シン」


「すまない、ちょっと学園の剣術の授業を思い出してた」


 俺の言葉にエリカも過去を思い浮かべたのが分かった。

 そういえば、とエリカが呟く。


「学園の授業では貴方と一度も当たった記憶がありませんね」


 ふとエリカの眉間に皺がよる。


「サボってました?」


「授業には真面目に出てたよ」


 割と真剣な声音の疑問に苦笑しながら答える。

 サボったら君が見れなかったしね。


「俺はちょっとした事情で相手が固定だったんだよ」


 俺は腕をほぐしながら事情を説明する。

 身体は十分にほぐれているが、ジッとしていられない。


「学園の授業で思い出しましたが、昇格試験の内容はどうします? 学園方式でも良いですよ?」


 学園方式? 一瞬疑問符が浮かぶが直ぐに分かる。

「いや身体強化は有りにしよう。単純に剣術だけでの対戦となったら俺に勝ち目がなさ過ぎる」


「また謙遜を」


 エリカが苦笑を浮かべるが、何一つ謙遜などしていない。

 身体強化無しでエリカと剣で戦ったら、おそらく俺は十合もたないだろう。


 学園での剣術の授業では身体強化の使用は禁止されていた、理由は変な癖を付けない為だったが。

 それすなわち体格差のある男女では男が有利だったのだが、エリカは入学以来無敗だった。


 一族郎党、戦う事こそが我が家の務め、みたいな武闘派貴族の息子がエリカに軽く転がされていたのだ、羨ましい。

 学園でのエリカの評判、剣と魔法の申し子というのは何一つ伊達ではない。


「シン」


 八合目ぐらいかなぁ、たぶんこう指を砕かれて剣を握れなくなった所で剣を巻き取られてそのまま地面に組み伏せられるんだろうなと、俺が考えているとエリカが真剣な顔をして言う。


「身体強化有り、ただし魔法飛び道具は無しで、首から上以外では寸止めも無しで」


 随分と過激な条件だな。

 殆ど貴族同士の決闘だ。


 つまりエリカは俺が首から上で寸止めをミスるとは思っていない。


「了解した、万が一にでも顔に傷つけたら責任取るよ」


 回復魔法が使える事が当たり前の貴族同士のジョークを交えて了解の意思を伝える。

 一瞬だけエリカが変な顔をして頷く。


 何か伝え忘れた条件でもあるのかと、尋ね返そうとする前に声が掛かる。


「というわけで、お互いの合意は成されたという事で良いですね?」


 呆れ顔のラナだ。


「これ以上の蛮族ルールが追加される前にギルドからのルールの追加です。街道を、まぁ十分離れてますが、街道を破損させた場合は即時中止とします。また街道の修理費はそちらで負担して頂く事になります」


 ファルタールの古式ゆかしい貴族の決闘ルールが蛮族ルールと言われてしまう。


「言っておきますけど、決闘なんて今時お貴族様でもやりませんからね?」


 顔に出たのかラナから指摘されてしまう。

 俺は当然ながら何のことか分からないフリをする、蛮族とこれ以上言われるのは勘弁だ。


 視界の端でエリカも何のことで御座いましょう? みたいな顔をしている。


「いやもう深くはツッコみませんけどね? じゃあ始めますからね? 私が合図して」


 あの、とラナが百足程離れた場所にいるエッズとパルを指さす。


「あそこまで避難、もとい離れたら開始してください」


 俺とエリカはそれに無言で頷き、ラナがさっと手を上げる。


「始め!」


 *


 ラナがエッズ達の場所まで走る間の抜けた時間は、真剣なエリカの顔に見惚れている内にあっという間に過ぎた。

 貴族の決闘ルールにのっとり、五足の距離を取り互いに剣は鞘に入れている。


 互いの呼吸は深く静かで、相手に呼吸のタイミングをさとられぬようにと胸は動かさない。

 呼吸のリズムを無くした俺とエリカの間に平坦な時間が横たわる。


 張り詰める余地すらない硬質で平坦な時間は――しかしてすぐに終わり。

 身体強化された耳が硬い街道を踏んだ足音を聞いた瞬間に俺は自分の胴体が離れる姿を幻視した。


 嘘だろ? という驚きの感情と共に、当然だろ? という皮肉気な納得が同時に来た。

 相手はエリカだ、初手から手加減無しの必殺が来るのは当然だと納得する。


 俺がエリカの恐ろしいまでの速い初撃を避けられたのは、単に経験の有無とエリカの視線魔力が素直だったからにすぎない。

 膝を曲げ、上半身を最大限に仰け反らせながら俺は師匠に感謝する。


 五回中三回は胴体が下半身とサヨナラするようなイカレタ訓練が役に立つ日が来る事自体に驚きだ。

 貴族の決闘ルールにならって取った五足の距離をエリカがまばたきの速度でゼロにし、振り抜いた彼女の剣が俺の鼻先を通り過ぎたのだと頭が理解したのは、体勢を大きく崩している俺に追撃を入れようとする容赦の無い彼女の姿を認識した時だった。


 ちなみにここで地面に倒れて横に転がる、無理な体勢でも剣で受ける、は悪手だ。

 五回中二回は避けられた先で何度試しても俺は失敗している、師匠め。


 正解は、足払いだ。

 俺は地面に左手を付いて、それを軸に身体を倒したままでエリカの足下に向かって蹴りを放つ。


 上手く当たっても足を折れるかも怪しい蹴りだがエリカはそれを追撃の為の踏み込みを止める事で避けてくれた。

 有難い、一番楽な選択肢を取ってくれた。


 俺は蹴りの勢いと左手を使って体勢を立て直しながら、やっとで剣を抜く。

 吐く息には既に魔力が混じる。


 剣を抜かずに負けるという、考えうる情けない負け方の最上を回避出来た事に安堵する。

 ――が、続いて降り注ぐ魔力の線に俺は言葉を無くす。

 嘘だろまさかコレ全部か?


 十や二十では足りない黄金の魔力の線視線に、俺の身体は考えるまでも無く二つ目の身体強化の魔法陣を構築し、捻り上げられる内臓を回復魔法で治しつつ彼女の剣を迎撃する。

 エリカの視線それはオーガナイトのような魔法の先触れではない。


 ただの視線に乗った魔力に過ぎない。

 つまり防ぐには動体視力が必要になる。


 どこを見ているか分からない師匠とは違う意味で防ぐのに困難極まる。

 ソルンツァリの宝剣が折れるかも? 等と考えた時には既に五回以上弾いた後だった。


 当然ながら杞憂きゆうだ。

 俺の剣の半分程度の厚さしかないソルンツァリの宝剣は、恐ろしい事に剣と剣が何度ぶつかり合おうとも、火花ひとつ上げる事は無かった。


 あれで本質は剣ではなく魔道具だというのだから、作った奴のド変態っぷりが良く分かる。

 金属と金属がぶつかり合う音は耳朶じだを打ち、初手からして吹っ飛んだ主導権は取り戻そうにもオーガナイト以上の速度と密度の剣がそれを許さない。


 嗚呼、でもしかし。

 エリカの剣は何と美しい騎士団剣術であることか。

 高強度の身体強化中であるにも係わらず、その動きに雑さや無駄は無く。

 その動きの裏にある高密度の術理の理解、そしてその修練が見て取れる。


 ファルタールの騎士が、人そして魔物の両方に対応する為に作られた術理。

 その特徴は集団で戦う事を前提とした、圧倒的なタイマン力だ。


 とにかく目の前のコイツは自分が殺す。

 そのシンプルな思想は足を止めての打ち合いでは無類の強さを発揮する。


 人間の身体なぞ所詮は二足二腕。

 曲がる方向にしか身体は曲がらないし、動く方向にしか動かない。


 術理の数は多かれど、どの流派も極論すれば精神論に突き当たる。

 斬るか突くかの先にあるのは、“何を”と“どのように”のシンプルな答えだ。


 騎士団剣術のそれは、横に立つ人間が倒れてもすぐに補充される事を前提とした“目の前の目標を”“真正面から”というシンプルさに帰結した。

 つまり、横に回れば良い。


 多少の雑さを許容し、エリカの剣を大きく跳ねのける。

 エリカ相手にそれで出来る隙は瞬き以下だが、要はそれより速く動けばいいのだ。


 足裏が地面を削る無様は今は甘受かんじゅする。

 エリカ相手にそこまで気を遣っている余裕がない。

 エリカの側面を取れた、自分の速度がエリカに通用した事に全身が高揚する。

 嬉しい、もしかしたらエリカは褒めてくれるかもしれない。


 そして俺は納得する。

 成る程、確かに彼女は剣と魔法の申し子だ。


 吸い付くように俺の胸へと向かう黄金の魔力に、側面へと回り込んだ俺を真正面に捉える翡翠色の瞳。

 俺の動きに吸い付くように、エリカがまるで独楽コマの上に乗っているかのような動きで俺を真正面に捉える。


 それは人間の動きですかね?

 足を動かしもせずに、まるで氷の上で滑るような動きについ愚痴が出そうになる。

 誰だ人間の身体なぞ所詮は二足二腕とか言った奴。


 とにかく俺がエリカの動きに気が付き出来た事と言えば、色々と諦め、凄い痛いのを我慢しようと覚悟を決める事だけだった。

 俺は避けにくい胴を狙った横振りの構えを必死に解き、間に合ってくれる事を半ば祈りつつ左手を差し込む。


 エリカの突きの先端に。

 知ってるか? 人間は腹をえぐられるより手の骨をバッキバキにされた方が痛いんだぜ?


 *


 痛みで悲鳴が出なかったのは単純にエリカにそれを聞かれたくなかったからであり、右の胸を狙ったエリカの突きに左手を差し込めたのは単に俺の運が良かっただけだ。

 突きを食らった俺は四足程後ろに吹っ飛ばされ、ちらりと確認した左手が原型を留めている事に安堵した。


 すぐに来るだろう追撃に備えて、指がかろうじて動く程度にしか回復していない左手を剣に戻す。

 いや本当に痛いんですけど!?


「今のは……」


 だが追撃の代わりに来たのはエリカの声だった。


「取ったと思いましたのに」


 若干の悔しさが混じっている事に痛みを忘れそうになる。

 その声に、嗚呼これは実戦ではないのだと当たり前の事実に思い至る。


 なので自分の口からも軽口が突いて出た。


「魔法は無しなんじゃなかったのか?」


 先程のエリカの動きを思い出しながら言う。


「あら? わたくしは飛び道具は無しと言いましたのよ?」


 ――ほら。

 悪戯が成功した子供の顔をして、エリカが先程の動きをやってみせる。


 空気が切り裂かれる音がするとエリカがその場で足を動かす事無くクルリと回る。

 風魔法で自分の身体を押しているのだ。


 何気なくエリカはやっているが、やっている事はエゲツない。

 同じような事をする冒険者はいるが、エリカのように身体の至る所から魔法を発動させ、細かく制御できるような人間なぞ見たことが無い。


 くるっと回ったエリカがその勢いを綺麗に逆方向の風魔法で打ち消していたが、それはそんな涼しい顔でやるような事ではないのだ。

 風に舞った赤髪が陽光に透けてルビーのように輝く様子の方が俺にとっては重要だったが。


「速さだけが取り柄だったんだがなぁ」


 先程のエリカの動きを思い出しながらつい口から愚痴が出る。

 風魔法のアシストを使いながら動きに雑さが無いなら、速さだけでエリカを突き崩すのは至難の一言だ。


 先程の軽く回った児戯のような風魔法ではなく、戦闘中に俺の動きについてきた風魔法がえぐった地面の跡を見て俺は嘆く。


「貴方の剣の素晴らしさをわたくしに語らせたら少々お時間を頂く事になりますが。そうさせたいのですか?」


 学園では使う機会の無かっただろう剣を振るうことが楽しいのか、エリカが嬉しい事を言ってくれる。


「俺にこそ君の剣が如何いかに凄いかを語らせたら日が沈むよ。だけどまあ時間は有限だ」


 完全に治った左手をヒラヒラさせる。

 楽しい、自分の素直な気持ちを認めつつ、なけなしの真面目さを発揮する。


 これは昇格試験であり実戦では無い。

 常識的な範疇、だと思うギリギリまで身体強化の強度を上げる。


「今回は俺が試験官だからね」


 俺は剣を構える。


「先手は君に譲るし、俺はここから一歩も動かない」


 言葉の端に青い炎が揺らめく。


「大丈夫、安心してくれ首から上は寸止めするのを忘れないから」


 俺の煽りに彼女が声も無く笑う。

 壮絶に艶やかに。


「それではその胸、お借り致しましょう?」


 謎の疑問形が耳に届く前にエリカは足を踏み出した。

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