第122話 胃痛辺境伯のオープニングセレモニー
自分は何か恨まれるような事をしただろうか?
マキコマルクロー辺境伯コムサス・ドートウィルは読み終えた報告書を机に戻しながら首を傾げた。
自分にそんな権限は無いと知りつつも、ロングダガー夫妻に同行した教会のシスターに報告書の提出を望んだ事がこんな嫌がらせを受ける程の事だろうか?
何なんだこの夫婦がイチャつく様子だけが詳細に書かれた自称討伐報告書は?
肝心の黒化した竜の討伐部分なんて三行だぞ、三行。
しかも内容がお前、シンさんが消えたと思ったら蒼い炎がバーとなって竜がバラバラになりました、ってふざけてるのか?ふざけてるよね?
報告の意味って知ってる?
いや帰還の翌日に提出してくれたのは感謝するけども。
辺境伯コムサスは目頭を慎重に揉む。うっかりするとゲップが出そうである。
「いやまぁ、申し訳ない」
たいしてそう思っていない声がコムサスにかかる。
声の主が涼しい顔で応対用のソファに座りながらお茶を飲んでいる事に腹がたつ。
「お前の所のシスターは
一介のシスターに恨み言をぶつける事なんて出来ない。
なのでコムサスは声の主に恨み言を存分にぶつける。
ハッハッハ。
声の主、マキコマルクロー辺境伯教区の最高責任者、ビバル・ビバルディ司教が誤魔化すように笑う。
つまりはこの報告書を書いたシスターが特別だという事だ。
コムサスが恨みがましくビバル司教を睨み付けるが相手は涼しい顔である。
「いやそれにしても、冒険者としての顔をする貴方というのも懐かしいものでしたな」
誤魔化す為、ではないだろう本物の懐かしさに目を細めてビバルが話題を変える。
また上手く話題を逸らされるのだろうな、コムサスは昔を思いだしながら昔なじみの司教に手を振り止めろと言う。
「お前とパーティーを組んでいた頃とは違いすぎるさ、出来れば二度と御免被るね」
コムサスは随分と丸くなった自分の身体を見下ろして言う。
兵達、冒険者達を前に言った事は全て本気であったが、あのまま本当に黒化した竜を前にしたら言葉通りにはならなかっただろう。
おそらく自分は竜に一太刀いれる事もかなわずに死んでいただろう。
全盛期は遠い昔の話だ。
いや、これも過去の美化だな。
コムサスは心中で苦笑を浮かべる、自分も年を取ったものだと。
「全盛期であったとしても私には一太刀浴びせる事すら難しかっただろうよ」
自分はそんな大した冒険者ではなかった。
辺境伯の跡継ぎという立場から逃れる為に冒険者になったような半端者だったのだから。
「そうですかね?」
その大した事のない全盛期を知る元パーティーメンバーの司教はお茶を飲みながらそんな事を言う。
ヘカタイが有力な冒険者の多くを失った大変な時期から立ち直ろうと、街一丸で努力をしていた時期を共にすごした仲間だからとしても、それは過大評価に過ぎる。
コムサスはそう思いつつも少し嬉しくなってしまう。
いかん、過去を褒められ喜ぶなど、そこまで老けるわけにはいかない。
なので思考を今に戻す。
「それにしてもお前の所のシスターはとんでもないのと知り合ったものだな」
「それも神のお導きでしょう」
司教、というよりは父親のような顔をして言うビバルを見て首を傾げそうになる。
喜ばしい事なのだろうか?
相手は実質単騎で黒化した竜を倒しちゃうような奴だよ?
もう片方は光の巫女暗殺未遂犯だよ?
捨て置けない疑問が浮かぶが、そう言えばコイツも大概だったなと、コムサスは冒険者時代の司教を思い出してその疑問を片付ける。
「おかげで私はその対処に頭を悩ませているよ」
いやホントにどうしたら良いんだろう?
黒化した竜の討伐に成功した冒険者にどう
相手がただの冒険者ならまだしも話は単純だ。
釣り合うだけの褒美を渡せば良い。
だが相手は追放された他国の元貴族だ。
対応を誤れば最悪は戦争だ。
しかも相手は“あの”ファルタールだ。
更に言うとその追放された元貴族は光の巫女暗殺未遂犯という教会の敵だ。
下手をしたらマキコマルクロー辺境伯領は中央から見捨てられかねない。
想像しただけで胃がギリギリと締め付けられる。
口から漏れそうになるのが溜息なのか
遙か昔、ファルタールと関税だか何だかで揉めた時に、ファルタールなど小国なのだから力でねじ伏せれば良い、等と考えた若かった頃の自分の愚かしさを思い出す。
良く思いとどまってくれた若い頃の俺、あんなのを国外追放に出来る国と喧嘩しちゃ駄目絶対。
思わず胃のあたりに手を伸ばすコムサスに軽い声がかけられる。
「何もしなければ良いのでは?」
ビバルの
「いやしかし……」
ああ、だが、確かにその通りだ。
コムサスは腹から手を離し、顎に手を当てて考える。
追放された貴族が他国で目立ちたい等とは普通は思わない。
相手が“普通”なのかは議論の余地があるが。
「望む物があれば向こうから言いましょう」
それはそれで嫌だなぁ、とコムサスは思う。
前もって準備できない状況というのは嫌いなのだ。
だがあの二人が望む物となるとまったく想像がつかない。
つまりは準備もできない。
うーん。
「私の首くらいで済むなら良いんだがなぁ」
半ば本気の心配が混じった呟きだったが、それを聞いたビバル司教は腹を抱えて笑いだした。
コムサスは昔と変わらず楽観的な元パーティーメンバーを羨ましく思いつつも睨む。
「いやすいません、つい」
クツクツと笑いながら謝るビバルに、コムサスが鼻息だけで不愉快だと示すと、丁度そこにノックの音が重なる。
「どうぞ」
そう貴族らしからぬ物言いでノックの人物を招き入れるコムサスをビバルが懐かしい物を見る目で眺める。
入ってきたのはドートウィル家に仕える執事だった。
火急でございます、との言葉と共に渡された封書を
コムサスは自分の眉が引き攣るのを自覚した次の瞬間には倒れていた。
「コム!?」
椅子ごと仰向けに倒れた自分に向かって、懐かしい愛称を叫びながら駆け拠ってきたビバルの腕を掴む。
「ビバル、お前の所のシスターも大概だぞ」
コムサスは何故か一片の疑いも無く、件のシスターが単に報告書に書くのを忘れていただけだと確信しながら、元大概だったプリーストに言う。
光の巫女に隣国の王子、ついでに法王だと?
俺の胃に何か恨みでもあるのか。
さて、どうしたものか? コムサスは胃の激痛に耐えながらそんな事を考えた。
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