短編8 パンタイルは全ての悪徳に背いて8

 *


「何を話せと言うのだ?」


 椅子に座ったジェニファーリン・パンタイルは短い沈黙を挟んでそう言った。


「あの坊主も言ってたじゃないか、友人と話す事に意味なんて探すもんじゃないってね」


 良い言葉じゃないか。

 そう言って笑うコークスを見て、ジェニファーリンは唇を浅く噛む。


 死を間近にする友人との会話で、話す意味など探すな、など出来ようはずがない。

 何を話そうとも、それにかなう価値を見いだせない。


 故に沈黙が続き、胸が詰まるほどに話したいというのに言葉は何一つ出てこなかった。

 自分は何を話すべきなのだ?


 ジェニファーリンは今日、数えるのも億劫になる程くり返した疑問を自分に投げかける。

 それとも私は彼女から何かを聞くべきなのだろうか? 何か果たせなかった思いや、残したいと思った思いを彼女から受け取るべきなのだろうか?


 ジェニファーリンは口を開こうとしたが、唇が戦慄わなないただけだった。

 そう問うことすら、死を前にしてそれだけの価値があるのか分からなかった。


「まったく、出会った頃のアンタが今ココにいたらなんて言うだろうね? 笑うかね? まぁそうなるなら私は随分と上手くやったという事だろうね」


 自分には理解出来ない呆れと皮肉を吐くコークスの顔をマジマジと見てしまう。

 小さな魔石灯に照らされるその顔は、驚くほどに白かった。


 ジェニファーリンは息を飲む。

 私は友人がこんな顔をしている事にも気がつけていなかったのか。


 そうと気が付いた瞬間、ジェニファーリンは衝動的に言葉を発しそうになった。

 全ての思考を投げ捨てて、感情だけが口を突いて出ようとした。


 だがそれを食い止めたのは、そうさせた友人の白い顔だった。

 強烈な皮肉がこもった笑顔。


 言葉にせずとも伝わる、“そう”ではないだろうと。

 私とアンタの間にあるのは、そういう物じゃないだろ?という同病を哀れみ皮肉る強烈な意思。


 同じ空虚の輪郭をなぞった二人だけが相通あいつうずる感覚に、ジェニファーリンは言葉を飲み込む。

 私は間抜けか?意味など求めないにしても流儀という物があるだろうに。

 ジェニファーリンは溜息を吐いた。


 溜息を吐き終えれば、目の前には期待するようなコークスの目がある。

 よろしい、ならば期待に応えようではないか。


「墓碑銘でも決めようか、我が友よ」


 ジェニファーリン・パンタイルは実にパンタイルらしい笑みを浮かべた。


 *


「お前の友情をくれ、コークス・カンデライト」


 そう言って自分の古い名前を呼んだ八歳の少女は、良く知った闇だった。

 飽き飽きし辟易へきえきし、世界その物に「この世はつまらない」のだと何度も告げられた者の顔だった。


 唯一ゆいいつ自分と違う点は、それでも手を伸ばせるというその一点だった。

 それが少女の出せる最大限なのだろう、大きく開いた幼い手の平は、本当に、本当に小さく。差し出された瞬間からコークスは眼を離せなかった。


 手を伸ばせなかった自分を思い出す。

 いや、正確には手を伸ばす事すら思いつけなかった自分を、だ。


 現実では一瞬、だがコークスからすれば驚くほど間の抜けた数瞬後。

 遙か昔に捨てた本名を呼ばれた事に驚いた。


 *


「生涯ただ一人の男を愛した女コークス・カンデライト」


「いきなりぶっ込んで来たね」


 コークスが呆れたように笑う。


「そんなに私が結婚していた事を知らなかった事がお気に召さなかったようだね?」


「愚問だね」


 紙に墓碑銘を書きながらジェニファーリンは答える。


「単純にそんな面白い話を私に黙っていた事が気に入らないね、大いに気に入らない」


 自分の素直な言葉に苦笑を浮かべる老婆に、ジェニファーリンは視線だけでこの墓碑銘はどうなんだ?と問う。


「駄目だね」


 返ってきたのは否定の言葉だった。


「そうさね、確かに生涯唯一の愛だっただろうさ。それは間違いないが、単純に“後”が無かっただけの話さ」


 しかも……。

 老婆が古い傷口を見る目をする。


「それを捨てた女がそんな墓碑銘にするなんてのは、本人が知ったらさぞ不愉快だろうさ」


「まだご存命なのかな?」


「いや、とっくに死んでるね。割と幸せな人生を送れたんじゃないかね?」


 おそらく調べて知っているんだろうな。

 ジェニファーリンはそう思ったが深くは聞く事はなかった。


 友人の顔を見ればかの男性の人生が真実そうであったのだろうと分かった。

 少なくとも最後までその一歩は美しかったのだと友人は思っているのだ、ジェニファーリンには分かった。


 どちらにしろ昔の話さね。

 そう言って言葉を結んだコークスを見てジェニファーリンは紙に書いた墓碑銘に横線を引く。


 まあ第一案で決まるとは思っていない。

 ふむ。


「それでは……希代の賭け師、子供の言葉に全てを賭ける愚か者コークス・カンデライト」


「おっと自分の失敗を他人の墓碑銘にしようとは、中々に豪胆だねパンタイル」


「八歳の少女を、それも護衛対象を連れて賭場に行く時点で存分に大きくってると思うがね?それに私は失敗してないよ。あの時、儲け損なったのは私のせいじゃなくて、どこかのカンデライトがイカサマの裏をかいただけに満足せずにそれをネタに毟ろうとしたからだろう?」


 過去を改変しようとする友人を訂正する。


「過去の細かい事を。だいたいゴーサインを出したのはアンタじゃないか? 私は護衛だよ? 主人の許可が無ければあそこまではしなかったね」


 相手からも反論が来た。


「当時はまだちょっと引き際というのが良く分からなかったんだよ、こっちは八歳だったんだぞ?」


 あんな八歳が居て堪るか。

 友人が過去を思い出してぼやく。


 それに対してジェニファーリンは反論を試みる。


「確かに賭場が半壊したが……いや全壊か」


「全壊だったねぇ」


 自分の訂正に律儀に相槌を打つコークスにジェニファーリンは苦々しい顔をする。

 他人事のように言っているが賭場を全壊させたのはこの老婆だ。


「全壊させたのは私のせいでもあるが……」


 言葉を最後まで続けようとしたが、友人の視線に負けてジェニファーリンは言葉を飲み込む。


「分かったよ、分かった。そうさ、八歳の私がちょっと踏み込みすぎたんだよ、八歳の私が。でもその後に暴れ回ったのは私じゃ無い」


「的確に優先的に叩きのめす相手を指示してた人間が言って良い言い訳じゃないねぇ」


 ケッケッケ、怪鳥の鳴き声のような笑い声を上げるコークスを見てジェニファーリンは遂に降参する。


「よし、無しだ。この墓碑銘は無しだ」


 コークスの返事を待たずにジェニファーリンはメモに横線を引く。

 線を引きながらジェニファーリンは考える。


 狙った訳ではないが墓碑銘を考えるというのは、思い出話になってしまうものだな。

 まあ当然か、人生の終着点で付けるのだ。


 それは未来には求められない、過去からだけだろう。


「さてと次ぎは――」


 それは思った以上に楽しいものだった。

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