短編8 パンタイルは全ての悪徳に背いて9

 *


 シンはすぐに見るという行為を諦めた。

 自分の身体強化では、どれほど眼を強化した所で夜の森の中ではたいして見えない。


 だったら形が見える程度で良いとシンは早々に割り切った。


「こんのッ!」


 シンは自分の脇腹に噛みつく四つ足の魔物の首とおぼしき場所に剣を突き立て、ねじ切るようにその首を落とす。

 へし折れた肋骨を回復魔法で治す間もなくチャコ・カンデライトから渡された魔道具が明滅する。



「人使いが荒いっ」


 そう毒づきながらもシンはチャコの的確な動きに感心する。

 現在シンとチャコは別々に行動していた。


 チャコはシンに先行し群れを少数に分断、シンはその分断された群れを狩って回っている。

 森に仕込んだ罠を使っているとはいえ、群れを分断しそれらが再び一つにならないように足止めするという難しい仕事を一人でこなすチャコに素直に感心する。


 チャコからすれば、分断したとは言え一人で魔物の群れを狩り回っているシンこそ異常だと言うだろうが。


「次はどっちだ」


 魔道具が指し示す方向を確認しながらシンは肋骨がくっついた事を触って確認する。

 嗚呼畜生、服に穴が空いている。


 いや、いかん。

 流石に肋骨より服の心配をしだしたら貧乏性が極まり過ぎてる。


 ジェニファーリンが聞けば皮肉たっぷりの呆れを聞かされるような事を考え、シンは短く深呼吸すると駆けだす。

 友人の大切な時間を邪魔させるわけにはいかない。


 つまりは全て殺せばいいのだ。

 シン・ロングダガーは見つけた次の群れに向かって飛びかかった。


 *


 私はこの世で一番美しい物を見た。

 私はこの世で一番愛おしい物を見た。


 同じ空虚をなぞった少女の、それでもなお差し出せる小さな手。

 終着点まで歩み続ける一歩こそが尊く美しい。


 そうであるならば絶望に足を取られた人間が踏み出すその一歩は至高ではないのか?

 私はその手にそれを見いだした。


 足を止めた自分には無かった物だ。

 世界から、お前は“こう”なんだと告げられて心が折れた自分には出来なかった事だ。


 若さ故だろうか?

 疑問は内省ないせいによってすぐに答えが出た。


 実際その通りなのだろう。

 若さ故に少女は手を伸ばせるのだ。


 自分がその若さを持っている時に、手を伸ばせる人は居なかった。

 手で受け止めた物がすり抜ける感触だけがこの手に残る人生だった。


 かつての自分にもし手を伸ばせるような他人ひとが居たら。

 甘美な想像は痛みを伴う、鎧のように重なった瘡蓋かさぶたが剥がれる感覚は、その下には癒えぬ傷がある事を自覚させる。


 私にもコークス・カンデライトが居たら。

 そう想像したらもう駄目だった。


 伸ばされた手を握ったのは、真実それに自分がすがったからだ。

 この少女をもし無聊ぶりょうから救えるのなら、もしかつての私を救えるのなら。


 嗚呼、私は全てを賭けるだろう。

 下らぬと意味すら感じられぬこの命にすら意味を見いだし。


 この少女の瞳が、如何様いかような世界をうつしていようとも。

 この少女が笑えるようにと足掻くだろう。


 終着点に向かって踏み出される、その一歩こそが美しい。

 コークス・カンデライトは終着点を見いだした。


 *


「我が友、コークス・カンデライトここに眠る」


 少し気恥ずかしかったがジェニファーリンは本命の墓碑銘を出してみた。

 自分には珍しく直球の好意を示した。


 ちょっと恥ずかしくてコークスの顔がまともに見れなかったので、つい視線を逸らしてしまう。

 そして返ってきたのは老婆の溜息だった。


「良いかいパンタイル、それは友達が少ない奴が数少ない友人にお前も友達が少ないだろ?私だけが友人だろ?っていう妄想を元に付ける墓碑銘だよ」


 はぅ。

 ジェニファーリンは叫び声を飲み込んだ。


「だいたい友達が居ない奴とも友人になれる様な出来た奴が友人が少ないわけが無いのさ。そういうのはソイツの葬式で参列者の数を見て墓碑銘付けた人間が後悔するからやめときな」


 お前そこまで言うか。

 頬が紅潮するのを自覚しながらジェニファーリンは反論をこころみる、言えば手厳しい返しがあると思いながら。


「いるもん、友達いるもん。シンがいるし」


 ビックリするぐらい舌がまわらなかった。


「おぉパンタイル」


 おうなんだ、なにが飛び出してくる、受けて立ってやるぞ、どんな言葉でもバッチ来いや。

 ジェニファーリンは覚悟を決める。


「そうだね、ツレなんてのは結局は量より質さ。あの坊主は大事にしな、ってなんだいその顔は?」


「いやてっきり聞けば自害したくなるような皮肉が飛んでくるものかと」


 そんな驚かれるような顔をしているのだろうか? ジェニファーリンは自分の頬を触り確認しながら言った。


「あの坊主に関しては皮肉は山のようにでるけどね。特にあの歳でアレはヤバすぎて絶句もんだよ、何なんだいアレは? 何をどうしたらアレになるんだい? むしろあの坊主と友人とかパンタイル極まるね」


 うぇっへっへ、我が友凄いだろ我が友。


「褒めちゃいないよ」


 呆れたようなコークスの声に顔を上げる。

 今のは褒め言葉だろ、褒め言葉。


「いや本当に全くパンタイルは」


「そう言うカンデライト殿はどうなんだい? さぞかし賑やかな葬式になるんだろうね?」


 一瞬の沈黙。

 友人がやおら真剣な顔をする。


「参列者はアンタ一人で十分さ」


 おまっ――。

 顔を直視出来ずに俯き片手で顔を覆う。


「この墓碑銘は却下だ! 絶対駄目! 次だ次ぎ」


 空いた片手を振って強制的に話を終わらせる。

 何なのだ、シンにしてもコークスにしても、こう我が友はホントもう、こう……我が友よぉ。


「なんだい、人が本音で言ってるっていうのに」


 だからたちが悪いんだよ。

 心中でそうぼやきながらジェニファーリンは紙に横線を引く。


 シンもコークスも変な所で似ている。

 身内に対して歯に衣着せなさすぎるのだ。


 何なのだ? 産まれながらのパンタイルキラーか貴様らは。

 ジェニファーリンは吹き出た汗が引くのを暫し待ってから、まだ提案していない墓碑銘を考える。


 王に毛生え薬を届ける者……、はもう言ったな、あれは良い商売だった。


「あーでは、命数を告げる者、残される者に悔い無きよう告げる優しき者、というのはどうだい?」


 コークスが苦笑を浮かべる。


「そんな風に優しく使った覚えはないけどねぇ」


「墓碑銘なんて盛ってナンボじゃないか」


 盛り方ってモンがあるだろ。

 呆れたようなコークスの声に親しみが滲むのが分かる。


 同病スキル煩う二人だけにしか分からない感覚だ。

 ジェニファーリンにしても、今となってはスキルの手綱を握っていると思えるが、幼い時はそれこそ振り回されて生きていた。


 思えば互いに一目見て同じようにスキルに振り回されている人間だと分かったような気がする。

 ジェニファーリンはパンタイル最大の秘密であるスキルの事をコークスに告げるのに躊躇が無かった事を思い出す。


 代わりに告げられたコークスのスキルも、聞いたところでもありなん、としか感じなかった。

 ジェニファーリンは父にコークスを紹介された時の事を思い浮かべる。

 もしかしてあの時自分がこの老婆に手を伸ばしたのは……。


「助けたかったのかもしれないな」


 ふと考え無しに言葉が口を突いて出る。


「何の……話だい?」


 老婆が白い顔を小さな驚きに染めて言う。


「嗚呼、いや始めて出会った時の話だよ」


 良く覚えてはいるがイマイチ今の自分との繋がりを感じられない過去。

 あの時自分はこんな事を考えたのではないのか?


 ふわふわとした感覚だけの理も思慮もない感情だけに任せてジェニファーリンは口を開く。


「酷く寂しい奴がいるものだとね、一族郎党、敵と味方は多かれど友達だけはさっぱり少ないパンタイルよりも寂しい奴がいるものだとね、そんな事を私は考えたんだよ」


 だから……。

 言葉を継ぎながらジェニファーリンは過去の自分を思い出すように薄暗い天井を見上げる。


「だから私は君と友達になりたかったんだよなぁ」


 意味も無くても無い、感情だけの言葉を紡いだジェニファーリンは、老婆から聞こえてきた震えるような吐息に我に返って赤面した。

 またぞろ馬鹿にされる。


 ジェニファーリンとて自覚はあるのだ。

 数字だけの世界にいてんでいた自分を救ってくれたのはコークス・カンデライトだと。


 今度はどんな皮肉が飛んでくるのか、ジェニファーリンは覚悟を決めてコークスに視線を向ける。

 おずおずとした態度だったのは、恥ずかしかったわけでは断じてない。


「いや待て!我が友どうした!どこか痛いのか!?」


 なのでジェニファーリンは大いに慌てた。

 コークスが片手で目を覆い震えていたからだ。


 死ぬと、今日死ぬと分かっている人間に対して向ける心配としては、思い当たるに遅すぎて滑稽極まりないが。

 ジェニファーリンは友が痛みを感じているかもしれないと思うと慌てずにはいられなかった。


「嗚呼……違うよ」


 老婆のかすれた声はジェニファーリンが戸惑う程の静謐さと優しさに溢れていた。


「居たんだね」


 何が? とは訊けなかった。

 あのコークス・カンデライトが泣いていると気が付いたから。


「私にも居たんじゃないか……ジェニファーリン・パンタイルが」


 ジェニファーリンは名を呼ばれた瞬間、衝動的に老婆の手を握りその背中に優しく手をやった。

 小さく震える老婆の背中は今なお一歩を刻もうとする者のそれだ。


 誇り高く愛しくたっとい一歩だ。

 終着点まで至るその一歩が、ジェニファーリンは愛おしくてたまらない。


「パンタイル、随分と遅かったじゃないか」


 何が一体遅かったと言うのか? コークスからの意味の分からない理不尽な文句に、震えるその声にジェニファーリンは苦笑する。

 不思議な事に何故か自分でもそう思ってしまう。


 商機にさとく、拙速せっそくな決断と見切り発車が得意なパンタイルらしくない。

 実にパンタイルらしくなかった。


 嗚呼、そうだね。

 我が友よ、遅かったこと私も悔しいよ。


 終着点に至るまでの欲得の一歩、それこそが尊く愛おしい。

 そしてジェニファーリンはそれが悲しかった。

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