短編8 パンタイルは全ての悪徳に背いて6

 *


 “冒険者”コークス・カンデライトは幸せだった。

 人は殺されれば死ぬ、当たり前の事実は世界を意味ある物に変えた。


 人生とは、長い短いではないのだ。

 数年前の自分が聞けば鼻で笑うような事を考えるようになっていた。


 世界の見え方が変われば受け止め方も変わる。

 受け止め方が変われば考え方も変わる。


 気が付けば人並みに人を好きになり、結婚していた。

 コークスは自分の変わりように驚くよりも笑ってしまった。


 だから毎日笑って生きた。

 笑って生きれば長い死への道が意味で溢れると思えた。


 幸せに生きるかどうか? とは酷く簡単な事なのだ。

 だからだ。


 簡単に絶望した。

 簡単な幸せは簡単に絶望に変わる。

 産まれた子供の寿命が三年だった。


 うとみはしたが、恨みはしなかった自分のスキルを始めて呪った。

 何故こんな物が見えるのか?


 スキルを神からのギフトであると言う教会の連中に聞きたかった、これは呪いではないのか? と。

 たった三年の命にいったい何の意味があるのか?


 親が産まれた我が子の人生の意味を疑問に思わなければならない、これは何かの罰なのか。

 何よりも恐ろしいのが、それでもなお我が子が愛おしかった事だった。


 コークスは産まれて始めて神に祈った。

 疎み恨んだ神にただただ祈った。


 だが死んだ、当たり前のようにあっけなく死んだ。

 幼い我が子が命数を使い果たすその瞬間を目の当たりにし、その幼い体躯から温もりが消えるのを己の腕で感じ、コークスは絶望した。


 我が子が死んだ事にではない。

 神が自分の祈りを聞き届けてくれなかった事にでもない。


 そんな物は絶望でも何でもなかったのだ。

 コークスは泣けない自分に絶望した。


 思えば母が死んだ時もそうだった。

 終わりが見える自分は、死が訪れるその時には既に覚悟が出来てしまっているのだ。


 初めから受け入れていたのだ。

 祈り生きてくれと願った自分が、本当は受け入れていたのだと知って、コークス・カンデライトは絶望した。


 嗚呼、これから自分はどれほど大切な人が死のうとも、涙を流す事など無いのだ。

 コークス・カンデライトは世界にではなく、自分に絶望した。


 *


 重症だ、これは重症だ。

 言い訳程度に柴を刈って戻ってきたシンは扉を開けた瞬間にそう思った。


 あのジェニファーリンが、黙って座っているのだ。あの、ジェニファーリンが。

 明らかに何か言いたげ、何か聞きたげな顔をして、あのジェニファーリンが黙って座っているのだ。


 思わず心中であのジェニファーリンと三度も繰り返し、実際に目にしてもなお頭が拒否するような光景に、シンはついその元凶である老婆を非難がましい目で見てしまう。

 つまりは、おいどうにかしろ、という目である。


 老婆、コークスはその視線にただ皮肉気な笑みを返してきただけだった。

 その笑みに溜息と幾つかの言葉を飲み込むと、シンは諦めたように椅子に座った。


 自分が戻ってきた事に安堵する友人に、重症だ本当に重症だ、そう思いながらシンは軽い頭痛を感じた。


 *


 コークス・カンデライトは、全てを捨てた。

 いや、全てから逃げ出した。


 自分と違い、我が子が死んだと涙を流せる夫から、死んだとしても泣いてやれない夫から。

 コークス・カンデライトは全てから逃げ出した。


 世界に絶望しても人間は生きていける、だが自分に絶望した人間が生きていくのは至難だ。

 腹が減れば飯を食い、眠りたくなったら眠り、死にたくなったら死にに行った。


 生きる意味など無かったが、自死を選ぶ程に自分の死にも意味を見いだせなかった。

 結果として死ぬならまあ良いか、コークスはフラフラと強い魔物を求めて各地をさ迷った。


 寝て食って死にに行く、そんな生活を数年続け、気が付けばコークスは王国の暗殺者となっていた。


 理由は今となっては思い出すのも困難だったが、きっとどうでも良い理由だったのだろう。


 ただただ、意味の無い自分に疲れ果てていた。

 つまりはコークス・カンデライトは絶望していたのだ。


 *


「嘘だろ、おい」


 思わず小声で呟いたシンは天井を仰ぎ見た。

 恐ろしい事にジェニファーリンは、アレから実に半日の間、一言も喋る事は無かった。


 飲み過ぎて手を付ける気にもならないお茶は、冷めるたびにチャコの手で機械的に温かい物にれ直される。

 貧乏子爵家の次男坊としてはお茶が勿体ないから止めろと言いたくなるが、最早もはや問題はそんな所には無い。


 余りの異常事態にジェニファーリン・パンタイルが十三歳の少女に見えた程だ。

 本人に言えば即決闘ものの感想を抱きながらシンは溜息を我慢する。


 つい原因であるコークスを恨みがましく見てしまったが完全に無視される。

 お前が一言ジェンに声をかければ、というのはシンだけの感想ではあるまい。


 本人はともかくとして、チャコも良く黙って付き合ってられるな。

 シンは自分を棚に上げてそんな事を考える。


 結局、ジェニファーリンは夕食の時間になるまで一言も喋る事はなかった。

 ジェンが一言でも話しだしたら適当に理由を付けて二人きりにする、と考えていたシンは自分の考えが甘かった事を痛感していた。


 丁寧に調理された兎肉は美味かったが、妙にか弱く見える友人を前にして食べると何とも奇妙な味がした。

 食後の茶を飲みながら、これはもう俺がジェンに話しかけるかと、呆れすぎて緩くなったあごに力を込めた所だった、チャコ・カンデライトが小さくうめくと、その眉根に皺を寄せよせたのは。


 遂にチャコも我慢の限界か?

 シンは一瞬そんな事を考え、すぐに違う事に気が付いた。


 固い魔力の線がチャコに伸びている。

 魔道具からの魔力?


 一体何の魔道具だ、という疑問を抱いた自分をシンは馬鹿かと心中で罵倒した。

 人類圏外の森の中で住む人間が使う魔道具なんてたかが知れている。


 魔道具から何かしらの通知を受けるような物ならそれこそ考えるまでもない。

 探知系魔道具が動作したのだ。


 シンは無意識で剣帯の締め具合を確かめる。

 夜の森は始めてだなぁ、深刻な表情でそっと顔を自分の耳に寄せてくるチャコを見ながらシンは暢気に考える。


「シン・ロングダガー様、申し訳ございません、お嬢様の為に死んで頂きたく」


 緊張の滲む小声にシンは笑みを浮かべる。

 ジェンが泣くから死ねないなぁ。


 泣くジェニファーリンなど想像も出来なかったがそう思うぐらいは許してくれ、シンは死んでくれと言われて頷き返す。

 元暗殺者の祖母を持つ人間から言われるには物騒すぎる言葉だったが、おかげで覚悟がすぐに決まる。

 つまりは依頼をこなせば良いのだ。

 逃げるではなく、死守と言われたのだ、それはジェンの目的がコークスとの対話であるという事だ。


 家臣から主人の依頼内容の補足をしてもらったにすぎない。

 強者チャコに死を覚悟させるナニかに邪魔させなければ良いだけの話だ。


 いや割にあわねーな。

 シンは笑って剣を手に取った。


 立ち上がった自分にすがるような視線を向けてくるジェンファーリンに笑いかける。

 変な感じだとシンは思う。


 頼られるのが妙に心地よい。

 彼女が欲している助けは、今から自分がするような事ではないと分かってはいたが、友人に頼られるという事に嬉しさを感じる。


 シンはジェニファーリンの隣へと移動すると、片膝を突き椅子に座るジェニファーリンをそっと見上げる。


「ジェン」


 名を呼ばれたジェニファーリンが戸惑うように視線を惑わせる。


「俺は今からちょっと依頼をこなす。冒険者だからだ。お前に雇われた冒険者だからだ」


 明確に不安を顔に浮かべたジェニファーリンが口を開こうとする。

 それを首を横に振って黙らせる。


 ジェニファーリンの口から出そうになった言葉が何だったのか、シンには分からなかった。

 分からなかったが言わせる気はシンには無かった。

 いつものジェンならチャコの様子から何かしら事情を察したはずだが、本当に今は弱っているんだな。

 おそらくナニかが近づいている事にも気が付いていないジェニファーリンに言う。

 

「仕事をしてくるよ、雇い主殿」


 戸惑うように頷き返してくるジェニファーリンが本当に十三歳の少女にしか見えない。


「それで、だ。こっからは友人としての言葉だ」


 ジェニファーリンがいつもこうだったら――、シンはコークスに結婚相手かと間違われた時の事を思い出す――、想像とはいえもう少しまともにジェンとの結婚生活想像できたのかもしれない。


「ジェン」


 数少ない友人を無くすのはゴメンだが。


「何でも良いから話せ、くだらない事でも良いし、泣き言でも良い、笑い話なら最上だ。話す理由なんて探すな、話す意味なんてのも探すな」


 シンは立ち上がりそっとジェニファーリンの肩に手を乗せる。


「友達と話すのにそんな物は必要ない」


 それじゃあな。

 シンはそれだけ言うとさっさと背を向けてしまう。

 何かを言いたげな友人を明確に拒絶して。

 だが。


「嗚呼――」


 ふと扉の前でシンが足を止めて言う。

 どうしても友人にこんな顔をさせたコークスに一言っておきたくなった。


「静かな夜を保証してやるよ婆さん。感謝しろよ?」


 つまりはお膳立てはしてやるから、しっかり責任取れよ、という事である。

 背後で老婆が笑う気配がした。

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