短編7 ロングダガー狩猟日記(サム)下

 *


 自分の胸が陥没したと理解した瞬間からトライの記憶は曖昧だった。

 ただ自分は死ぬのだと思った。


 目的を果たせずに死ぬのだと思った。

 自分の命を賭ければどうにかなるのではないか? そんな考えは単なる甘い妄想に過ぎなかったのだ。


 理不尽に蹂躙されて死ぬ、まぁ冒険者には良くある死に方だ。

 そう諦めつつも脳裏から友人の顔が離れない。


 皮肉屋で心配性で優しい奴だった。

 遠のく意識の中でトライはサムと友人の名を呼び、せめて道中一緒だったあの二人が無事に逃げ切れるようにと祈った。


 アイツに襲われたら、願い叶わずとも逃げる時間は稼げるはず、そんな事を考えて同行を願い出たあの二人は自分達に良く似ていたのだ。

 ちょっとくらい理不尽に打ち勝てても良いではないか? 自分は命まで賭けたのだから。


 言い訳のような満足感に、背中から何処かに落ちる感覚に身を任せたトライが、意識を完全に手放そうとした瞬間。

 鋭い痛みが頬を走り、落ちようとしていた意識が文字通り引っ張り上げられた。


「おい」


 かけられる不機嫌な声に戸惑いながらトライは目を開いた。

 自分のシャツの胸口を掴み倒れた自分の上半身を無理矢理起こし、右手を振りかぶる商人の少女の顔が見えた。


「目を覚ませ」


 先程とは反対の頬にはしる痛みに何が起きたのかを理解した。


「なぜ逃げていない?」


 真っ先に出た言葉にトライは、自分は本当にこの二人が気に入っていたんだなと思う。

 自分の命をかけて稼いだ時間が無為に使われた事に怒りすら感じた。


「寝言は寝て言え」


 何故かもう一度頬を張られた。

 理不尽さに唖然とする。三度目は要らないだろ。


「我が友はあの程度なら逃げるに値しないのさ」


 唐突な自慢にまどった視線が、魔族と対峙して真正面から打ち合えている少年の姿を捉える。


「嘘だろ」


「嘘じゃ無いし夢じゃ無い、もう一発ご所望か?」


 右手を振り上げる少女にトライは慌てて首を横にふる。

 うなずき右手を下げる少女に状況も忘れてホッとする。


「おい貴様、教えろ。なぜあの魔族をサムと呼ぶ? どうしてアレがサム・ボーディアンだと貴様は知っている?」


 それはこちらの台詞だ、トライ・フロースはかろうじてその言葉を飲み込んだ。


 *


 猿魔族の腕は子供の胴体ほどはありそうなほど太いのに、それが繋がる体躯は人の範疇を超えない厚さである事に違和感を感じる。

 全身を覆う体毛は風が吹いているわけでもないのに水草のようにうごめく。


 猿のような顔なのに、その歯は臼歯きゅうしであり、剥き出し威嚇するさまに自分の持つ常識と違うが故の違和感と嫌悪感を感じる。


 とにかく目に入る全てが違和感であり、嫌悪感のみなもとだった。

 自分にそそがれる魔力視線にすら嫌悪を感じながらシンは慎重に間合いを計る。


 無造作に振るわれる腕を剣で受けずに避け、そのまま剣を腕へと振り下ろす。

 固い木を殴ったかのような感触、刃が食い込む感触こそしたが自分の剣の腕では断ち切れそうに無い。


 猿魔族からの反撃を身をひねって避けながらシンはジェニファーリンに感謝する。

 流石パンタイルだ、ジェンの目利きは確かだ。


 半ば本気で剣を振り下ろしたのに剣が折れる心配をしなかった。

 これで切れ味が良ければ言うこと無しだが、数打ちにそれを求めるのは酷というものだろう。


 シンはジェニファーリンが知ったら高笑いしそうな感想を抱きながら、折れる心配が無いのを良いことに剣で猿魔族の太い腕を打ち払う。

 さて。


「首を落とせばお前は死ぬのか?」


 シンは返ってくるはずも無い質問を投げかけた。

 *


 無駄に使っている時間はない。

 ジェニファーリンはトライの意識がハッキリ戻ったのを確認すると訊きたかった事を直球で訊いた。


 お前はなぜ魔族の名前を知っているのか?

 自分が投げかけた質問にトライが驚いた顔をして固まる様子に、偶然サムと呟いた線は無いなとジェニファーリンは安心した。


「悪いが出来の悪い嘘を聞いてる暇はない」


 ジェニファーリンはトライが何とかとぼけようと言葉を探している雰囲気を察して釘を刺す。

 それでも何度か言葉を探す様子を見せたトライだったが、ジェニファーリンが右手を再びかざした事で諦めた。


「アレは、アイツは俺の相棒だった奴だからだ」


 その言葉にジェニファーリンは瞬き二、三度の沈黙を挟んで言った。


「そうか、アレは人間なんだな?」


「信じるのか?」


 自分の言葉が信じられた事が信じられない、狂人扱いか、嘘をつくなと殴られると思っていたトライは驚いてジェニファーリンの顔をマジマジと見つめた。

 言い淀んだのは、誤魔化そうとしたわけではなく、事実を話しても信じられないと思っていたからだ。


「これでも商人なんでね、目利きは得意なんだよ」


 そういう問題ではないだろう。

 トライはそう思ったが余計な事は言わなかった。


 話し方や雰囲気から、ただの若い商人ではないだろうと思っていたが。

 目の前の少女は想像の埒外の存在だったようだ。


「俺は……あんなのになっちまったアイツが人を襲わないように……襲うようならせめて俺が殺してやろうと……」


「それで北に向かう人間に声をかけて同行していたと?」


 ジェニファーリンは掴んでいたトライの胸ぐらを手放すと立ち上がる。


「どれだけ護衛して送り届けたかは知らないが、馬鹿な自己満足だな冒険者殿。貴様が本当に元相棒だったアレを止めたければ冒険者ギルドに届ければ良かったんだよ。アレがサムなにがしかは告げず、ただ魔族を見たと報告すれば良かった」


 自分が贈った剣で猿魔族と互角以上に打ち合うシンを見てジェニファーリンは満足する。

 やはり良き画家には良き筆を、シンには良き武器を、だ。


「それを実力が足りないのも分からず、いや分かっていたのかな? せめて自分の手で殺してやりたい等と、本当にアイツを殺す気があったのか? あったのは殺されてやる覚悟だったのでは?」


 ジェニファーリンは少々辛辣しんらつに言い過ぎていると自覚しながらも言う。

 怒っていたからだ。


 自分達の向かう先に魔族がいるかもしれない、その情報を伏せられていたからではない。

 友を殺してでも止めてやると、そう言いながら確実性の低い手段をとるなど、友に対して失礼ではないか、ジェニファーリンはそう怒っていた。


 魔族になったあんな自分を許すわけがないと、友をそう信じるのなら全身全霊をもって殺すべきなのだ。

 その犠牲者の一覧に自分を加えても良い等という覚悟は友に対する侮辱に他ならない。


 少なくともシンがああなったとしても、私を殺す事を良しとはしない。

 私は胸を張ってそう信じられる。


 だったら全力で殺しにいくべきなのだ。

 逆の立場ならシンもそうしてくれると信じられるが故にジェニファーリンは迷わない。


「だが、でも俺は……アイツがあんな風になるまで気が付いてやれなかったんだ……だったら俺の手で殺してやりたい、殺してやらなきゃって」


 自分の背後で手に視線を落として独り言のように述懐を始めたトライを、ジェニファーリンは既に見ていなかった。

 援護のタイミングを計ってシンと猿魔族の戦いに意識を向けていたからだ。


 それでもトライの言葉が耳に入ってくる。

 それは散文的で事実よりも感情が先走る述懐だったが、それ故にトライとサムという冒険者に何があったのか良く分かった。


 実にありきたりな話だった。

 互いを友人と呼ぶ若い冒険者二人、その内の一人には才能があり、もう一人には才能が無かった。


 ただそれだけの話だ。

 才能無き者はそれに悩み、もう一人は相手の悩みなど理解できなかった。


 やがて才能なき者は見切りを付けて故郷の村へと帰った。

 ただそれだけの話だ。


 そして故郷に帰ったものの、捨てるように去った故郷には既に自分の居場所など無かったというのも、良くある話だったのだ。


「俺は馬鹿だったから、俺が迎えに行けばまたサムが冒険者に戻ってくれるって」


 だがそれは才能なき者、サムにとっては最後の何かが壊れるには十分な物だったのだ。


「アイツの故郷で会った時は、見たことも無い暗い顔で俺にずっと謝ってたんだ。俺はもうなんで謝られるのかも分からなくて」


 湿りを帯びるトライの声を聞きながら、ジェニファーリンはシンが勝つと確信した。

 猿魔族の攻撃は一度としてまともにシンに当たる事は無く、魔族相手と慎重になっているにも係わらずシンは段々と猿魔族を圧倒し始めていた。


「アイツは俺が来なければと、来なければ人間のままいられたって言って」


 背後でトライが顔を覆う気配がする。


「最後に、お前はこうなるなって、そう言ったと思ったら突然アイツはあんな風になっちまって」


 俺は逃げてしまったんだ。

 この森を抜けた先にある村の外れでの事だったらしい。


 応えるつもりの無かったジェニファーリンは、自分の援護すら必要なく、シンが勝つのだと確信するに至り口を開く。


「良かったな冒険者殿。少なくともあのサム某は人である内は貴様の未来を思っていたぞ」


 ジェニファーリン・パンタイルにはトライとサムの間に何があったのかも、どんな想いがあったのかも分からない。

 正直、人が魔族になったというだけで理解の範疇を超えるし、その上に見ず知らずのサムの心中など想像すらできない。


 だがそれでもサム某が人である内に言った言葉の意味は分かる。

 それは倒れ伏す前に踏み出した一歩だ。


 恨み言でもなく、悔恨でも無く。

 お前はこうなってくれるなと、友の未来を思った言葉を吐いたのだ。


 それはジェニファーリン・パンタイルにとってはたっとき欲得だ。

 サム某のその気持ちだけはハッキリと分かった。



「良き友じゃないか」


 ジェニファーリンは素直な気持ちでそう言った。

 友の気持ちをめずに、自分の命を投げ出しても良いと考えていたトライを慰めるつもりなど無かったが、事実は事実である。


 背後でトライが息を飲んだのが分かった。

 トライの気持ちなど、どうなろうと知った事ではなかったが、少なくともお前の友は良き友だったのだと言ってやらなければ気が済まなかった。


 トライの為では無い、サムの為にである。

 人でなくなるその瞬間に友の未来を思える男の言葉なのだ、それが本人に伝わらないとは、伝わっていない等と理不尽この上ないではないか。

 シンが猿魔族の首へ剣を突き刺した所でジェニファーリンは振り返る。


 ふむ、今度はしかと伝わったようだね。

 ジェニファーリンはトライの驚いたまま固まっている顔を見て満足する。


 よし、これで“サム・ボーディアン”に対する筋は通せたな。

 ジェニファーリンは、良き友だったと評した相手を舌の根も乾かぬ内におとしめる事に若干の罪悪感を感じた。


 トライに言っておかねばならない事がある。

 自分の声が凍える程に冷たくなっている事を自覚しながらジェニファーリンは言う。


「それはそうと冒険者殿、いまがた語った事をこれから先、一言でも喋ったら、特にシンの耳に入るような事あれば、このジェニファーリン・パンタイルが全力でもって貴様を殺すので、その事努々ゆめゆめ忘れない事をオススメするよ」


 本当に、強くオススメするよ。

 ジェニファーリンはそう言って微笑んだ。


 *


 自分を振り回す殺意を手なずけてしまえば、何のことは無い。

 猿魔族は少し手強い程度の強さだった。


 シン・ロングダガーは猿魔族の片腕を剣でへし折りながら冷静な自分に驚いていた。

 腹から立ち上るような嫌悪感のせいか、魔物と戦う時のような高揚感は感じず、そのせいで戦う事にいとうような感情すらあった。


 使命感にすら近い殺意は変わらないものの、冒険者としてのシンは驚くほど冷静だった。

 へし折れた腕を振り回す単調な猿魔族の攻撃を最低限の動きで避ける。


 離れた場所で護衛対象であるジェニファーリンが援護するタイミングをうかがっているのを感じながら、シンはトドメを刺す機会を伺う。

 護衛対象に援護された等と師匠に知られたら殺されかねない。


 猿魔族が自分の攻撃が当たらない事に苛つくという、人間のような感情を見せた瞬間。

 シンは頭上から振り下ろされた猿魔族の拳を踏みつけた。


 猿魔族の拳が地面と自分の靴に挟まれ潰れる感触を足裏に。

 必然下がった猿魔族の頭へと、それが繋がる首へとシンは全力の突きを放った。


 ジェンに感謝しなけきゃいけない。

 全力で突きを放っても折れない剣に感謝する。


 猿魔族が臼歯の生えた口から血を噴き出しながら、折れた腕と、潰れた拳の両腕を空へと向ける。

 それを最後のあがきと断じたシンは、剣の柄を両手で握るとそれを捻る。


 肉が千切れ、骨が砕ける感触が手の平をう事に殺意が満足するのが分かる。

 産まれて始めて、戦う事が終わる事に安堵しながら、シンは首をねた。


 何かを掴むかのように伸ばした猿魔族の腕は、力なく空を切った。


 *


 魔族は死んでも死体が残る。

 知識としては知っていても実際に見ると違和感があった。


 ジェニファーリンが土魔法で掘った穴に猿魔族の死骸を転がすように落としながら、シンは魔物を狩った時とは違う確かに殺したという感触に若干の戸惑いを感じていた。

 自他共に驚くほどの貧乏子爵家の次男とは言え、これでも貴族家の人間である。


 これまで死体が残るような動物は魚すら殺した事が無かったのである。

 いや、これは貧乏すぎて遊興としての狩猟もやった事が無いからか、と理由はどうあれやっぱり貧乏貴族である事が理由じゃないかと思い直す。


 違和感は他にもあった。

 ジェニファーリンがやたらと喋るのだ。


 いつもの事ではあるが、交換した剣で魔族を倒した事に対して何も言わない、という不自然この上ない態度だった。

 そして一番の違和感は先輩冒険者のトライだった。


 トライはシンが、刎ねた、と言うより引き千切った、と言った方が正確な猿魔族の首を丁寧な手つきで穴に入れると、短くはあったが祈りまで捧げていた。

 見た目の軽薄さからは想像できない信心深さだった。


 シンは、用事を思い出したと告げると軽い挨拶だけでスダバルドへと戻っていった先輩冒険者の事を思い出しながら焚き火に枝をくべる。

 森を抜けた先にあった村の端、そこに設置された魔物避けの側での事であった。


 余所者よそものを村に入れる事を嫌った村人とジェニファーリンが交渉して手に入れた野営場所だ。

 ジェンなら村長の家でも巻き上げそうなのに、というのはシンの失礼な疑問だったが。


 それを聞いたジェニファーリンは苦笑を浮かべ。

 パンタイルは通すべき筋を忘れないのさ、というシンには理解出来ない理由を述べた。


「単なる自己満足さ、我が友よ」


 首を傾げるシンにそう答えたジェニファーリンは、何故か後ろめたそうな顔だった。


 *


 ジェニファーリン・パンタイルにとって、猿魔族がサム・ボーディアンという人間である。

 という事は全くもって許しがたい事だった。


 人間が魔族になったとか、魔族という存在が許せないとか、そういう話ではない。

 このままでは、シン・ロングダガーが何の自覚もなく人を殺す事になる。

 その事が全くもって許しがたかった。


 貴族であるならいつかは人を殺す。

 しかし、ジェニファーリンはシンが人を殺すのならば何かを手に入れる時であって欲しかった。

 義務でも慣習でもなく、ましてやたまさかや仕方なくではなく。


 ジェニファーリンは自覚していた。

 自分の酷く身勝手な望みによって、サム・ボーディアンをシンに魔族として殺させた事を。


 君が始めて人を殺す時は、覚悟をもって殺して欲しい。

 そういう君を好ましく思うのだから。


 我欲まみれな自分は、だからトライを脅したし、尊敬すべき欲得を示したサム・ボーディアンを魔族のまま死ねと辱めた。

 村に入らなかったのは、サム・ボーディアンの故郷に、居場所もなかった村に、金を払って一時とはいえ自分が居場所を得る事に後ろめたさを感じたからだ。


 我欲の信奉者である事を自負するジェニファーリンとて、その我欲で踏みにじった物に無関心ではいられない。

 今日だけで墓まで持って行く物が増えすぎた。

 そう溜息が出そうになったのは、目の前で干し肉のスープを作るシンが余りにも普段通りだったからだ。


 そうで在って欲しいと願ったのは自分なのに、というのは誰に言われるまでもなく理解していたが。



「何を考えているかは知らないが」


 スープの入ったわんをシンが差し出してくる。


「とりあえず腹に入れろ、それで忘れるようなら忘れて良い事だ」


「それは……」


 椀を受け取る。


「馬鹿国の格言かい?」


 所構わず出る自分の皮肉が今は忌々しい。


「いや、俺のモットーだな」


 嗚呼ああいや、処世術か?

 そう言って首を傾げるシンの姿に苦笑が浮かぶ。



「ならば素直に実践してみよう」


 腹に落ちる暖かいスープは確かに気持ちを落ち着かせた。

 スープを半分ほどかき込むように食べた所でふと疑問が浮かぶ。


「腹に入れても忘れないなら?」


 素直に訊いたら呆れられた。

 シンに馬鹿を見る目で見られる事にショックを受ける。


「ジェン、目の前に居るのは?」


「シン・ロングダガー」


 うわ、重症だ。

 ジェニファーリンの答えにシンが呻く。


「友達と飯食ってる時はソイツに愚痴っていいんだよ」


 それはジェニファーリンの知らない常識だった。

 およそ貴族家の一員から出てくる言葉とは思えない。

 他人との食事はそれすなわち貴族としては仕事の範疇だ。


「なぁ君。本当は自分の事をロングダガー家の人間だと思い込んでる平民だったりするかい?」


「ジェン、いきなり友人の正気を疑うのはやめろ」


 シンがジェニファーリンの皮肉に満足げな笑みを浮かべ抗議する。


「言えないような事か?」


 シンが笑みを消し、少しだけ心配を滲ませた真剣な顔をする。

 その顔にジェニファーリンは数瞬だけ迷う。


 シンが言った通り、食べたら大体の事は忘れた。

 トライを脅した事も、サム・ボーディアンの事も。

 

 少なくとも脇に置いておける。

 その替わりに新たな、自分が本当は何に引っかかっていたかがあらわになってしまった。

 その事にジェニファーリンは戸惑う。


 何のことはない。

 自分はこう思ったのだ、自分の護衛任務で、シンが始めて人を殺すというのは嫌だと。


 自分がこの小さな旅を、楽しい旅であったと思い返したいのと同様に。

 シンにもこの旅が終わった時に、楽しい物であったと思って欲しいのだ。


 思い出して欲しいのは、始めて人を殺した旅ではないのだ。

 自覚してしまうと、あまりにも恥ずかしい考えに顔を覆いたくなる。


 なのでジェニファーリン・パンタイルは武器を取る。

 つまりは言葉で皮肉で、本音だ。


「我が友のせいで言えなくなったよ」


「なんだそりゃ」


 シンが真剣な顔を引っ込める。

 皮肉を言うと友人に安心されるというのも人としてどうなのだろうか? ジェニファーリンはその疑問をスープの残りと一緒に飲み下す。


「友に言えぬ秘密を持つ者は、友とは呼べないかい?」


 答えの分かっている狡い質問をする自分を、実にパンタイルだなとジェニファーリンは思う。


「言えぬ秘密を聞き出そうとする奴を友と呼ぶのか?」


 友人は選べよパンタイル。

 シンが質問を返す事で答えながら茶を煎れる。


「ちなみに私は黙って友の秘密を調べるタイプだ」


めろ馬鹿野郎」


 茶の入ったマグを差し出しながらシンが苦笑する。 ジェニファーリンはシンが自分の分の茶を煎れるのを待ってから言う。


 立ち上る湯気にサム某の事を思う。

 殺されても構わないと、履き違えたトライの事を思う。


「言えぬ代わりに一つ付き合ってくれるかい?シン」


 ジェニファーリンの質問にシンが肩をすくめるだけで了解を示す。

 では――。


 ジェニファーリンはマグを掲げる。


「最後まで良き友だった者へ、欲深き友情に」


 ――献杯けんぱい

 ジェニファーリンは名前しか知らぬサム・ボーディアンに杯を捧げる。

 

 人として最後の言葉が友の未来を思う言葉とは、なんとも強欲な人間だったな。

 サムなにがしよ。


 トライはきっと永劫えいごう忘れぬぞ、人生の節々で思い出すぞ。

 こうなるなと、そう言ったお前を思い出すぞ。


 何とも欲深い事ではないか。

 命を賭して得る見返りリターンに相応しいではないか。

 同じく欲深き者として、杯を捧げよう。


 お前の事は何一つ分からないが、これだけは分かるぞ。

 既に冒険者としては戻れない自分を迎えに来たトライを見てこう思ったのだろう?

 思い出されるのが、冒険者として別れた自分ではないのなら、最後まで友を思う自分であって欲しいと。


 何とも子供っぽい欲得だな。

 人として最後に願う欲得としては実に高望みだ。

 何と高価な欲得だ。


 同じく子供っぽい欲得を、シンに良き旅だったと思い出して欲しいと願う自分と、サム・ボーディアンの間にある小さな差に。

 つまり生者として思い出される者と、死者として思い出されるという違いに、ジェニファーリンは杯を捧げる。


 目の前で友が首を傾げながらも同じくマグを掲げるのを見てジェニファーリンは苦笑する。

 互いになかなか友にんで貰えぬ所も良く似ているな。


「強欲に」


「強欲に」


 ジェニファーリンはマグを重ねると茶を飲み干した。

 喉を通る熱が消えるまでの間、ジェニファーリン・パンタイルは成し遂げられた強欲さを羨ましく思った。


***あとがき***


いつもコメント、いいね有難うございます。

大変励みになっております。


パンツスタイルで書くと文字数が際限なく増えていくのはホント駄目だなと。

本筋から外れるトライとサムの話は最終的にガッツリと削ったのですが、それでもまだ長い。


ちなみに本筋とはお察しの通り、実は初めては気が付かない内に奪われていたというアレな話ですが。

作者特いたってノーマルな性癖なので、この短編が出来たのは読者からのコメントのせいなんだと声を大にして主張したい所です。

シンとジェンの間にあるのはブロマンスなので、作者的にはノーカンですが。


おそらく今回の短編は次話で最後になると思います。

本編も頑張りますので、気長にお待ち頂ければと思います。

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