短編7 ロングダガー狩猟日記(サム)上

短編7 ロングダガー狩猟日記(サム)上


 ジェニファーリン・パンタイルにとって、シン・ロングダガーという少年は謎の存在だった。

 貴族であるのに冒険者をしている事や、その能力の高さなどは謎ではない。

 それはこの黄金の目で見れば分かる事だ。


 そのようが謎であった。

 ひとたび身体強化を使えば怪物かと見紛みまごうようなものとなり、そのくせ自分の事を本当に平凡だと思い込んでいる。


 自分など大した事はない。

 高ランクの冒険者は怪物だらけだ。

 シンは良くそのような事を口にする。


 成る程、確かにシンより強い冒険者はいる。

 だがしかし、十三歳でそれらと肩を並べる一歩手前の人間などこの世全てを探して、さてどれ程いるだろうか?

 それでも怪物シンは自身を平凡と言う。


 ジェニファーリンはそのシンのようをある種の防衛本能ではないかと思っていた。

 己が立つ余人よじん無き荒野の如き立場を、シン・ロングダガーという少年は心底恐れているのではないかと。


 一度でも気が付けば、二度と誰ぞの隣に立つ事が出来ぬと。

 自分はこの先、永遠の孤独を胸に抱く事になるのだと。


 誰ぞと友誼ゆうぎを結ぼうと、背を預ける程の信頼を寄せようと、ふとした瞬間に隔絶を感じるような生き方を。

 シン・ロングダガーは恐れているのだ。


 ジェニファーリンは冒険者から聞いた話を思い出す。

 人間を止めた人間は、各々おのおの自分だけの荒野を持つと。

 シン・ロングダガーという少年は、その荒野に立つ事を酷く恐れているのだ。


 成る程、シンが光の巫女に恋い焦がれる理由が良く分かる。

 光の巫女ならば、確かにシンの隣に立てるだろう。

 目を背ける程の孤独を胸に沈め込んだ人間が、その目の前にお前は孤独ではないのだと、隣に立ち得る人間をぶら下げられたら、それはもう望まぬにはいられないだろう。

 それでいて行動に出られないのは、まぁ度胸がないからだろう。


 人間、強欲が過ぎると臆病になるものだ。

 ジェニファーリン・パンタイルはそんな事を考えながら剣を手に取った。


 *


 スダバルドの街は王都から馬車で一日の距離にある街である。健康な人間で夏場であれば徒歩でも日が沈みきる前には辿り着ける。

 主要な街路は石畳で舗装され魔石灯も整備されており、街全てを結界で覆っている。

 人が生活する上で必要な物は不足無く手に入る程度には大きく、発展した街だ。


 しかしその本質は王都の為の物資の中継地点であり、宿場町である。

 故に街は絶えず人で溢れているが、街の住人という意味では意外なほどに少ない。


 そんなスダバルドの街にある安宿とは言えないが、王都での商談の前に疲れを取る事の重要性を認識しているような商人が選ぶ宿屋。

 そこに併設された食堂で、商人らしく朝食を手早く食べ終えたジェニファーリン・パンタイルは言った。


「シン、芸術とは何だと思う?」


 食堂の壁に掛けられた絵を見ての事だった。

 目の前に座るシンがサンドイッチを木皿に戻しながら深刻な顔する。


「疲れているのか?」


 慣れない歩行かちでの移動だから仕方ないとは思うが。

 そう呟くシンの声に真剣な心配が込められている事に嬉しくなりつつも、ジェニファーリンは憤慨する。


「我が友よ、商人であっても芸術の価値は分かる物なんだよ」


 侮辱してくれるなよ?


「それを俺に問おうと思いつく状態にだよ」


 シンが呆れた様子で言う。

 言われてジェニファーリンはフムと頷く。


「なるほど確かに」


「止めろジェン、なんか傷ついた。その“なるほど”は傷つく。ロングダガーとて傷つくみたいだ」


「安心したまえ我が友よ。嗜虐性に基づく友情などという特殊な物を求める程には、私はパンタイルではないよ」


 眉毛を変な形にして困ったような顔をするシンは面白かったが、ジェニファーリンはその顔に向かって手の平をヒラヒラとさせて冗談だと示す。

 シンがお茶を飲みがてら、相変わらず難儀な、と言ったのは気にしない事にした。

 パンタイルは難儀な一族なのだ。


「まあそうだね、シンに心配をかけさせるような質問であった事は確かだね。であれば自分で答えを言おうか」


 ジェニファーリンはお茶で唇を湿らせると、話は聞くがまともな応えを求めるなよ、という顔をしたシンに言う。


「芸術とは言葉を使わずに概念を表現する行為だ。音楽家は音楽で喜びや悲しみを。絵描きは絵で、詩人は詩で。言葉一つで伝えられるような事を音で絵の具で、伝えたい概念を表す言葉の何倍もの言葉を重ねる事で、触れた物に概念を伝えようとする行為。それが芸術という物だよ」


 合理と効率という愛人二人と人生を歩む我ら商人からすると非合理この上ないのが芸術だね。

 シンは一瞬で相槌すら諦めたようで無言だった。それでも聞く気だけはあるようで、視線はジェニファーリンの顔から離れる事は無い。


「だがそれでも、いやそれ故にと言うべきか。我ら商人は芸術家が大好きなのさ。まあ私にはその成果物は商品にしか見えないがね」


 それをなぜ今俺に言う、シンの顔に素直に浮かぶ疑問にジェニファーリンは頷くことで応える。


「つまりだねシン。我ら商人は非合理を価値ある物とする芸術家を愛してるんだ、正確にはその商品を、更に言うならその商品を生み出す手を。もっとぶっちゃけて言えば、そんな素敵な芸術家に金を出して絵や音楽や詩を作らせて、それで金を稼げる自分自身を」


「結局は金が好きって事じゃねーか」


 身も蓋もないシンの感想に頷く。

 そして首を横にふる。


「正解だが違う。いや本当にお金は好きだが、そうじゃない。重要なのはこれはと思った芸術家に金を渡して作らせた物で金を稼ぐという所だ」


 シンが、ふむと頷き、自分の背後の壁にある絵をちらりと見やる。


「つまり左腕を犠牲に相手のガラ空きの腹に一発入れられるならオッケーと、判断できた自分が好きだと?」


 すまない我が友よ、馬鹿国の価値観はわからないんだ。

 あと絵を見てその言葉が出てきたと言うなら作者は筆を折りかねないからな?


「独特な表現ではあるがまぁそうだね」


 ジェニファーリンは色々な言葉を飲み込んでそう言った。


「ところでシン、似てると思わないかい?」


「何がだジェン」


 この会話はどこに向かっているのだろうか? そんな疑問を隠そうともせずにシンが問い返す。


「芸術家と冒険者だよ。似てると思わないかい?」


「命を賭けて暴力で食っていくすべしか思いつけないような馬鹿と芸術家を似てるという合理を思いつけないんだが?」


「そんな合理は捨てたまえ」


 愛人がいきなり一人捨てられたぞ。

 シンが呆れながら朝食のサンドイッチを口に放り込む。


「依頼人がいて金を貰って仕事する、似ているじゃないか。そっくりだよ、いやもう冒険者は芸術家と言っても過言じゃない」


 過言じゃなくて虚言だからな。

 ジェニファーリンはシンの声を無視した。


「そして商人は芸術家に依頼する際には、時にその制作に必要な道具も用意するのだよ」


「あーつまり?」


 シンは会話の着地点を予想できたのか、胡乱うろんげな目でジェニファーリンを見る。


「君に剣を――」


「断るし、既に剣はある」


 ポンとシンが剣の柄を叩く。

 チャキと鞘鳴りするのとジェニファーリンが笑みを浮かべるのは同時だった。

 その返答は想定ずみだ、友よ。


「と言うと思ったのでシン、交換だ。私の剣と君の剣を交換だ」


 その提案は予想外だったのか、シンが何とも言えない顔をする。


「どうせ君はこう言うだろうから私が先に言ってやろう。数打ちの安物と釣り合わない物とは交換する気はないと」


 安心したまえ我が友よ。


「私の剣も数打ちの安物だよ。勿論もちろん私は商人であるのでその中で最もマシな物を選んだと自負しているがね」


 嘘である。

 日が昇りきる前に武器屋を叩き起こし、こしらえを弄れば安物の数打ちのように見える剣を選んだのだ。


 魔物の素材を溶かし込んだ合金で出来た剣は、切れ味はそこそこだが、店主曰くかなり頑丈であるとの事。

 ジェニファーリンはその剣をわざわざ数打ちの安物のようなこしらえに変更させたのだ。


 店主からの文句は金と言葉でねじ伏せた。


「あー」


 シンが溜息なのか、言葉を探しているのか良く分からない声を出す。


「朝早くから何をしているのかと思ったら、そんな事をしてたのか」


「知っていたのかい?」


 溜息を吐きながら呆れたと呟くシンにジェニファーリンは驚く。

 驚くジェニファーリンの様子にシンは今度こそ本当に呆れたと肩をすくめる。


「ジェン、俺は護衛だぞ? 仕事するに決まってるだろ」


 決まっているのか。

 いやそれと気がつけるかは別の話のような気がするが。だって隣の部屋だぞ?


「まあ、人目を避けてるようだったから、建物の中までは追わなかったがな」


「割と周囲に気を配っていたんだがな、気がつかなかったよ」


 ジェニファーリンは素直に感心する。

 特に他人に見られても困るわけではなかったが、早朝からコッソリ抜け出して、という行動のせいか妙に周囲を警戒してしまっていたのだ。


 それを見られていたと思うと少し恥ずかしかった。


「次からは屋根の上にも気を付けるんだな」


「すまない、馬鹿国の常識は分からないんだ」


 恥ずかしさは長続きしなかった。

 ジェニファーリンの言葉に、屋根の上は大事だぞと真面目な顔で言うシンが理解できない。

 皮肉でないのがたちが悪い。


 まあ良い、シン・ロングダガーとはそういう物だ。


「それで、交換には応じてくれるのかい?我が友よ」


 話を強引に馬鹿国の常識から戻すジェニファーリンにシンが渋るような声を出し、顔をする。

 よろしい、ならば追撃だ。


「なんぞ君のアレに引っかかるならこう思ってくれ。なに、煙に巻こうとしているわけではなく私の本音でもあるから嘘では無い」


 どうぞ、とシンが視線だけで先を促す。


「つまりだ、シン。私は言うなれば思い出が欲しいのさ。始めて友と歩むこの旅の思い出が。それが友の持つ得物であればそれはもう重畳ちょうじょうであろうさ、この上などそうは無い。私は旅を終えた後で剣架に剣を掛ける時にこう思いたいのさ。嗚呼、なんと楽しい旅であったかと、そう思う為のよすがが欲しいというだけの話さ。シン、君は友人のそんなささやかな望みを、単に数打ちの剣同士を交換するだけで叶えられる望みを断るのかい?」


 声に出してみると、思った以上に自分の本音だった事にジェニファーリンは恥ずかしくなった。

 しかもかなり子供っぽい。

 ジェニファーリンは、シンにそれじゃあ土産物でも買えと言われたら、正直反論を思いつく自信が無かった。


 だがまぁ、ジェニファーリンは思う、コレはシンには刺さるだろうと。

 びっくりする程の貧乏子爵家の次男坊であり、貴族で有りながら冒険者、そしてその胸の内に目を背ける程の孤独を沈めるシン・ロングダガーには刺さるのだ。


 ほらね?


「分かったよジェン」


 仕方ない、そんな顔をしながらも微笑み苦笑を浮かべるシンに、ジェニファーリンは勝利を噛みしめる。

 酷く分かりづらく、酷く捻くれて、滑稽な程に無自覚に孤独から目を背ける君にはこの提案は断れないのだ。


 ジェニファーリンは剣帯から外した剣をシンに差し出しながら会心の笑みを浮かべる。

 食堂で武器を取り出すのはちょっとマナー違反だが大目に見て貰おう、気が変わると面倒だ。


 差し出した剣の代わりにシンの剣を受け取りながら、この剣は大事にしようとジェニファーリンは思う。

 将来、シンを英雄か覇王か魔王かに仕立て上げた後には、この剣を飾って金を稼ごう。


 表面上は平静を装って剣帯に剣を吊すジェニファーリンを見ながらシンがふと思いついた様に言う。


「ところでジェン」


「なんだい?」


 割と浮ついていたジェニファーリンは剣を吊すのに手間取りながらシンに応える。


「その馬鹿国ってのは何処どこにあるんだ?」


 ジェニファーリンは危うく剣を床に落としそうになりながら驚いて顔を上げる。

 シン・ロングダガーはいたって真面目な顔だった。


 *


 商売と投資と浪費の天才であり、百年に一度のパンタイル、そして将来シンを英雄か覇王か魔王に仕立て上げる事を画策する少女。

 ジェニファーリン・パンタイルはスダバルドの街、その結界北側出口前の広場で胡乱げな目をしていた。


 声を掛けてきた人間があからさまに怪しかったので平静を装う事すら忘れてしまったのだ。


「見たところ嬢ちゃん達は商人とそれに雇われた冒険者だと思うが」


 どうだい? 自分の問いは正解かい、と視線と仕草だけ問うその姿は怪しかった。

 細かい傷の入った革製の胸当てや脛当て、乱雑に刈っただけの頭髪は癖が強いのか四方に飛び跳ねている。


 歳は若そうだ十七、八だろうか? ジェニファーリンは胡乱げな目で男を見上げる。

 怪しいのは見た目では無い、自分達を商人とその護衛と予想を当てた事でもない。


 ジェニファーリン達の姿は全くもってそのようにしか見えないからだ。

 馬車を持てない若い商人が、金が無いから若い冒険者を雇って護衛兼荷運びとして歩行かちで行商している、実にありがちな二人だ。


 ジェニファーリンもシンも十三歳という年齢の割には貴族であるので栄養が足りている、つまり背が高いので平民から見れば年齢を計り間違えたのだろう。

 問題は男がそんな二人に声をかけてきた事自体が問題だった。


「おいおい、そんな目で見るなよ嬢ちゃん」


 ちょっと傷ついたような演技にしか見えないな、ジェニファーリンはここで顔を平静に戻すのもわざとらしいかと、疑いの感情を残した表情のままで曖昧に返事する。

 男は格好から見ても冒険者であろう、そうでなければ声はかけてこまい。


 冒険者が商人に声をかけるのは珍しい事ではない。馬車持ちの商人であれば冒険者が足に使う代わりに護衛を買って出るなんてのは日常茶飯事だ。

 ただし明らかに――実際は違うが――駆け出しの若い商人とその駆け出しに雇われる程度の若い冒険者にしか見えない二人組に話しかけてくるというのは、単純に言ってしまえば怪しいのだ。


「何かご用でしょうか?」


 とりあえず猫を被るかと、分かりやすい警戒感を滲ませてジェニファーリンが問うと、それが面白かったのか隣でシンが噴き出しそうになる。

 脛を蹴って黙らせる。


「いやなに」


 男はそれを無視したのか、気にしなかったのか話しを進める。

 人の良さそうな笑みが胡散臭い。


 *


 男の名前はトライ・フロース、ランク2の冒険者だった。

 彼はこんな提案をしてきた。


 ちょうど俺も北にある村に用事があるんだ、見たところ嬢ちゃん達も北に行く気だろ?だったら一緒に付いていってやろうか? と。

 ジェニファーリンは心中、怪しすぎて開いた口が塞がらなかった。


 騙すにしても雑すぎて、本当だとしたら確実に空回からまわる善意に呆れるほか無かった。

 そんなあからさまに怪しいトライからの提案だったが、ジェニファーリンは受ける事にした。


 理由は幾つかあるが、鑑定スキルで自分でも勝てる程度の実力しかないというのが分かったし、何よりシンがいる、というのが大きかった。

 あと付け加えるなら他で誰かが騙されるくらいなら、自分が騙された上で首でも刎ねれば良いだろう、というのがジェニファーリンの結論だった。


 合理と効率は絶えず商人の愛人なのだ。今朝はちょっと一時的に別れたが。

 そういうわけでジェニファーリンとシンは、男――トライと一時歩みを同じくしていた。



 ジェニファーリンは、東西に伸びる街道とは違い馬車一台通れる程度しかない街道を北に進みながら、商人に同行を求めた冒険者のならいだと、先頭を歩くトライの背中を眺める。

 気を抜いているような雰囲気は無いがつい隣のシンと比べてしまうと頼りなさを感じてしまう。


 鑑定スキルに溺れるな、とはつい最近得た自戒だがどうにも侮ってしまう。

 シンとギルドカードを確認しあった時など、自分はランク2だから頼ってくれ、と言う彼の姿など出来の悪い喜劇にしか見えなかった。


 どうした物か。

 提案を受け入れたものの、その先は考えていなかったジェニファーリンは悩む。


 君はどう思う?

 そう疑問を乗せて隣を歩くシンに視線を送る。

 そして絶句した。

 ジェニファーリン・パンタイルは絶句した。


 シンが冒険者なのに剣の賠償を断ったと知った時も怒りで言葉を失ったが、今回は完全に言葉を失った。

 言葉が出ない、と言うより思考が出てこなかった。

 誰だ、人間の思考は他者との反射で出来ているとかのたまった奴は。

 人の思考を奪う奴がここに居るぞ、ジェニファーリンは自国の哲学者だったか何かを内心で罵った。


 シン・ロングダガーは、あのジェニファーリンから剣の賠償を頑なに断ったシン・ロングダガーは、あろうことか腰に吊した新しい剣を撫でながらニコニコしていた。

 ジェニファーリンは何とか言葉を口にしようと喘ぐように口を開くが、言葉が一向に出てこない。


 ジェニファーリンが口をパクパクさせていると、シンが視線に気が付いたのか笑顔で顔を向けてくる。

 あろうことかシンはこう言った。


「ありがとうジェン」


 ジェニファーリンが叫ばなかったのは殆ど奇跡の範疇であった。

 文字通り、万感ばんかんの思いを飲み込んだジェニファーリンはフラつく精神を合理と効率という愛人二人に支えられながら、驚嘆すべき精神力で笑顔を浮かべて返事を返した。


「私こそありがとうシン」


 皮肉が出なかったのは決してシンの笑顔に当てられたからではない。

 それだけは認められないとジェニファーリンは自分の足下に視線を落とした。北へ向かう道はたいして整備されていないのだ、足下はしっかりと見なければいけない。


 そんな二人を酷く眩しそうに見ているトライの姿には、どちらも気が付く事はなかった。


 *


 若い冒険者の死亡率は驚くほど高い。

 使える魔法は生活魔法のみ、そんな人間が少し腕っ節に自信があるからと冒険者になれば、その結果は当然の帰結であった。


 冒険者ギルドは無能では無かったが、親鳥のように新人冒険者を育てる程には親切ではなかった。

 知識を得る為の本を揃え、決して安くは無いそれらを無料で解放し、若い冒険者を育てても良いと冒険者らしくない事を考えるベテラン冒険者との繋ぎを付ける程度の事はしたが。

 言ってしまえばそれ以上の事はしなかった。


 王族や貴族との兼ね合いも勿論あったが、結局の所は冒険者ギルド自体が最低限の事さえしていれば冒険者など幾らでも増えるという立場に甘えているというのもまた事実だった。

 だがそれでも、高ランクの冒険者になれば、平民では早々には稼げないような金を稼げる、というのは暴力が自慢となるような人間には実に魅力的に見えるのだ。


 トライ・フロースはまさにそう見えた人間だった。

 ごく普通の真っ当さという物を持ち得ない人間だった。


 細々とした努力は嫌いだったし、同じような毎日が続くような人生などまっぴらだった。

 金は欲しいがその為に当たり前のように人生をすり減らすなど自分には無理だと、トライがそう見切りを付けるのに長い年月は必要なかった。


 自分の命を賭して暴力の世界で生きていく決意をしたのが十七歳、才能があったのか十八歳になる頃には冒険者ランク2となった。

 トライは自分は運が良いと思う。


 良い師匠に巡り会えたし、良き友人とも巡り会えた。

 何より自分は一年冒険者をやって死んでない。


 トライは粗野で教養は無く、生来の気性か楽天的でいい加減だった。

 それでいて妙に人から好かれる所があったのはその性根が決して暗い物ではなかったからだろう。


 何度も死にそうな目にあったが、トライは冒険者になって良かったと思う。

 自分にはこれしか無かったのだから、こうなれて良かったとトライは素直に思う。


 そう思う自分だから、そう納得してしまえる自分だからこそ気がつけなかったのだろう。

 トライは自分とは正反対だった友人を思い浮かべた。


 踏みしめた地面は固く。

 自分の背後を歩く二人は酷く懐かしかった。


 *

 

***あとがき***


短編というかちょっとした中編になってしまったので分割して投稿します。

ちょっと仕事が忙しくて、続きは出来れば今週末ぐらいでと考えています。

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