第120話 砂糖漬けシスターのエンディングモノローグ

 *


 室内用の魔石灯が照らす部屋で、シャラは黙々と筆を走らせていた。

 マキコマルクロー辺境伯コムサス・ドートウィルに頼まれた報告書だった。


 本来であれば辺境伯の頼みとは言え、教会のシスターであるシャラが辺境伯に報告書を書く必要も出す義務もないのだが。

 つい同情心から引き受けてしまったのである。


 黒化した竜を討伐した後、ヘカタイへと帰還して一番最初に目に入ったのが、街を背に集まった辺境伯軍とヘカタイの冒険者達を前に気炎を上げて彼らを鼓舞しようと演説をぶち上げていたマキコマルクロー辺境伯の姿だった。


 実に感動的で情熱的な演説だったと思う。

 若い頃には冒険者であったというマキコマルクロー辺境伯は、武具に身を包みその丸い体躯からは想像できない大声量で辺境伯軍の兵士と冒険者を鼓舞していた。


 いわく、竜の爪で真っ先に倒れるは自分である。

 いわく、竜の鱗に一筋の傷を最初に付けるは自分である。


 いわく、何も恐れない、何故ならその一筋の傷を切り開いてくれるだろう者達が後ろに続くと信じるからである。

 ただ一つの約束だ、死地に行けと命令する私のたった一つの約束だ。


 私の前には誰一人の背中は無いと。

 実に感動的な演説だった。


 その背後を黒化した竜の魔石を持ったロングダガー夫妻が通り過ぎなければ。

 あの空気はちょっと形容しがたい物があったとシャラは思う。


 エリカとシンさんの姿に気が付いた兵士や冒険者がマキコマルクロー辺境伯の演説をそぞろに聞きながらザワつくあの空気。

 演説を終えたマキコマルクロー辺境伯がそのザワつきに気が付きいぶかしげに振り返った時の顔は良く言えば喜劇的であったが、それを見せられたシャラからすると悲劇的だった。


 人間はあんな一瞬で死を覚悟した顔から空飛ぶ熊を見たような顔に変われるものなんだなぁと。

 シャラは場違いに感心しつつも真実マキコマルクロー辺境伯に同情を感じた。


 まさかその手に持ってる魔石は違うよね? みたいな顔をする辺境伯にエリカが優美な礼をする様はちょっとした舞台の一幕のようであり。

 眉根にシワを寄せ胃の辺りを抑えるマキコマルクロー辺境伯は絵的には完全に悪事を暴かれた悪役のようであった。何も悪くないのに。


 ロングダガー夫妻に感情をぶん回される事に慣れてる自分でもアレほどの急変はなかなか出来ない。

 シャラはシンが聞けば首を傾げるような事を考えながら筆を走らせる。


 あぁいやしかし、報告書とはこういう物で良いのだろうか?

 シャラは報告書の内容に首を傾げる。


 その殆どがエリカとシンのイチャつきの報告である。

 なんなのだあの夫婦は。


 なぜ黒化した竜の討伐という偉業の報告書の大半が夫婦のイチャつき報告になるのだ。

 いやなるんだから仕方ないじゃないかと、シャラは無心に努める。


 真面目に考え出したら口から砂糖が漏れる。

 シャラは生来の真面目さから、本来ならはぶいても問題ないような夫婦の遣り取りを事細かに書きながら唇を固く結ぶ。


 大丈夫、口から砂糖は漏れてない。


 *


 シャラ・ランスラは絶望した。

 何か知らんが世界は滅ぶと真面目に考えた。


 滅ぶ理由が、友人の旦那が黒髪黒目だから、というのは意味不明だが目の前にある危機は本物だと思った。

 人間はただ立つだけでは地面に亀裂などはしらせられない。


 つまりはアレは人類以外の何かだろう。

 だったら世界が滅ぶ事もあるだろうとシャラは絶望を受け入れた。


 それでもその原因シンに「謝らないからだ」と文句が出たのは自分が死ぬ理由としては、余りにもあんまりだったからだ。

 馬に蹴られて死んだ方がまだ建設的だ。


 シャラはビリビリと大地が鳴く声を聞いて、自分の隣にいる銀髪の娘が身構えるのを見てその勇気を称えたくなった。

 腹に響く地獄からの呼び声のような重たい振動を感じた時、シャラはついに神に祈った。


 それぐらいしかもうやる事が思いつかなかった。

 いや嘘だ。


 この期に及んで、原因シンが指輪を望みだした瞬間にふざけんなという思いが口を突いて出た。

 本当に、本当にこの夫婦は何なのだ。


 嫁は旦那が黒髪黒目だからと世界を滅ぼそうとするし、旦那はその嫁を目の前に指輪を求める。

 シャラは意味が分からなかった。


 シャラがもう少し冷静であったのならエリカの口から紡がれる言葉で、その怒りの対象がロングダガー家であったと理解できただろうが。

 残念ながらシャラは、シンと合流してからというもの短時間の内に、砂糖漬けにされては引き上げられ砂糖漬けにされるという責め苦を受けてきたのだ。

 冷静ではいられなかった。

 ただそれでもエリカの手を取りひざまづくシンから目を離せなかったのは、それがとても大事な物であると直感で理解できたからだ。


 怒ってる君も素敵だけど、笑顔の君がもっと好き等と言い出した時は殴りに行こうかと思ったが。

 まだ私の口に砂糖を突っ込んでくる気なのかと思いつつも、祈りの所作を解かない事でその衝動に耐えた。


 女性の笑顔を「花が咲く」と表現するが、エリカが咲かした花は大輪だった。ついでに言えば花弁かべんは炎で出来ている。

 友人であるエリカは同性であっても胸を高鳴らせるような美貌の持ち主だ。


 シャラはエリカの笑顔を見た瞬間に、先程までの怒りも忘れてその笑顔は卑怯でしょ、と指輪を贈られた事に喜ぶ友人を嬉しく思った。

 大輪の花が咲いたかのような笑顔が、あと一押しで感情が爆発してしまうのを堪えるような恥じらいをふくんだ笑みに変わるさまは、まぁ有り体に言ってヤバかった。


 真正面からその笑みを受けて微笑み返せるシンに尊敬の念すら抱けた。

 いやシンさんの事だから、これぐらいはつねなのかもしれない。


 なんとなくだが、あの男は特別な所作よりも日常にある所作にドキドキするタイプのような気がする。

 エリカが単にフォークを持って食事をする姿に感動しそうな気がする、変態か、変態め。


「あの……」


 エリカの声にシャラはハッとする。

 思わず自分の頬を触ったのは、釣られて笑みを浮かべてしまった自分を誤魔化す為では断じてない。


 ああ、また砂糖を口に突っ込まれるんだろうなぁ。

 半ば諦めながらシャラはエリカの言葉を待つ。


 エリカが左手の感触に戸惑いながら、恥ずかしげに右手でその実在を確認してはにかむ。

 お前、綺麗で可愛いはレギュレーション違反だからな!?


 口かと思ったら目に砂糖を突っ込まれた。

 思わず仰け反りそうになりながらも、自分でも奇妙な義務感で視線は外さない。


 左手を胸に抱いたエリカが驚くほど可愛げのある声で言う。先程まで世の全てを焼き尽くしそうな声を出していた同じ口で。

 シャラは戦慄した。


「少し冷静さを欠いてしまいました……」


 すい……。


「ひゅざけんな!」


 すいませんだか何かを言おうとしていただろうエリカを遮ってシャラ・ランスラは叫んだ。

 戦慄も吹っ飛んだし、噛んだ事も気にならなかった。


 思わず立ち上がり二人に駆け寄る。

 二人からの何だコイツみたいな視線が腹立つ。


 おう、なんだ決闘か?決闘だな、その目は決闘だぞ?受けて立つぞ。


「少しじゃないでしょ!?」


 言わずにいられなかった。

 両手を形容しがたい感情にワシワシとさせながらシャラは言わずにいられなかった。


 “少し”で世界を滅ぼしそうな声を出されてたまるかと。


「大げさだな」


 滅びそうになったのはロングダガー家だけだぞ。

 呆れた顔をするシンを視線だけで黙らせる。あと十分に大事ですよそれ?

 自分が言えた義理ではないが、エリカはちょっと感情の揺れ幅が大きすぎる。


 旦那が黒髪黒目だからと世界を滅ぼしそうな声を出したり、いやホント意味わかんない。

 指輪一つで周囲一面の空気を蜂蜜にする。


 ちょっと普通じゃ無い落差である。

 ふと先輩シスターから聞かされた話を思い出す。


「まさか……」


 そう思いつつもエリカを背に庇う。


「普段はエリカをないがしろに扱い、たまに優しくして支配しようと?」


「決闘の申し込みなら受けるぞ?」


 そう言いつつもシンの視線が、完全にこちらの正気を疑う物だった事にシャラは傷つく。

 まさか非常識シンさんに正気を疑われるとは。

 そういう扱いを受けている女性は、そうなりやすい。

 という先輩シスターの言葉を思い出して思わず疑ってしまったが。


 まぁそんな事はあるはずが無いと、流石に飛躍しすぎた考えに反省した所で驚くシンの顔が目に入った。

 何だと視線を辿って振り返ると考え込むエリカの顔が見えた。


「まさか」


「するか!」


 ああ、いえ。

 エリカが真剣な顔で口を開く。


「確かにシンはわたくしに少々甘い言葉を言い過ぎます」


 畜生!後ろから刺された!

 目の前ではシンが両手で顔をおおって震えている。


「それは蔑ろにされてるって言わないよ!?」


 いえ、わたくしの気持ちはないがし……。


「なんで途中で言い止めたあげくエリカまで恥ずかしがりだすんです!?」


 何なんだこの夫婦、と叫びながらも思わず口角が上がりそうになる。

 決してこの遣り取りが楽しかったわけではない。


 ただ、誰かがこの夫婦にお前ら何なんだと言うのなら、それは自分でありたいとほんの少し思うだけなのだ。

 そう、それだけだ、だけなのだ。


 畜生、なんで私は自分からこの激甘空間に飛び込んだのかと嘆きながら頭を抱え呻く。

 これもあの銀髪がボケッと眺めているだけなのが悪い、この空間に飛び込む勇気もないチキン野郎め、息を止めて飛び込んでこい。 


 とりあえず、自分が飛び込んだのは他に飛び込む奴がいなかったからだと言い訳しながらシャラ・ランスラは叫んだ。


 *


 はて、自分は何と叫んだのだったか?


「ああ、いえ流石に私が叫んだのは関係なさすぎですね」


 本来ならもっと早く発揮すべきだった常識を思い出したシャラは筆を止め、その部分を省く事にした。

 こんな物で良いのだろうか?

 報告書とはこういう物なのだろうか?


 疑問に思いつつも、よく考えたら報告書など書いた事がないし読んだ事もない。

 まあ事実しか書いてないのならそれはきっと報告書なのだ。


 シャラはそう納得して“かくしてロングダガー夫妻は黒化した竜を討伐し帰路へとついた”と報告書を締めくくった。

 たった二人の冒険者が黒化した竜を討伐したと報告すれば、またぞろ正気を疑われると危機感を感じていたが、疑うのなら本人がいるのだから訊けばいいのだ。


 シャラは既に開き直っていた。

 嗚呼しかし、自分は何という夫婦と知り合ってしまったのだろうか?


 初めて会った時、ゴールデンオーガを軽く倒した程度で驚いていた自分が懐かしい。

 今なら分かる、あの時あの二人は全くもって全力ではなかったのだ。


 人里に現れたら大惨事が確定されるような魔物を相手に、あろう事かあの二人は畑を傷つけないようにと気を使って戦っていたのだ。

 意味が分からない。


 噂に聞くファルタールの異常っぷりも、あの二人を知った後では尾ひれの付いた大げさな噂だとは思えなくなってしまった。

 ふと街中を埋め尽くす大勢のシンとエリカの姿を幻視してシャラは頭を振った。


 いや流石にあの二人のような人物が大量にいたりはしないだろう。

 いくらなんでもそれは駄目だ、駄目すぎる。


 あの夫婦が十組もいれば、どんなヘボ将軍でも世界を取れる。

 イチャイチャしながら世界を蜂蜜に沈めるロングダガー夫妻の姿を想像しながら、軽くえづく。


 ああ駄目だ駄目。

 これ以上あの二人の事を考えていたら胃もたれする。


 シャラは慣れない机仕事に固くなった背筋を伸ばすと、魔石灯を消してベットに潜り込む。

 とりあえず明日はあの夫婦の所に顔を出しに行こう、どうせ久しぶり、いやたった数日ぶりだが、に会えてイチャイチャしてるだろうが。


 まぁうん、きっと会えば楽しいだろう。

 シャラはふと何か大事な事を忘れている気がしたが、それが形になる前に意識を手放した。


 *


 彼女にあとほんの少しの想像力があれば、あと数行だけでも書き足していただろう。

 だが残念なことにシャラ・ランスラは真面目な人間ではあったが只のシスターだった。


 それに努めて冷静さを保とうとしていたし、慣れない報告書を書こうと悪戦苦闘していた事もあってすっかり忘れてしまってもいた。

 光の巫女およびその他一行がヘカタイの街へと向かっているという事を。


 報告書からスッポリ抜けたその事実は、後にシャラの報告書を読んでゲンナリしていたマキコマルクロー辺境伯に特大の胃痛をもたらす事になる。

 マキコマルクロー辺境伯に一介のシスターに対して恨み言をぶつけないだけの常識があった事は、シャラ・ランスラにとって今回の事件においての最大にして唯一の幸運だっただろう。


 彼女の喉がれるのはまだ先の話である。


 第二章 君のいない道を一人で歩く、ただし君と 終

 

***あとがき***

 ぶん投げたプロットを拾いに行く旅に出ます。

二、三か月後ぐらいには戻ってこれたら、またよろしくお願いします。


あとカクヨムコンに参加してますので、星など頂けると作者喜びます。

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