第118話 君の手に貴方の瞳を6

 *


 おそらく本当にさわれる程の高密度の魔力の破片が吹き上がりエリカの赤髪を揺らし。

 地面に亀裂が入った。


 エリカさん、せめて大地を殴るか蹴るぐらいはしてください。まさかの直立不動ですか。

 シンさんが謝らないからぁ!とシャラが叫び、興味なさげに立っていたエルザが完全戦闘態勢になっているが、叫びたいのは俺も同じだ。


 この顔、そうエリカのこの顔はアレだ。

 確か、何とか伯爵の息子だかが糞しょーもない嘘を重ねて光の巫女を強引にエリカから引き離してデートに誘おうとした時にエリカが見せた顔だ。


 エリカはその立場から考えると意外なほどに素直に感情を表に出す人だ、それを立場からの傲慢さと取る人間もいた。

 だが不愉快さが限界に達したときは感情が全て表面から引っ込むのだ。


 馬鹿はそれを普段とのギャップで弱気と受け取るらしいが、アホか死ね。いやほっといても死ぬか。

 眉毛が平坦フラットになったら警戒ラインだ、形の良い唇が溜息を吐く寸前みたいになったら死を覚悟しろ。

 いや違う、アホは俺だ。


 何か知らんがエリカの地雷を踏み抜いた。

 首か!? 俺の首でいいか!?


 謝る内容が全く思いつかなくて自害するしか頭に浮かばない。

 俺の謝罪自害だけで怒りが収まるだろうか? まさか俺の黒髪黒目でこんな事になるとは。


 ズン! という腹に響く地鳴りが響き、耳が痛い程の静寂の中でエリカの唇が開く。

 溜息最後通牒が出た瞬間に自分の首を跳ねよう。


「貴方は――貴方のその自己評価の低さは何事かと思っていましたが……」


 そういう事でしたか。

 エリカが微笑む。

 俺はうなりそうになるのを奥歯で噛み殺す。


 その笑みはどういう意味ですか?

 エリカ検定一級の保持者である俺としても、初めて出される問題に頭が真っ白になる。


 思えばこの茶番を始めてから初めての問題だらけだった。

 知らないエリカの顔で沢山だった。


 そのたびに知らない彼女を知れて幸せだった。

 特にお茶に砂糖を入れる時のエリカの顔は最高に可愛かった、慎重な手つきに真剣な顔になるのが最高。


 いや違う、現実逃避するな俺。

 隙あらばエリカの素晴らしさを語るのはやめろ。


 走馬灯の主演はエリカに務めてもらうのは構わないが、観客になるにはまだちょっと早すぎる。


 考えろ、俺はエリカのどんな地雷を踏み抜いた?

 足りない頭をフル回転させる。

 なぜ学園にはエリカ学とかそういう授業が無かったのかと学園の不備を呪う。


 黒髪黒目、貴族、家族で俺だけ。

 直近で出た言葉を反芻はんすうする。

 

 オーガナイトと戦っていた時ですらここまで頭を酷使しなかったぞ、と思った瞬間に反芻した言葉が“この茶番劇”に繋がり。

 俺は自分の顔が真っ赤になったのを自覚した。


 何故ならエリカが俺の為に怒ってくれていると分かったからだ。

 いやこれは恥ずかしい勘違いの可能性も。


「成る程、茶番劇に差し出すには丁度良かったという事ですか」


 うわ、どうしよう。

 エリカの言葉で勘違いではない事が分かって嬉しすぎてエリカの顔が見れない。


「そうですね、ええ、そうです」


 エリカが微笑みながら頷く。

 俺の為に怒ってくれるエリカをしっかり見ようと、嬉しさで弛む頬の内側を噛み、顔を上げる。


 何故かエリカの背後でエルザが覚悟が決まった顔で俺を見ている。

 そしてシャラは何故か祈りを捧げている。


 確かにエリカは絶えず神々こうごうしいが教会のシスターが良いのかそれは?

 あとエルザは視線で今?今?と訊いてくるのは何だ?


「まずは一旦ファルタールへと帰りましょう、そこでちょっとシンのご家族へご挨拶に参りましょう。ええ、大丈夫、わたくしは追放された身ですが……まぁ邪魔する者あらば全てなぎ倒せば良いだけの話です」


 おっと不味い。

 このままでは宰相殿と、自業自得だが王家と大貴族どもが苦労して教会から引き出した譲歩が無に帰してしまう。


 エリカの誤解を解かねば。


「エリカ、ストップ、ちょっと待ってくれ」


 エリカが微笑んだまま首を傾げる。

 一を聞いて十を知る、君らしい勘違いだと思いながら苦笑する。


「だいたい何を誤解したのか分かるけど、全くの誤解だよ」


 エリカがキョトンとする。


「確かに家族で俺だけが黒髪黒目だけど、それは生まれつきで、貴族にありがちな庶子しょしだとかそういう話ではないんだ」


 俺はエリカが勘違いしただろう事を否定する。

 良くあると言えば良くある話だ。


 貴族の夫やら妻が家の外で子供を作って、責任を取るという形で引き取り。

 何か家がらみでトラブルが起きた時に適当に使って処分する。


 実に良くある話である。

 醜聞しゅうぶんとしてはありきたり過ぎて醜聞にならない程だ。


 たしかに俺は黒髪黒目で、親父おやじも母も兄も弟も金髪碧眼だが、母いわく俺は間違いなく母の股から産まれたらしく、浮気したわけでもないそうだ。

 ちなみに母は産まれた俺を見た瞬間に、親父に一瞬でも不義を疑われたら俺を連れて出て行くつもりだったらしい。


 それでまあ。


「親父と母は今も仲良く暮らしてるし、そういう事なんだよ」


 肩をすくめたのは脳裏に四六時中イチャイチャしている両親の姿がチラついたからだ。

 ほら、だから君が怒る必要なんてのは無いんだよ、そう思いながらエリカを見た俺は絶句した。


 エリカは微笑み言った。

 身に降りかかる理不尽を全て踏み砕く意思を宿した笑みを浮かべて言った。


「嗚呼、良いのです、良いのですよ旦那様」


 短い間柄ですが、貴方という人間がどういう流儀りゅうぎで生きているかぐらい分かっているつもりです。

 どこかで見た顔でエリカが言う。


「貴方が強制された程度でおのが行く道をたがえるよう人ではないと、分かっているつもりです」


 どこか遠くを見るような目をしてエリカが言う。


「であるならば、貴方が恩あるご家族を庇うは優しさでしょう。貴方らしい優しさでしょう」


 あっれ? これは……あっれぇ?


「ご安心ください、悪いようには致しません。家を使うというのは個人的には好みではないのですが、えぇ大丈夫です、少し御父様に働いていただきましょう。ちょっとばかり骨を折って頂きましょう、嗚呼、大丈夫です、大丈夫ですよ?貴方のご家族にご迷惑をおかけするような事にはならないよう十分に注意いたしましょう」


 エリカがポンと胸の前で手を叩く。


「そういたしましょう」


 何をだぁ、と思いつつ戦慄する。

 これ、この顔は馬車で呪詛吐いてた時の顔だ!

 魂の抜けたような顔ではないけれど、この顔は間違いなくあの時と同質のものだ。


 誤解がとけるどころか悪化している。

 嘘だろ、何でだ。

 思わず助けを求めてエリカの背後に視線を飛ばすと、シャラが目を瞑りひざまづいて祈りを捧げ、エルザが完全に死を覚悟した顔で頷いてくる。


 駄目だ、混沌カオスに過ぎる。二人から視線を逸らす。

 エリカは我を忘れる程に怒るとこうなるのかと思いつつ、糞しょうもない嘘を重ねてエリカを怒らせた伯爵の息子の事を思い出す。


 怒らせて三日ほどで学園から居なくなってたな。

 いかん、俺の黒髪黒目のせいで我が家がピンチだ。

 えぇそうですね、まずはシンにソルンツァリになってもらいましょう。わたくしがまたソルンツァリになってしまいますが、些末さまつなことで御座いましょう。ロングダガーも良いですが、シン・ソルンツァリというのも良い物でしょう、あら良いですね、ええとても良いですね。


 うぉおおマズいマズいマズい。

 ソルンツァリを名乗るのに不満などないが、幾ら何でもそれはマズい。教会の顔が真っ赤になる。


 なんなら真っ赤にさせてやりたいが、せめてエリカの命を狙っている奴の正体を確かめてからだ。

 敵を潰す時は一つずつ、師匠の教えだ。


 いやいや、違うバカ、俺バカ、余計な事考えてる場合か。

 思考が貧困化するのを自覚しつつも頭をフル回転させる。


 ふとイチャつく両親の姿が脳裏に浮かぶ。

 いや違う、そこじゃない。


 一瞬のひらめきにわらにもすがる思いで手を伸ばす。


「エルザ!」


 妹弟子が決死の顔で頷く。


リングを作れ!」


 何故か戦闘態勢だったエルザが一瞬で頭上に鉄の輪を作り出す。


「違う!大きすぎる!」


 ひと一人はくぐれそうな鉄の輪を見て俺は言う。

 何を間違えたのか分からない、みたいな顔をして輪っかとエリカを見比べているエルザに右手に持った宝石を向ける。


指輪リングの方だよ! エリカの指のサイズで頼む!」


 エルザが俺の声に盛大に首を傾げ、シャラが何なんだよこの夫婦と叫び、俺は右手の感触に満足し笑う。

 やるな、エルザ。


 そこまで頼んだわけでもないのにリングに宝石がまっている。

 磨かれてもいない宝石だが、無いよりかはずっとマシだろう。


 何事か俺の未来についての計画を語り続けるエリカの前に片膝を付き、彼女の左手をそっと掴む。

 エリカが俺の顔を見下ろし微笑む。


「そうですね、どこか王都から遠い場所に領地でもご用意しますので移って頂きましょう。貴方がファルタールに帰った後にも自由でいられるように」


 それはもしかしたら我が家にとっては良い事かもしれないなぁ、と思いながらつい笑みが漏れる。

 自分の為にここまで怒ってくれるエリカが愛おしくて仕方ない。


 その誤解が、その思い違いが、ただただ嬉しい。

 自分が命すら狙われているのだと、知ってなお冷静であった君が、俺の為にこんなにも怒っている。


 笑みを浮かべた俺を見てエリカが首を傾げる。

 だがしかしまぁ、そうだな、嬉しくはある、嬉しくはあるんだけども。


 俺はそっとエリカの指に指輪を嵌める。

 遅れてすまない。


「君にこの指輪を贈らせてくれ」


 怒っている君も素敵だけど、笑顔の君の方がより好きなんだ。

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