第114話 君の手に貴方の瞳を2

 *


 自分が何かろくでもない事を考えていた、という自覚だけがハッキリと残った。

 あそこに飛び込むと記憶が殆ど飛ぶのは、そういう物なのか、はたまた実力が足りないからなのか?


 どちらにしろ記憶がこうバンバン飛ぶのは大丈夫なのかと思いながら俺はゆっくりと振り返る。

 今にも頭が破裂しそうな程の頭痛に、心臓の鼓動に併せて吹き出る鼻血という、エリカに見られたら割と本気で自殺するしかない姿だが、身体強化はまだ解かない。仮面を付けていてマジで良かった。


 エリカが近くにいるのだ、愚か者の森の時のような、気絶する無様は晒せない。

 有難い事に身体は多少は慣れてくれたのか前ほどには辛くない、嘘です一人だったら泣いてるレベルで辛いです。


 いやしかしまぁ、なるほど確かに蒼い炎がバフンバフンだな、振り返った俺はそう思いながら剣を振るい炎を散らす。

 竜の黒い体躯にまとわり付くように、俺の移動の軌跡をなぞるように走る蒼い炎の線が散る。


 ジュエルヘッドドラゴンの広い“背中”を見上げながら俺は剣を鞘に戻す。

 油断でも慢心まんしんでも無く、ましてや諦めでも無く。


 ただ単純に確かな結果だけが確信と共に胸の中にあった。

 というより、これで駄目だったら今の俺では何をした所で無駄だろう。


 ふむ、やっぱり諦めなのかもしれない。

 そんな事を考えながらも、手の中に残る“全てを断ち切った”という手応えを転がす。


 殆どの記憶はすっ飛んでいるがそれでも残る記憶。

 幾数十と振るった剣の軌跡はこの身に焼き付いている。


 少し、ほんの一歩エリカに近づけた、そんな自負心に押されてつい益体もない言葉が口から漏れる。


「長々と付き合わせて悪かったな、妻に送る指輪の宝石に手を抜くなんて出来なかったんだ」


 言葉が通じたわけでは無いだろうが、竜が一瞬だけ身じろぎしたように見えた。

 パキンという乾いた音が鳴る。


 何だかんだで苦楽をともにした仮面が割れる音だった。

 役目を終えたとばかりに仮面が砕け、その破片が地面に着く前に。


 ジュエルヘッドドラゴンは魔石屑となって砕けた。

 胸に湧いたのは不思議な事に安堵でも喜びでもなく寂しさに近い感情だった。


 御しがたい奇妙な自分の感情を胸の内に仕舞しまい、ゆっくりと竜だった残骸へと歩いて行く。

 頭は平時の半分も働かず、足下も覚束おぼつかない。


 鼻血塗れの顔を袖で拭い、奇妙なほどハッキリとした確信でもって足を進める。

 絶対にそこにある、確信は順当に安堵へと替わり、砂のような魔石屑の上にあるそれを見つけた俺は――。


 その場に膝から崩れ落ちた。


 *


 エリカ・ソルンツァリは、今や既に自分に嘘をつくことすら諦めて、好きなのだと認めなければいけない少年が。

 予兆を感じる事すら叶わぬ速度で、黒化した竜という災厄に単身で飛びかかった時に。


 エリカ・ソルンツァリは安堵した。

 なんと浅ましい感情であろうかと、そう自分に落胆すると同時に、自分は孤独ではないのだと、ただ子供のように安堵し。

 

 口からは一言、嗚呼とだけ溜息のような声を漏らした。

 自分の抱く期待に溺れるような孤独はもう感じない。


 何故なら少年が――シン・ロングダガーが見せてくれたからだ。

 その振るわれる剣筋一つ一つが、自分が孤独ではないのだと教えてくれた。


「見ましたか?シャラ」


 だから問いかけたのは、確認ではなく共感を求めたからだ。

 あの剣の凄まじさを誰かと共有したかった。


「私はアレが見えるほど化け物じゃないですよ!?」


 シャラの言葉を無視した。


「竜の影に入った所は分かりませんが、少なくともあの一瞬で二百は下らない数の剣が振るわれました。“三往復目”以降はわたくしの目でも大雑把にしか見えませんでしたが」


 いつでも駆けつけられるようにと、最大強度の身体強化を維持していた事にエリカは感謝した。

 でなければ見逃していただろう。


「シャラ、あの剣は絶後です。おそらく生きている内に彼以外があの剣を振るうのを見ること叶わぬ、そういった剣です」

 

 畜生ぉ!やっぱり惚気か!

 シャラの叫びは耳に入らない。


 驚くべきはあの速さではない。

 いやあの速さも凄いのだけど、そうではないのだとエリカは思う。


 シンは気が付いているだろうか? 自身が振るった剣がどういった物か。

 剣身より先にある物を斬る。


 それは剣士の夢であり、妄想と妄執じみた望みだ。

 ある者は剣身から風の刃を伸ばす事でそれを成した。

 スキルという奇跡をもってしてそれを成した者もいた。

 また魔道具を使って成した者もいた、ソルンツァリ家だ。


 ソルンツァリ家はそれをレイバニティに剣の形をした魔道具を作らせる事で実現した。

 稀代の魔道具製作者レイバニティが作った五本の魔剣。


 その内の一本、現在エリカがたずさえるそれは、剣ではあるがその本質は魔道具だ。

 エリカをして制御できないと使用しない、時空間魔法をただ制御する為だけの魔道具だ。


 あの狂人レイバニティが割に合わぬと五本しか作らず、百年以上たってなお模倣もほうすら不可能な魔道具を使用して、空間を斬るという魔法を一時的に発動させて成せる技。

 それが剣士の夢だ。


 そう、切れ味や範囲、手段を無視すれば今やその剣士の夢は然程さほど珍しいものではない。

 だが、シンが振るった剣はそれらとは本質的に違う物だ。


 歴史上でたった三人の人間だけが成し遂げた絶技、魔力でもって剣より先の物を斬る。

 今ある剣より先の物を斬るという剣技は全てこれの不完全な模倣に過ぎない。


 魔力はそれだけでは何一つ事をし得ない。

 魔法陣をかいし、魔法という形となって初めて魔力は事象として発現する。


 だがしかし、例外がある。

 シンの蒼い炎のように、魔力が超高純度、超高密度である時だ。


 超高純度、超高密度の魔力はるというそれだけで魔法となる。

 通常それはシンの蒼い炎のように自発的に魔法という現象となり、極めて不安定だ。


 だがそれを制御出来ればどうなるか?

 その答えがシンが振るった剣なのだ。


「分かりますか?シャラ」


 興奮と安堵と嫉妬と、自分でも何なのか分からない感情に頬を紅潮させてエリカは問いかけた。

 遠くでゆっくりと振り返るシンの姿から目を離せない。


「魔力が、魔力そのものが魔法という現象を起こすという事は、他者の魔力によって阻害されないという事なのです」


 魔法となった魔力は他者の魔力から影響を受ける。

 串刺しエルザが膨大な魔力を持つ竜の体内で杭を作れないように。


「分かりますか?シャラ」


 答えを期待していない質問を繰り返す。

 絶技の残滓である蒼い炎が空中に舞い消える。


「阻害されない魔力でもって斬るという事は、理論上シンの剣に斬れぬ物は存在しないという事です」


 うわぁ、とシャラが呻く。

 うわぁとは何だうわぁとは、そこはシンさん凄いでしょう。


「今やシンは神すら斬れるのです」


「それを教会のシスターに言います!?」


 そう叫んだシャラの声はエリカの耳には届かなかった。

 既に駆けだしていたからだ、力なく膝から崩れ落ちたシンへと。

 

 心にあったのは焦りだけだった。

 側へと行かねばと、アレほどの絶技に何の代償も無いはずがないのだ。


 暢気のんきに凄いと眺めていた自分の間抜けさが恨めしい。

 急がねば。


 少なくともあの女より先に辿り着かねばならぬ。

 エリカは淑女らしからぬ作法で、地面を削り飛ばしながら走った。

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