第112話 ロングダガー夫妻被害者の会、会長はかく語る

 *


 シャラ・ランスラ、ぺんぺん草程度は恥じらう十七歳である。

 二十代で結婚するのも珍しくなくなった昨今ではあるが、それでも少し前までは結婚適齢期と言われた十七歳である。


 多少なりとも結婚という物に憧れのようなものはあるし。

 ふわっとしてキラキラとした妄想じみたものであると自覚しつつも、理想の夫婦像的なものもある。


 シャラ・ランスラは今、その自分の持つ理想の夫婦像に対して深刻な疑念を抱かずにはいられなかった。

 もしかしたら理想の夫婦とは、片割れに存分に死んでこいと死地に送り出せないと駄目なのではないか?と。


 だとしたら自分のふわふわキラキラした夫婦像はまったくもって理想的ではないのではないか?

 ……ってそんなワケあるかー!


 シャラは心中で思いっきり叫んだ。

 不意打ちで砂糖塗れの愁嘆場しゅうたんばを見せられたせいで正気が持って行かれた。


 お互いにあんな顔をするなら一緒に行けば良いではないかと。

 シンさんもシンさんだが、エリカもエリカである。


 相手はシンさんなのである、貴方を一人で行かせられませんとかエリカが一言いえば秒で折れる。

 なぜその一言を言えないのか? お互いに変な所で甘え下手な夫婦である。


 一緒に死地に連れて行ってというのが、甘えになるというのも考え物だが。


「……って」


 シャラは再び正気に戻った。


「ホントに一人で行ってるんですけど!?」


 シャラは遙か遠くのシンの姿を見て今度こそ本当に叫んだ。

 ただただ単純に意味が分からなかった。


 冒険者ではないシャラにでも分かるし、知っている。

 黒化した魔物の恐ろしさを。


 ましてや竜の黒化である。

 竜種の黒化など、数は少なく、そしてそのどれもが歴史に残る程の惨事として記録されている。


 本来であれば足止めですら騎士団でもなければ務まらない相手である。

 シャラ自身、この無茶苦茶な足止めの依頼自体に対して死を覚悟していた。少なくとも最上の結果ですら五体満足では済まないだろうと。


 事実シャラは黒化した竜を見た瞬間に死ぬ覚悟は済ませた。

 あんな物と戦うのかと、絶望をすっ飛ばして覚悟が決まったくらいである。


 本来ならどんな些細な戦力でも欲しい、となるはずだ。

 ましてやシンさんは――シャラはこの点に関しては疑わなかった――黒化した竜を倒すつもりなのだから。


「えっと、エリカ、あのシンさん行っちゃいましたけど良いんですか?」


 言外に何一つ良くないですが、と言いながらシンの背中を見送るエリカの背に問う。


「良いのです。夫が覚悟を決め、一人でたち、更には骨を拾ってくれとまで頼まれたのです。これを送らずに何が妻でありましょう?」


 何だその殺伐とした夫婦は?

 覚悟を決める方もオカシイが、骨を拾う気満々なのもオカシイ。


 そも黒化した竜相手に骨を拾えると考える事自体が理解の範疇を超える。

 いやエリカなら楽々骨を拾いそうだが。

 

 それともこの夫婦を普通の感覚で計ろうとする自分がオカシイのか?

 シャラは首を傾げそうになってしまう。


 いやまぁオカシイのだろう。

 シャラは即座に自分の疑問に答えを出す。


 そもそもこの場にいる事自体がおかしいのだ。

 勿論シンの事である。


 シャラは思い出す、マキコマルクロー辺境伯から渡された、竜がいる方角を指すという魔道具を途中から使っていなかった事を。

 道中の途中からエリカが「あら?こちらの方角にシンがいるような気がしますわ」と言い出したからだ。


 魔道具を見もせず先頭を進むエリカに大いに焦ったものである。

 幸い方角はずっと魔道具の指す方向であったが、遂にシンさんがそばにいなさすぎて駄目な方向に振り切ったかと危惧したのだ。 


 今や本当に進む先にシンがいた事でシャラの危惧は別の意味となっていたが。

 またぞろ妙なスキルにでも目覚めたのではないかと。


 まぁ良い、この夫婦ならそれぐらいはやりかねない。

 竜種と同じくらいにナンデモアリなのがあの二人だ。


 何せ魔境の森が一部とは言え、真っ平らになるような爆発から無傷で帰ってくるような二人なのだ。常識なんて捨てろ。


 そういう意味ではシンに対してもシャラはそんなに心配していなかった。


 無茶苦茶ではあるが、無謀だとは思えなかった。

 黒化した竜相手に我ながら何を言っているのかと思うが紛れもない本音だった。


 まぁシンさんなら、エリカが拾える程度に骨が残っていたら何とかなるでしょう。

 文字通り本当に骨になってもシンさんなら何とかしそう、と失礼な結論を出しながらエリカの隣に立つ。


 遠くでは丁度、仮面を付けたシンが竜の前で構えを取る所だった。

 シンのその姿に、流石さすが夫婦だなぁとシャラは思う。


 自分は仮面を付けたシンを、遠目ではシンだとは分からなかったのだ。

 近づいたら直ぐに分かったが。


 遠目でも仮面を付けていても、一目で夫であると分かると言うのは愛の成せる技なのだろうか?

 そういう点に関して言えば、自分の理想の夫婦像ともそんなに違わないのになぁ。


 シャラはそんな事を考えながらエリカの横顔を見た。


「……神よ」


 刹那で神に救いを求めた。


「誰ですかその女、誰ですかその女、誰ですかその女、誰で……」


 自分のほぼ最大強度の身体強化中でありながら、なお聞き取れるギリギリの速度で紡がれるエリカの言葉に。

 シャラはその疑問が自分に向かないようにと、ただただ神に救いを求めた。


 この日、シャラ・ランスラ、十七歳は神への信仰をより強固なものとした。

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