第111話 貧乏子爵家次男は瞳を追う12
*
はい、皆さん。
ここで質問です。
好きな女性にお姫様抱っこされた男性はどんな顔をすれば良いでしょうか?
自分は喜ぶ己の業の深さに深刻な疑念を抱かずにいられませんでした。
俺をお姫様抱っこしたエリカが地面を靴底で削りながら勢いを殺す。
惜しい、第三者の目線で見れたらエリカ超格好良かっただろうな、残念ながら抱っこされているのは俺なので美的観点からはマイナスだが。
本来なら湧くはずの疑問の前に、本気でそんな事を考えた自分の頭につい言葉が漏れる。
「我ながら業が深い」
バンザイの格好でお姫様抱っこされる俺を見下ろしてエリカが
「奇遇ですね、わたくしも自身の業の深さを最近認識したところですのよ」
彼女が微笑みながら俺を地面におろす。
「ですが、まぁ業の深さも良い物であると、今は、というか今、振り切れましたわ」
相変わらずエリカは凄い。
俺なんて自分の業の深さに恐れ
何の業かは分からないが。
「俺もそうなれるよう精進するよ」
ちょっと失礼。
そうエリカに言いながら仮面を外して地面に胃に溜まった血を吐く。
地面にちょっとした血だまりが出来る。
「目を離すとすぐにボロボロになるのは夫としてはどうかと思いますよ?」
「慣れると案外楽しいもんなんだ」
呆れるエリカに軽口を返す。
ちなみに思った以上に量が多かったので自分でも驚いた。
「らしいと言うには少々強がりが過ぎましてよ旦那様」
そう言ってエリカが俺の胸に手を当てて回復魔法をかけてくれる。
後回しにしていた細かい箇所が治っていく。
あれ?何でだろう?傷は治っていくのに胸が痛いんですが?
そんな俺達を見てシャラが何か叫んでいたが、俺は無視した。
*
訊きたい事は山ほどあったが一番聞きたい事を訊く。
「俺がいない間に何かあったか?」
「特には何も」
エリカの答えに、そうか何も無かったかと安心する。
シャラが背後で首を盛大に
まぁ安心だ。
「それで、どうしてここに?」
二番目に聞きたかった事を訊く。
ちなみに三番目は、寂しかったりしたりしなかったりしませんでしたか? なので一生問われる事はないだろう。
「それは私から」
そう言って語り出したのはシャラだった。
「冒険者シン・ロングダガーに教会およびマキコマルクロー辺境伯による指定依頼があります」
俺は仮面の下で盛大に顔をしかめた。
*
シャラは見た目はシスターだが、その中身は俺達に近い。
腹から骨が突き出ていても村人の為にと戦おうとするし、魔族を目の前にしてキモいの一言で済ませられる頭をしている。
能力の方も十分に俺達よりだ。
ランク6程の強度で身体強化を使える教会の人間など、しかも俺達と同年代だろう年齢で使える人間は相当に珍しい。
その身体強化を使って高速でシャラが語った内容は実に腹立たしい物だった。
「つまり俺とエリカに黒化したジュエルヘッドドラゴンの足止めの依頼をした所、俺が不在だった為にエリカとシャラだけで来たと?」
無茶なお願いであるとは承知しています。
そう答えるシャラの顔は真剣だったし、彼女自身もそれに着いてきているのだからシャラも命懸けである。
偶然にも俺と合流する事となったが本来ならエリカとシャラ二人で黒化したジュエルヘッドドラゴンと戦う事となっていたのだ。
エリカが黒化して間もない程度のジュエルヘッドドラゴンに遅れをとるなど想像できないが、シャラにすれば十分すぎる死地だ。
だがまぁ、そうであったとしても腹が立つ。
特に教会に対しては色々と考えてしまう。
俺達を使うにしても、エリカに死ねと言った口でお願いとは笑わせる。
エリカは断らないだろうと、魔境の件で考えたというならどこかで考え違いを教えてやらなければならない。
どう答えるのがエリカの為になるのか? 俺は考える。
「楽しそうでございましょう?」
そんな俺の耳を炎が撫でる。
心底楽しそうな声で彼女が言う。
「いえ違いますわね、貴方と合流できて楽しくなってきましたと言うべきですね」
あまりの急展開に高まる事も忘れていた心臓が胸の中で転げ回る。
「貴方と二人で
エリカがそっと俺に手を差し出す。
まるでダンスの誘いを待つように。
「
背後でシャラが「何言ってんだこの夫婦!」と叫んでいるが無視する。
なぜなら冷静な俺がその手を取るのが当然だと頷き、強欲な俺が喜び転げ回りながらその手を取ろうとするのをねじ伏せるのに必死だったからだ。
手を取られるのを疑わぬエリカに俺は言う。
「すまないエリカ」
謝る俺にエリカが小首を傾げる。
「君の助力は要らない」
エリカ・ソルンツァリがぐらついた。
*
「理由を訊いてもよろしくて?」
その声は答えぬ事を許さないと言外に告げていた。
一瞬、エリカがぐらついた様に見えたのは幻だったのだろう。
今その目にあるのは納得いかない答えならば許さないという強い怒りだった。
エリカの抱くその怒りは良く分かる。
俺なら怒る、レアな魔物を前に手を出すなと言われたら間違いなく怒る。
そうと分かっていても俺はエリカの手を借りられない。
「理由は言えない、だけどアレを倒すのに他の誰の手を借りる事があっても君だけには借りる事は出来ない」
「出来ない……ですか」
差し出された手が遠のいていく事に絶望に近い衝動を感じる。
エリカが差し出していた右手を胸の前で抱くように左手で包む。
その行動が出来れば俺を殴りそうな右手を押さえている訳じゃ無い事を祈りつつ言葉を続ける。
「下らない
「それは、つまりはあの竜を倒す事が今回の貴方の目的だと?」
頷く俺にエリカが溜息を吐く。
「成る程、貴方の目的は分かりませんが……そうであるなら、わたくしの手だけは借りられない、というのはまぁ貴方らしい考え方でありましょうね」
彼女とわたくしとの間柄を考えれば。
エリカが謎の一言を継ぎ足しながら微笑む。
その顔が酷く寂しそうに見えるのは俺の勘違いなのだろうか?
何かを決定的に間違えている予感を感じながらも口は止まらない。
「いつもそうなんだ、下らない物ほど捨てられないんだ」
まろび出る言葉はまごう事なき本音で、思わず苦笑を浮かべてしまう。
エリカにあんな顔をさせておいて、出てくる言葉が下らない拘りを捨てられないとは、我ながら正気を疑いそうだ。
それでもエリカに送る指輪に彼女の手は借りられない。
妙な諦めが笑顔を作ってしまう。
「そういう顔は卑怯ですよ? 旦那様」
エリカが笑う、先程とは明らかに違う顔で。
「えぇ、まぁそうですね。我ながら業が深いですが」
エリカが一瞬言い淀む。
「そういう貴方をわたくしは、こ、こ――
よっしゃ!これから下らない物だけに拘って生きていこう。
例えばフォークとナイフは必ずフォークから手に持つとか。
「
よし殺そう、今すぐ殺そう。
首が生えてくるくらい何だと言うのだ。
おう、細切れだ細切れ。
ちょっと宝石になるからって長々と付き合わせやがってあの糞竜が、秒だ秒、秒で殺してやる。
――と、今にもすっ飛んでいきそうな身体を止める。
「こんな事を言っておいてなんだけど、一つ頼めるかな?」
「なんでしょう?」
都合の良いことを言おうとしているという自覚から顔が赤くなるのが分かる。
「これからちょっと無茶をしてくるから、もしも俺がちょっと足りなかった時は後を頼んで良いかな?」
エリカが俺の身勝手な頼みに何故か嬉しそうな顔をする。
「それこそ愚問という物ですよ? 夫の背中を守れぬ妻など居ましょうか?」
望外の応えにはにかんでしまう。
「そうか、じゃぁちょっと無茶してくる」
そう言って駆けだした俺の背中に、存分にご自由にとエリカの声が追いつく。
胸の所が暖かくなる。
あとその仮面も似合ってますよ。
俺はその言葉に投げ捨てようとした仮面を装着した。
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