第110話 貧乏子爵家次男は瞳を追う11


 *


 捻り潰された内臓に折れた肋骨までもが突き刺さる。おうなんだ今日の夕飯は俺のモツペーストか?

 余りの激痛に悲鳴すら出ない。


 耐えがたい痛みは声を奪いただ歯を食いしばる事を強要する。

 すっ飛んでいく俺にエルザが時間を稼いでおくからと言うのが聞こえたが、食いしばった歯の隙間から出たのは間違いなく罵詈雑言の類いだった。


 空中をすっ飛ばされながらも回復魔法で傷を癒やす中で、師匠の言葉を思い出す。

 身体強化中の奴を生きて捕まえる時には空中に放り投げてやれば良い、という言葉を。


 何度か放り投げている内に空中に居る時間が暇になって降参するらしい。

 俺はその言葉が正しいのだろうと実感する。


 身体強化中の時間感覚で、何も出来ない空中にいる時間というのは確かに暇だ。

 時間がそこまで濃くなる程の強度で身体強化を使える人間を、何度も空中に放り投げられるか?という疑問は湧くものの有効であるのは間違いない。

 

 エリカなら魔法を使って空中制御でも何でもやっただろう。

 彼女なら容易い事だ、やはり理想は遠い。


 理想、エリカ。

 俺の好きな人、遠く高き頂きで一人でいる人。


 馬鹿みたく会いたくなる。

 会って指輪を渡したい、君の茶番劇の相手は本当に夫であるという事に真剣なのだと伝えたい。


 身体強化中の濃い時間の中で暇を持て余す。

 俺が少しでもまともに魔法が使えたのなら話は違うのだろうが、俺の場合は空中では本当に何もできない。

 なので頭が余計な事を考え出す。


 おいおい、まだ嘘を吐き続けるのかと俺が俺を笑う。

 またお前かと、顔を覗かせる冷静な俺にゲンナリする。


 指輪を贈りたいと、ただそれだけの事に色々と言い訳を並べたあげく。

 未だに自分に嘘をき続けるのは、なんと滑稽なことかと、俺が笑う。


 本当は単にお前が彼女に指輪を贈りたかっただけだろう。

 一年を過ぎても彼女の宝石箱の片隅にでも自分が送った指輪が収まってくれていたら。

 そんな浅ましく情けない理由であっただろうと、頭が余計な事を考える。


 いい加減に認めたらどうだと笑いそうになるのはそれが真実であるからに他ならない。

 理想は遠くされど現実は目の前にあり、そして自分はいつもの通り弱く情けなく半端者だ。


 満足に魔法は使えず、身体強化と回復魔法に少しだけ自信のある半端者だ。

 そんな半端者が理想に抱く想いが綺麗であったなら満足だろう。


 そんな半端者でも綺麗な理想ものを抱けるのだと。

 半端な自分を慰めるのには上等に過ぎるだろう。


 だけどもう理想は遠いのだ、現実は目の前にあってお前の抱く想いは、思い描くほどには綺麗ではないのだと。

 いい加減に認めたらどうだ?


 嗚呼、畜生。

 いっそ身体強化をやめてしまおうか。

 そうすればあっという間に地面に激突だ。


 そんな出来そうにも無い事まで考えてしまう。

 余りに情けなくて奥歯を食いしばる。


 奇跡のように得られた一年を自分から手放すような事を俺ができようはずがないのだ。

 嗚呼、くそ。


 まだ嘘を並べるのか俺。

 小賢しい冷静な俺が笑う。


 何が馬鹿の仲間入りをしただ。

 冒険者としても半端者か?


 髭っち達と肩を並べたつもりでお前は彼らと最も遠い位置にいるのだ。

 自分自身にも嘘を吐き続けるような奴が冒険者などと笑わせる。


 理想とは現実の先にあるものだと、そう考えるのが冒険者俺達だろ?

 それが遠く高くても、そこは確かに現実と土続じつづきなのだと、そう信じるのが冒険者だ。


 いい加減認めろよ。

 もう彼女は矮小なお前の頭の中にあるような理想ではなく、現実の先にある理想なのだと。


 嗚呼畜生、今度師匠に会ったら伝えよう。

 この方法は嫌になる程に有効ですと。


 あと二回もこれをやられたら動けなく自信がある。

 たった一度でこれだ、うっかり塞いでいた蓋が空いてしまう。


 たった一年だけで満足できるかと、自身に起きた過分な奇跡すら足りないと強欲な自分が顔を出す。

 やっとで迫る地面の気配に安堵を感じながらも、もう遅いと理解する。


 一度でも理解してしまえばもう無理だ。

 きっと一週間も別行動しよう、などと言ったのが悪かったのだ。


 まるで自分から蓋を外しに行くような愚行だ。

 止まらなくなった強欲がついに口から出てしまう。

 まったくもって綺麗ではない自分の想いが漏れ出る。

 

 とりあえず今一番の欲望を。


「嗚呼……会いたいな」


「誰にです?」


 極自然に問われた言葉に。

 身体強化で強化された五感がその気配を感じる安堵に。


 俺はつい答えてしまう。


「もちろん君に」


「それは丁度良かったですね」


 俺の背中は地面に激突する前に。

 酷く柔らかく、酷く熱い物に包まれた。

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