第109話 貧乏子爵家次男は瞳を追う10


 *


 足を止めた俺をエルザが目を見開いて追い抜いていった。

 エルザを追いかけるように振るわれた爪が軌道を変えて俺の方へと向かってくる。


 洒落臭しゃらくさい。

 中途半端な軌道に中途半端な殺意だ。


 弾くでも逸らすでもいなすでもなく。

 俺はそれを真正面から打ち返す。


 竜の前足がひしゃげ潰れる。

 黒化した竜の足を矮小な俺が真正面から叩き潰すという行為に、いたく誇りを傷つけられたのか竜が咆哮を上げる。


「兄弟子、もしかして馬鹿になった?」


 俺の右隣に戻ってきたエルザが開口一番、俺の事を馬鹿と言う。


「実はちょっと前に馬鹿の仲間入りをしたんだ」


「どうせ、足止めぐらい出来るだろうって煽られたから?」


 何の事かなー俺分からないなー。

 足を止めた理由にそれが含まれていない、というのは嘘になってしまうので無視する。


 エルザが竜の前足をはじき、俺は竜の頭を打ち上げる。

 エルザが呆れたような溜息を吐く。


 なんてこった“あの”エルザに呆れられたぞ。

 うん、割と傷つく。


「妹弟子は足を止めてだと前足一本が限界なので、他は兄弟子に任せた」


「任された」


 即答で返した俺を無視してエルザがぼやく。


「血を吐く兄弟子見たかったなぁ」


 お前、ほんとアレだな!

 俺の叫びは竜の咆哮で掻き消された。


 瞬間自分の時間が“濃く”なったのを実感した。

 身体が本能的に身体強化の強度を上げたのだ。


 先程までとは比べものにならない程の濃密な殺意が竜の魔力に乗る。

 余程、気に入らないらしい。


 矮小な人間が竜の前で避けるそぶりすら見せない事が。

 軽く振るうだけで、当たれば大半の生物が死ぬだろう爪を前に軽口を叩ける俺達が。


 すっと音が遠くなる。

 まるで魔境の森でオーガナイトと戦った時みたいに。


 獣らしく竜らしく、技巧も無く雑で乱暴、されどそこに込められた力はオーガナイトの一撃に匹敵する。

 振り下ろされる竜の爪を俺は真正面から剣で受け止める。


 袖の下で腕が軋み骨が鳴る、足を支える大地がその力に耐えきれず割れそうになる瞬間に“何故か”急に強度を増し軽く足が沈むにとどまる。

 竜が、黒化したジュエルヘッドドラゴンが明確に驚愕するのが分かった。


 何故かエルザまでもが隣で、うわ気持ち悪いと驚いているが無視する。

 気持ち悪いとは何だ気持ち悪いとは。


 物事をシンプルにすれば真実が見える。

 つまり、足を止めて攻撃を受け止めて殴り返せば万事解決。


 さすれば相手の足は止まる。

 竜の前足を剣で巻き込むようにへし折り、体勢を崩した竜の胸に向けて剣を叩き込む。


 見慣れた一瞬の蒼い炎が剣身から吹き上がり、竜の身体が一瞬だけ浮く。

 前に進めないどころか一歩後退だな。


 状況的に愚者の森での事を思い出す。

 あの時も足止めをする為に真正面から殴り合った。


 ああ、しかし。

 どうしても思ってしまう。


「強さがまだまだ足りない」


 俺の言葉に何故かエルザが目を見開く。

 何を驚く事があるのだろうか?

 俺はまだこんなにも足りないと言うのに。


 ジュエルヘッドドラゴンからの反撃を受け止めながら思う。

 俺の強さはまったくもって足りないと、彼女の隣に立つには脆いのだと。


 竜が真正面で受け止め続ける俺に嫌気がさしたのか、回り込んで前に進もうとするのを、その鼻っ面に移動して剣を叩き込む事で阻止する。

 名前も知らない村の為に竜と戦う、その行為に自分で笑いそうになる、まるで英雄のようではないかと。


 足を止めての戦いとなった為に、自分の一撃一撃が重くなったのを自覚する。

 そしてそれは相手も同じだった、一撃一撃が段違いに重い。


 真正面からそれを受け止める腕は毎度へし折れる一歩手前で、踏み込んではいけない半歩手前の身体は内臓をひねり潰そうとする。

 だがそれでも俺は退けない、背後に誰が住んでいるのかも知らない村があるから。


 何故そんな英雄じみた事をする? と問いかけてくるのは自分自身で、その答えは至って単純シンプルだ。

 俺の中のエリカを裏切りたくない。


 非モテ街道を笛を吹きつつパレードしてきたような人生の俺でも分かる。

 俺の中の理想エリカと彼女が違う人間であるという事を。


 彼女は強者で、美しく、如何いかな理不尽であろうと蹂躙じゅうりんし、我が道を常道と呼び、その一歩は黄金の魔力で彩られ迷いを知らない。

 だけど泣けば良い時に泣けないような人なのだ。

 自身に降りかかる理不尽に、仕方ないと苦笑を浮かべるような人なのだ。


 その心が、どれ程の矜持きょうじの上に立っているのか俺には想像する事すら困難だ。

 だがそれでも彼女は、今日食べに行った食堂の良し悪しを真剣な顔で論評する人で。

 お茶にほんの少しの砂糖を入れるのが好きな人なのだ。


 並び立つ者すら殆ど見当たらぬ孤高のいただきで、当たり前の人間であり続けるのがエリカなのだ。

 だったら――そう。


 そうであるなら、その隣に立つのなら英雄じみた事など当然のようにこなして当たり前なのだ。

 英雄だから隣に立てるのではない。


 エリカの隣に立つからこそ英雄なのだ。

 だから俺は“エリカ”を裏切れない、俺の中のだろうが現実のだろうが、どちらかはもう関係ない。


 如何いかに遠かろうと高かろうと、与えられた一年の間に俺はその場から一歩も退いてはいけないのだ。

 例えそれがどれほど“身分不相応”であろうとも。


「――あ」


 気合いが空回ったのを自覚した。

 一瞬だけ、ほんの刹那せつな、身体が一歩先へと踏み込んでしまう。


 剣先は思い描いた軌道をれ、覚悟不足の臓腑ぞうふは一瞬で捻り上げられ俺は口から血を吐いた。

 だがそれでも剣はジュエルヘッドドラゴンの首を跳ね飛ばし、いつの間にか出来るようになっていた剣身より先にある物を斬るというエリカじみた剣技によって竜の背中の一部を斬り飛ばした。


 激痛によって一瞬だけ身体が硬直する。

 畜生が、頭が落ちてる間くらいは動きを止めろよ出鱈目すぎるぞ。


 そう愚痴りながら眼前に迫る右前足の一撃を、体勢を大きく崩しながらも辛うじて弾いた所で俺は気が付く。

 反対方向から俺の身体に伸びる魔力の線に。


 あー変だな?

 そっちはエルザさんの担当ですよ?


 嫌な予感に右隣に視線を送る。


「全身の骨を軋ませながら血を吐く兄弟子」


 エルザが俺を見て満足げな笑みを浮かべていた。

 竜の爪が体勢を崩した俺の腹に炸裂した。


「――あ」


 空中に吹っ飛ばされながら俺はエルザのしまったと言う声を聞いた。


 おま――。

 お前ホントもうホントにもうお前ぇええええ!


 人間、感情が極まると思考ですら言葉が出てこなくなるんだなぁと。

 吹っ飛びながらそんな事を考えた。

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