第72話 貧乏子爵家次男のオープニングセレモニー4
*
テペの話すまでは絶対に帰さないという強い意志をたたえた目に気圧されたわけではないが、特に秘密にする事も無いので魔境の森での事を話す。
流石にレイニバティの五番の下りは省いたが。
オーガナイトの腕を切り飛ばしたくだりではテペが突然号泣しだして驚かされた。
わっしの作った剣がオーガナイトを斬ったのですかと何度も確認された。
鼻水流しながら迫られた俺は若干引き気味だったが、そう言えばテペに礼を言っていなかった事を思い出した。
「テペの剣のおかげで助かったよ、ありがとう」
そう俺が言うと続いてエリカが。
「そうですね、貴方の打った剣のおかげでわたくしの旦那様は生き残れました」
と言ったらテペが号泣しながら床に倒れた。
コイツは床に妙な思い入れでもあるんだろうか?
「この夫婦は人タラシだぁ」
そんな事を叫びながら床をゴロゴロと転がるテペを見て俺はそんな事を思った。
「特にコレと言って使い方という点に置いては特別な事はされてませんね」
散々奇態を見せられた後にそんな冷静な声で言われてもどんな顔をしたら良いのか分からない。
「だから言ったろ? 特別な事は何もしていないって」
そう言った俺に続いたのはエリカだった。
「そう言えば周囲の魔力が極端に薄くなるという状態になりましたね」
何それ?
「そんな事……あったか?」
俺が首を傾げながらエリカに言うと、何故か苦笑を浮かべながらエリカが頷く。
「ええ、ありましたのよ」
エリカがあったと言うのならあったのだろう。
俺が覚えていないのはどういう事かと疑問に思うが、あの日は一日で何度も気絶したのだ記憶の一つや二つ飛んでいても不思議ではないだろう。
気が付くとテペが真剣な顔をして何事かを声に出さずに呟いていた。
またぞろ何か奇態を見せられるのかと身構える俺にテペは静かに。
「それかもしれませんね」
とだけ呟いた。
*
俺達の魔境の森での話を聞き終えると、テペは「なぜそうなったのかは訊かないでおきます」と言って深々と頭を下げてきた。
俺があの剣の礼だと言うと、もうまたそうやって職人をたらそうとするんだから、と腕をバシバシと叩かれた。
剣に関してはテペのお墨付きが貰えた。
おそらく元の剣より丈夫になっていると。
何か問題が起きたら来てくれと言うテペの顔には、問題が起きるのはほぼ無いだろうという確信めいた物があった。
お礼を貰い過ぎ、というのはテペの談だがそれならと俺は少しだけ礼を返してもらうと口を開く。
「腕の確かな魔道具屋を教えて欲しいんだがアテはあるか?」
*
「またか」
「またですね」
今にも壊れそうなボロい扉の前で俺とエリカはそう呟いた。
「ヘカタイでは店の紹介を頼まれるとボロい店を紹介する決まりでもあるのか?」
誰に言うこと無く呟いた俺の言葉にエリカが扉を見たまま微笑みを浮かべる。
「まぁテペの前例がありますし……、テペが下手な店を紹介するとも思えませんが」
そう言いつつも心中ボロいと思っているんだろうなと思いながらも、視線をエリカの横顔から引き剥がす。
染みついた本能か、エリカの横顔を見れる内は見続けてしまう癖がついてしまっている。
また“見てたでしょ”等と言われたら今度こそ恥ずかしさで死んでしまう。
いやまぁエリカの横顔見て死ぬのはかまわんが。
とっちらかる思考を振り払って扉を手で押す。
まさかこの店も店主が床に転がってたりしないだろうなと思いながら。
目の前に広がったのは普通の店内だった。
店内が普通である事に安心する自分の精神に重大な危機感を感じながらも、口から安堵の溜息が出た。
店内はごく普通の魔道具屋だった。
つまりは棚があり、商品が置かれている。
ちなみに一般に魔道具屋と言われる店には二種類ある。
冒険者向けかそれ以外だ。
あと大型の魔道具を扱う店もあるが、それはどちらかというと魔道具屋というより大工に近い。
「いらっしゃい」
冒険者向けの魔道具を扱うボイ魔道具店の店主はカウンターの向こうで非常に愛想の良い笑みを浮かべてそう言った。
人畜無害、人が良さそう、そういう印象を人に与える顔の青年が客商売としてごく当たり前の愛想で挨拶する姿に。
期せずして俺とエリカは同時に安堵の溜息を吐いた。
互いの心中が察せられて思わず目が合う。
お互い変な慣れが出来た物だと俺が苦笑を浮かべるとエリカが慌てたように視線を逸らす。
何だ?と思う前にエリカの視線を追うと、店主が不思議そうな顔を浮かべてこちらを見ていた。
そこで自分達の奇態に思い至って顔が赤くなる。
店に入ってきた男女が何か二人にしか分からない事情で目を合わせて笑うなど、端から見れば頭に花でも詰まっている馬鹿である。
恥ずかしさを誤魔化す為に軽く咳払いをしながらカウンター前まで歩いて行く。
「何かご入り用ですか?」
こちらの奇態を見なかった事にしてくれる店主のごく当たり前の気遣いが眩しい。
「何か、というか全部だな殆どの魔道具が無くなってしまったんだ」
何を想像したのか店主の男が表情を暗くする。
冒険者が仕事道具の魔道具を殆ど無くす、となると想像の余地はあまりない。
余程のマヌケだったか、もしくは余程の被害を受けたかのどちらかだ。
しかもつい最近に大規模な魔物の群れを討伐したという話があったばかりだ。
事情に明るければ魔境の森から溢れた魔物の討伐で冒険者に死者が出ていないと知っているだろうが、店主の表情から知らないのだなと分かった。
そうでなくても冒険者は割と死ぬし、大怪我を負う。
店主が想像で表情を暗くしたのは行き過ぎた想像というより、店主の人の良さの証左であり、冒険者向けの魔道具屋をやっているが故だろう。
俺は店主の勘違いを手を振って否定する。
「特に酷い怪我を負ったわけでも、仲間を無くしたりしたわけじゃないよ」
別にわざわざ誤解を解く理由もないが、人の良さそうな店主の顔を見たらついそう言ってしまった。
店主の表情が明るくなったから良しとしよう。
「実はテペからの紹介で来たんだ」
そうなんですかと、応える店主の顔には理解の表情が浮かんでいた。
先程の俺達が何の溜息を吐いたのか察せたからだろう。
それだけでテペの評判がしれる。
店主はボイ・アルクンですと、名乗った。
「シン・ロングダガーだ。彼女は妻のエリカ・ロングダガー」
エリカが軽くお辞儀する。
それだけで美しい。
「それでだな、殆どの魔道具を無くしてしまったんで補充しに来たんだが」
そこで言葉を切って店内を見渡す。
店主のボイが申し訳なさそうな顔をする。
「はい、お察しの通り現在は先日の魔物発生の影響で商品の数が少々不足しております」
「みたいだな」
明らかに隙間の多い棚から視線を戻す。
「最悪“水筒”だけでも補充したいんだが」
「幾つか在庫が御座います、少々お待ちください」
そう言って店主は素早くカウンターの上に商品を並べていく。
五つほど商品が並べられた時点で俺はテペに感謝する。
商品の数が不足している、そういう状況であっても水筒を五種類出せるのは、かなり“アタリ”の魔道具屋だ。
水筒の在庫を切らす魔道具屋を冒険者は信用しないだろう。
「それはなんですの?」
エリカが興味深そうにカウンターに並べられた、大きさも形も違う五つの筒を見て言う。
「“水筒”だよ。つまりは水を作る魔道具だ」
何故か俺の説明にエリカが小首を傾げる。
宰相殿が君の為に揃えた魔道具の中にもあったんだけどな。
ちなみに魔道具とは、魔石を元に作られている。 用途は物を冷やしたり、火を付けたりと色々とあるが、その中でも水筒は別格だ。
何せ物質を生成する事が出来る魔道具なのだ。
たしかに物質を生成する魔法は存在する。
だがそれは一部の天才と呼ばれるような人間が使えるだけなのだ。
何かしらの物質を生成する魔法は、その魔法陣からして複雑怪奇であり、構築するのも維持するのも駆動させるのすら大変な困難を伴うと言われている。
俺なんて
物質生成の魔法とはそれくらいに特別なのだ。
それを考えれば、魔道具という形で誰でも水を作り出せるというのが、どれ程凄い事か分かるだろう。
まぁそのおかげでお値段もべらぼうな高さだが。
価格を想像して逃げ腰になる自分に、靴と水筒には金を惜しむな、という師匠の言葉を思い出させる。
「冒険者の必須道具だな。冒険者は水筒の在庫を切らすような魔道具屋を信用しない、つまりはここは良い店って事だよエリカ」
ありがとうございます、と店主が頭を軽く下げる。
「水を出す魔道具、なのですよね?」
エリカが良く分からないという表情を浮かべる。
「魔法で出せば良いのでは?」
「は?」
「は?」
思わず唖然としてしまった俺は、店主の素の声は意外と低くて渋いんだな、と場違いな事を思った。
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