第73話 貧乏子爵家次男のオープニングセレモニー5

 *


 思い出して見れば、エリカが水筒から水を出している所を見た記憶がなかった。

 確かに水は飲んでいた、エリカの持っている水筒の蓋を使って。


 魔道具屋の店主、ボイは極めて礼儀正しいことに店主としての顔を一瞬で取り戻した。

 だがその心中は想像できる。


 魔道具に携わる人間で、エリカの言った事を素直に信じられる奴は少ないだろう。

 それぐらいに物質生成の魔法というのは特殊な物なのだ。


 俺ですら一瞬さすがにそれは出来ないのでは? と思った程なのだ、ボイをエリカの真価も分からぬ節穴野郎とは思えなかった。

 お前の連れだろ?どうにかしろ、という目で見てくるのは止めて欲しいが。


「ほら」


 エリカの声は実に平坦であり、何の気負いも感じられない普通のトーンだった。

 それ故にそっと取り出した自分の水筒の蓋に、当然のように水を生成させた時に。


 まぁエリカが出来ると言うなら出来るだろうと、思っていた俺ですらその余りの自然さに言葉を失った。


「エリカ、凄いな君は」


「そうなのですか?」


 エリカが本気で分かっていない顔をする。

 おかしい、エリカさん貴方は真面目に学園で授業を受けてた人ですよね?


「いや、学園でも水生成の魔法は極めて難しいと習ったと思うんだがな?」


「ですが不可能だとは教えられませんでしたよ?」


 ふむ、そうか。

 確かに不可能とは教えられなかった。


 いやしかし、そういう物だろうか?


 ふと冷静な自分が顔を出す。

 お前ちょっとエリカだからと言って無条件に受け入れすぎじゃないか? と。


 物質生成の魔法が使えるなんていうのは、エリカが天才だからで説明できる物じゃ無いんだぞ。

 よく考えろ俺、エリカは伝説の存在か何かか?


 冷静な俺が心中で深刻な顔をする。

 美しく聡明で心優しく、剣と魔法の腕は余人を寄せ付けず、黄金に煌めく魔力を持ち、如何いかな困難であろうと踏み砕き、我が道を常道と呼び闊歩するのがエリカ・ソルンツァリだ。


 そんな伝説の中のような人物がエリカだ。


 だったら出来て当然だろう。

 エリカ、伝説、問題ない。


「そうだな、確かに不可能とは言われなかった。だったらエリカに出来ても不思議じゃ無いな」


 そうですよ、そう俺に応えるエリカの顔を見ていたら。

 学園での授業で、教えるだけはするがどうせこの中で使えるような人間はいないだろ、という顔をしていた教師の顔の記憶がエリカの顔で上書きされた。


 エリカの、さも当然ですよ、という顔をつい笑顔で見ていたらエリカがまたもツイっと顔を背ける。

 なんだ? と思う前にまた“やらかした”と自覚した。


 カウンターの方を見ると、店主のボイが引き攣った笑みを浮かべていた。

 それはきっとたぶん、ドン引きしつつも笑顔を絶やさないという彼の、店主としての譲れない矜持だったのだろう。


 俺からするとエリカを知っていれば驚くこともドン引きするような事も無いと思うのだが、まぁエリカを知らなかったのだから仕方ない事である。

 店主が驚くのも分かると、店主に対して俺がうんうんと頷くと何故か更に引かれた。


 何故だ。


 *


 わたくしは魔法で水を出せるのですから、わたくしの水筒を使っては? とエリカは言ったが俺はそれを断って水筒を買った。

 君とて絶えず最良の体調では無いだろ? とつい先日の魔境での事を匂わせると、エリカはすぐに納得してくれた。


 よほど魔力切れを起こした事が恥ずかしかったのか、頬を赤らめながら小さな声で「ええ、そうですね」と呟くエリカは国を取れるレベルで可愛かった。

 まあ人間あとから思い出すと恥ずかしくなるような事は多々あるもので、エリカにとってはそれが魔力切れを起こした事なのだろう。


 水筒の他にも幾つかの魔道具を買うと、俺達は大通りを歩いて冒険者ギルドの方へと向かう。

 特に冒険者ギルドに用事があるわけではない。


 単に昼飯を食べにギルド周辺にある冒険者向けの食堂に向かっているだけだ。

 テペの店やボイの魔道具屋がある職人街にも食堂はあるのだが、客層的にせわしなくて好みでは無いのだ。


 これを言うと貴族的な感覚などと思われそうだが、職人連中の食事風景を見たら意見を変えるだろう。

 少なくとも俺はポテトサラダは飲み物じゃないというのを連中に教えてやりたい。


 そういうワケで俺達は冒険者ギルド近く、つまりは街の外れにある冒険者向けの食堂で昼飯を食べていた。

 エリカのリクエストによりカウンターのみの店だったが、それでも職人街にある食堂に比べたら格段にゆっくり出来た。


 ただ問題は……。

 俺はチラチラと視界に入る黄金の魔力に困惑していた。


 明らかに俺の顔に黄金の魔力がチラチラと注がれている。

 それはつまりはエリカが俺の方を見ているという事なのだが、何か用でもあるのだろうかと隣に座るエリカの方を見ると、彼女は綺麗な姿勢でカウンターの中で調理している料理人を興味深そう眺めているのだ。


 確かに料理人の手さばきは見事で、冒険者が少ないお昼時はともかくとして朝夕には見事な手腕で客を捌いている事だろう。

 だがしかしそんなに凝視するような物だろうか?


 心なしか料理人のおっちゃんもエリカの視線にやりづらそうである。

 気のせいなんだろうか? と思いつつ正面に向き直るとやはり黄金の魔力がチラチラと目に入る。



 うーん、俺は何かしただろうか?

 俺は目の前に置かれた、エリカの前に置かれた物と比べると明らかに雑な盛り付けの昼食に視線を落としながら心中で首を傾げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る