第66話 追放侯爵令嬢様と貧乏子爵家次男5

 *


 一定間隔で鼓膜を押していた魔力波が途絶えてすぐ、それは起こった。

 遠くで何かが割れた音をハッキリと聞いた。

 シャラが何かを言ったが声は聞こえなかった、それで割れたのが空間なのだと理解した。

 笑顔でシャラがエリカと俺に何かを言っている。


 この状況で笑顔で何かを言えるシャラに驚きよりも戸惑いを感じる。

 自然と唇を読んでしまう。


「ほら――の声が――エリカが――だと――大丈夫です神――」


 シャラが何かを言い終わる前に、衝撃が俺を襲いしこたま頭をシェイクされた俺は唇を読むのを諦めた。

 ふと遠くでシャラでもエリカでもない声を聞いた気がした。

 巫女の剣に加護を――と。


 *


 さて、それからの話だが。

 まあ簡単に説明してしまうと、俺達はまったくの無傷だった。


 嘘だろ、と自分でも思うのだが本当なのだから仕方が無い。

 シャラが興奮した様子で神のご加護がと叫んでいたが、辺り一面、草一本生えていない荒野となった魔境で、無傷で建ち続ける教会の姿を見ればそう言いたくなるのも分かった。


 実際の所は教会に設置された結界器、つまりは神器が俺達を検知して結界を張ったからではないか?というのが俺とエリカの感想だ。

 エリカに至っては教会の方へと自分の魔力が吸い取られるのを感じてさえいる。


 光の巫女でもなんでもない、只の一般人である俺からするとシャラの言う神のご加護よりもそちらの方がずっと理解できたし納得もできた。

 神様はそうそう個人的な助けを与えてくれないのだ。

 まぁシャラはそんな俺達に、あの声が聞こえなかったんですかと驚き、繰り返し何度も聞こえなかったのかと質問し、エリカに緊張している時には幻聴そういう事もあるものです、と慰められていた。


 極めて個人的に言わせて貰えれば、神の奇跡よりもエリカの笑顔である。

 え?そんな話は聞いてないって? まぁ世の真理なんてのは得てして理解しがたい物だ。エリカの笑顔があれば何でも出来るってのは簡単な真理ではあると思うけどね。


 でまぁ正直なところ、魔境の中層が一部とは言え吹き飛ぶような大異変が起こったわけで、一刻も早く撤退したかったのだが。

 エリカの魔力が回復していなかった事と、せっかく当初の目的が目の前にある、という事で俺達は何の奇跡かは一旦は置いておくとして教会で休憩する事にしたのだ。


 立って歩く事は出来るもののいまだに消耗が激しいエリカをシャラに託して俺は教会を探索した。

 教会の内部は取り立てて言うことなど無い、ごく普通の教会だったが、司教曰く「神器は見れば分かります」という言葉が本当だったのだけは言っておく。


 守ってやるという義理も無いが、司教には神器の事は内密でお願いしますとも言われていたんで詳細については黙っておくよ。

 それぐらいは守っても良いだろう。


 何せシャラを暗殺者と誤解したのだ、それぐらいは教会の連中にしてやってやっても良いだろう。

 まぁエリカを死刑にしようとした事は許さんが。


 ああ、話が逸れた。


 一時間程の休憩を終えると俺達は教会を後にした。

 後から考えたら間抜けな話になるが、俺はレイニバティの五番に巻き込まれた無関係な冒険者の死体にいつご対面するかとビビりながら歩いていた。

 死体というよりそれを見たエリカの顔が曇るだろうってのが嫌だったからだが。


 ご存じの通りそんな心配は無用だったわけで、俺達が中層から撤退している頃は他の冒険者は中層から溢れ出した魔物を退治するのに必死だったわけだ。

 これもまぁ暗殺者達がオーガナイトを深層から引きずり出した為に起こった事なので、間接的には俺達のせいだと言われればそうだが。


 レイニバティの五番に巻き込まれて死ぬよりかは戦って死ねるだけマシだろう。

 それに結果としては冒険者が死ぬような被害は出なかったらしいし、いつも以上に稼げただろうから冒険者としてはホクホクだっただろう。


 中層の森から出る頃には、逆に浅層から戻ってくる魔物を倒しながらだったので、そう言った意味ではヘカタイの冒険者にはもっと頑張って魔物を狩って欲しかった。

 何せエリカが嬉しそうに魔法を連発するのだ、ほら魔力が大分だいぶ回復しましたよ、と俺達に言うために。

 ついさっきまで完全に魔力が枯渇してましたよね、とシャラが驚くというより呆れ、俺は俺でまだ完全ではないのだからと心配する事になったのだ。

 あげく俺達が森から出てくると、魔物を追い立てていたヘカタイの冒険者達がどよめき後退あとずさりしたのはどういう事かと。


 まぁ余計な遣り取りなく道を空けてくれたのは有難かったが。

 あとはまぁ、そうなっていたのは俺だけだが、血だらけになっていた装備を浄化魔法で綺麗にして無事に家に帰ったってわけだ。


 ほら? 俺達は何も悪くないだろ?

 だからそう難しい顔をするのはやめようぜ?先輩殿。


 *


「旦那、そりゃ無理ってもんでしょ」


 テーブルを挟んで座るメルセジャが溜息を吐きながらそう言った。


「何ですレイニバティの五番って、アレはそうそう世に出て良いもんじゃねーでしょ。アレを使って個人を暗殺しようだなんて史上初でしょーよ、大人しく隠遁生活するような玉じゃねーなと思ってやしたが追放されて二月足らずで歴史に名を残すってのは流石にどうかとわたしゃ思いますよ」


 レイバニティの五番を知っているあたり、流石さすが宰相殿に雇われる冒険者なだけあるなと感心する。

 その分、正論の切れ味も中々だが。


「それにコレはいったい何の騒ぎなんでさぁ」


 メルセジャが辺りを見回して言う。

 ちなみに今は魔境の中層から帰ってきて二日後の昼で、場所はヘカタイのメインストリートにある冒険者向けの食堂が臨時に路上に設置したテーブル席だ。

 メルセジャが定期連絡の為に街についたのが昨日の事で、今日はその連絡会ついでに近況の報告をしている所だ。


 そして周りは一言で言えばお祭り騒ぎだ。

 酒に酔った市民や冒険者が至る所で歌ったり踊ったりしてる。


「何故かヘカタイに帰ってきたら俺達が魔境の中層に神器を回収しに行った事が街中に広まっていたんだよなぁ」

「……で、無事に旦那達が神器を持ち帰ってきたもんだからこのお祭り騒ぎと?」


 そう、そうなのだ。

 何故か俺達が神器を回収しに行ったというのが街中で噂になっていたのだ。

 しかも噂の出所が教会、というか司教だったものだから噂というよりも只の事実として扱われているわ、神器を無事に司教に返したら大々的に発表されるわで意味が分からない。

 内密の内に事を済ませたかったのでは無かったのかと、良いのか教会、大スキャンダルだぞ。


「まあ教会に発表されてしまっては、旦那達にはどうこう出来ませんわな」


 茶を飲みながらそう言うメルセジャに俺は頷く、これは俺のせいじゃないと。

 そこにメルセジャがそっと顔寄せて声を潜めて言う。


「で? 旦那の話じゃシャラってシスターさんは白って事でも、教会……司教様までは白って事にはならないんじゃ? 何せそのシスターを除けば当日の旦那達の行動を知ってるのは司教様ぐらいでしょーや。大々的に発表したのもその辺を有耶無耶うやむやにして誤魔化そうとしてるんじゃ?」


 メルセジャのその疑問に俺は肩をすくめて答える。

「確かに俺もそう思ったよ、思ったついでにシャラに鎌を掛けてみた」


 魔境からの帰り道、俺はシャラに俺達の事情ってやつを説明した。

 つまりはエリカがエリカ・ソルンツァリで光の巫女暗殺の濡れ衣を着せられて国外追放となった身であると。

 そして何者からか命を狙われていると。


 結論から言うとシャラは大いに怒った。

 ファルタールは教会も馬鹿ばっかりなのかと。


 怒っているなら鎌を掛けたらポロっと何か出ないかと、司教に対してはまだ疑いを持っていると言った所、ファルタールの教会に対して怒ったのと同じレベルで怒られた。


「シャラが言うにはだな、今回のこの神器奪還の指定依頼なんだが、どうも俺達に依頼したその日の夜には領主にまで話が通ってたらしい」


 俺が特に声を落とさなかったからだろう、メルセジャが身体を戻す。


「でもって次の日には領主を通して冒険者ギルドに協力の依頼まで出てたらしい」

「なんなんでさぁ、その支離滅裂な司教様の動きは」


 メルセジャが呆れたような声を上げる。


「世間にバレたらマズいとか何とか言ったものの、依頼の難易度がアレなだけにおおっぴらにならない程度に協力したいと司教様が考えたそうだ」


 つまりは冒険者ギルドとのパイプが太い領主に話を通す事で、信頼の置ける冒険者を使ってこちらをサポートしょうとしたわけだ。

 司教様も流石にエリカが準備期間一日で魔境に出発する等という事は予想できなかったので、俺達がそのサポートやらを受ける事は無かったわけだが。

 あとついでに言えば、人の口の堅さを信じ過ぎたな司教様は。


「えっとそれじゃぁ何です、指定依頼を受けたその日の内に領主様に、次の日には冒険者ギルドを通して知ってる奴は知ってたって事ですかい?」


 俺が頷き返すと溜息を吐きながらメルセジャが首を横に振る。

 つまりは俺達の動きを知っている人間の数は想像以上に多かったわけだ。噂が広まっていた事を考えると数えるのも馬鹿らしい。

 当然、誰が暗殺犯か、もしくは暗殺を目論む人間に情報を流したのか絞り込むことすら困難だ。


「それにまぁレイバニティの五番なんてのが出てきたんだ、現実的にも教会が暗殺しようとしてるってのは無いだろうな」


 もし教会がレイバニティの五番なんて物を手に入れていたのなら、もしくは手に入るような手段を保有していたとしたら。

 神器の一部が魔境の森の中に残されていた、なんてのとは桁違いの大騒動になる。


 下手をしたら大陸中の国と教会で戦争になりかねない話だ。


「うーん、まぁそうでしょうねぇ。人間を魔族にするような連中だってのを差し引いたとしても、教会とレイバニティとの組み合わせは剣呑に過ぎますなぁ」


 やれやれと言いたげな顔をするメルセジャ。


「で? そっちの方では何か分かったのか?」


 通りを歩く冒険者が俺に気が付いて手に持っていた酒瓶を掲げて乾杯の仕草をしてくるので、適当にそれに応えながらメルセジャに質問する。


「いえ、ファルタールでは何も。宰相様にも相談してみましたが……」

「みましたが?」

「暗殺者が向けられたと知って侯爵家の騎士団を動かそうとしてやしたね」


 容易に顔真っ赤の宰相殿の顔を想像できた。

 まぁ家中の人間に止められて断念してやしたが、とメルセジャが遠い目で語る。


「ところで何でさっきから通り過ぎる冒険者が旦那に握手を求めたり、乾杯したり、酒を奢ろうとしたりするんですかい?」


 俺は五杯目の、いや六杯目だったかのエールを飲み干しながら答える。


「ちょっとまぁ想像してくれ」


 突然魔境の森から溢れ出てくる大量の魔物の群れ、森に侵入していた冒険者達も慌てて撤退するような凄まじい勢いだ。

 魔境に出ていた冒険者達はこう思ったはずだ。


 やばい、これは六十年前の再来かもしれない、と。

 未熟な冒険者を街へと伝令に走らせると、急遽その場にいた冒険者達で防衛線を構築。

 冒険者達の気持ちは暗澹あんたんたるものだっただろう。


 何せいつ終わるかも分からない戦いの始まりだからだ。

 魔境の気紛れは常であったが、それでもこんな魔境の森から大量の魔物が溢れ出てくるなんてのは尋常な事ではない。

 急ごしらえの共同戦線は、だがそれでも耐えた。


 街から急遽かき集められた増援が届く頃、魔境の森で大爆発が起きる。

 急造の戦線に急造の指揮系統は崩壊寸前の大混乱一歩手前だったが、それでも彼らはやり遂げた。


 大量の魔物達がなんと退いていくではないか。

 彼らはここぞとばかりに戦線を押し上げる、あの爆発が何か?なんてのは後になって考えれば良いことだ。


 冒険者達はやり遂げた、遂に魔物達が森へと逃げていく。

 上がる勝利の雄叫び、冒険者達の盛り上がりは最高潮だ。

 するとそこに森から魔物の群れを切り開きながら二人の冒険者と一人のシスターが出てくるのだ。


 ふと誰かが街で聞いた噂を言う、司教様より秘密の依頼を受けた冒険者がいるらしいと。

 なんでも魔境の森に取り残された神器を取り戻すとかなんとか。

 すると出てくる出てくる、俺も聞いたぞ、ファルタールから来た男女の冒険者だとか、男はあの“親切なバルバラ”の弟子だとか、一刻も早く取り戻すべく今日魔境の森へと出発したとか何とか。


 そうこうしている内に冒険者達の中で一つのストーリーが出来上がった。

 魔境の森は神器を取り返しに来た冒険者に牙を向いた、それにも負けずに森の奥地へと進んだ冒険者はそこで神器を見つけ取り返し、何か良く分からないが神器の不思議パワーで魔境の森をなぎ払い、魔物達はそれに恐れをなして森へと撤退していったのだ、と。


 つまりは俺達と同じ冒険者が一発やらかしてくれたのだと。


なんなんでさぁ、その良く分からないノリ」


 メルセジャが頭痛を堪えるような顔をして言う。


 まぁ正直、俺にも良く分からん。

 だがまぁシャラに聞いた感じだと、ヘカタイの冒険者の中ではこういう風になっているらしい。


 冒険者なんて他になれる物がなかったから、命懸けで暴力で飯を食っていこうと決めた連中ばっかりである。

 ようは頭は基本的に悪い。


 信じやすいストーリーがあって、そこへ司教様が大々的に神器の奪還を発表してしまったものだから、ヘカタイの冒険者の中で俺達は今や英雄扱いだ。


 俺達と同じ冒険者の仲間が偉業を成し遂げたぜ、イェイ!みたいなノリなのだろうか?

 ファルタールの冒険者のノリとはかなり違うので、どう反応して良いのか困る。


 メルセジャが深々と溜息を吐きながら言う。


「わたしゃ旦那だけは目立たず生活するよう心がけていくんだろうなぁと思ってやしたがねぇ」

「俺もそうしようとは思ってたんだけどね」

「思ってたんですかい」

「あのエリカ・ソルンツァリが目立たないってのは無理があったな、と」


 肩をすくめる俺をメルセジャが半眼で睨む。


「そういうのは一緒になって二月足らずで英雄扱いされるような事をする前に気が付くべきでしょーや、旦那」


 俺はメルセジャのその言葉から目を逸らして、こちらに向かって歩いてくるエリカとシャラに手を振った。

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