第65話 追放侯爵令嬢様と貧乏子爵家次男4

 *


 それからエリカは二度ソルンツァリの秘技とやらを放ち、そして俺達は穴の中にいた。

 そう、穴だ。


 正確には二度目に切り開いた道が終わる間際に俺達は当初の目的地である魔境教会を見つけ、六十年以上経っているはずなのに未だに健在だった教会の堅牢さに賭ける事にしたのだ。

 教会を盾にする形でエリカが地面に魔法で穴を作り俺達はその中へと潜り込んだのだ。


 魔力波の間隔はかなり早くなっており、レイニバティがひ弱だった場合は既に走った後の鼓動とやらには達しているだろう。

 まぁつまりはいつ爆発してもおかしくない。


 それが俺達が地面に穴を掘った理由の一つ。

 もう一つの理由は。


「すいません、わたくしの魔力がもう少しあれば」


 額に汗を浮かべ、荒い息でエリカが言った。

 エリカ・ソルンツァリにもう少し魔力があったら、それはもう神話か伝説の領域だろうと思いながらも首を横に振る。


「十分だエリカ。魔境の森の木々に、魔境で六十年を耐え抜く教会、盾になってくれる物をこれ以上を望むっていうのは強欲ってもんだ」


 俺はまるで灰のように白くなったエリカの髪を見て答える。

 彼女の赤髪は何房も白く変色してしまっている。


 彼女の使ったソルンツァリの秘技とやらは、彼女の莫大な魔力を枯渇させ、なおかつあの美しい赤髪を白化させるという代償を望むらしい。

 エリカは魔法で地面に穴を掘るとそれを最後に全ての魔力を使い果たしていた。


 地面に穴を掘って隠れる事を選んだのは、教会を見つけたからというよりエリカの魔力が尽きかけていたからだ。

 教会が見つかったのは単なる偶然だ。

 何せ逃げる方角すら俺達は確認していなかったのだから。


 立ち上がる事すら困難なエリカをシャラに頼み俺は穴から身を出る。


「どこへ行くのですか?」


 背中に投げかけられたエリカの声が心細げだった事に心底驚く。幻聴かと疑った程だ。

 その声にふと自分が幼かった頃を思い出す。


 魔法が上手く使えない事に悩み、無闇矢鱈むやみやたらと魔法の訓練をしていた頃を、“産まれて初めて”魔力を使い果たした時の事を。

 魔力を使い果たした時のあの感覚は独特な不安と心細さを感じさせるのだ。


 まるで自分の身体で確かな物など何一つなく、暗く不安定な水の上に浮かんでいるかのようなあの感覚。

 幼い俺は父と母に泣いて助けを乞うた。


 おそらくエリカは産まれて初めてその感覚を味わっているのだ。

 生まれつきの莫大な魔力を使い果たす等、王都産まれ王都育ちではなかっただろうから。


「穴を塞ぐ蓋を探してくる」


 思わずどこにも行かないと言いそうになる自分を奥歯で噛み殺す。


「すぐに戻ってくる」


 若干早口になったのは、普段絶対に見ることの無いエリカの弱々しい姿と、どこに行くのかと問うてきた声に、言外に行かないで欲しい側に居て欲しいという意味を見いだしそうになった自分の妄想に恥ずかしくなったからだ。

 最後にちらりと振り返ると、シャラが口いっぱいに砂糖を詰め込まれた人間みたいな顔をしていた。


 *


 教会が倒壊したさいに巻き込まれないよう少し離れた位置に掘った穴から出る。

 鬱蒼と茂る森の中では異彩を放つ人工的な直線を持つ教会は、六十年の歳月で壁が黒ずんでいたが建築当時の形を完全に保っていた。


 周囲にあった他の建物が殆ど痕跡を残すだけなのに比べて魔境開拓の中心として建てられただけあるなと、当時の人達の気合いの入った建築技術に感謝する。

 そして軽く黙祷する。


 ここは魔境開拓の最前線でもあったが、そしてそれと同時に古戦場でもある。

 六十年前、〈八足三腕〉〈剣の足〉〈三眼〉と呼ばれる一匹の魔物に襲われ戦った場所でもあるのだ。

 多くの冒険者が戦い死んだ場所だ。

 だからこそ俺の探す物もあるはずだ。


 *


「ただいま」


 狭い穴である、言わずとも俺が戻った事など分かるだろうが穴の底で伏せたままのエリカを見たら思わず口から出てしまった。

 魔力波の間隔はすでに走った後の鼓動の早さであり、いつ爆発してもおかしくない。


「えっと……蓋と言うのはソレですか?」


 穴を出て一分程しか経っていないので、当然だがエリカの魔力は回復していない。

 息を荒げていないのはその方が早く魔力が回復すると知っているからなのか、本能的にそうしているのか判断はつかない。個人的には後者のような気がするが。

 そんなエリカの替わりにシャラが俺に問うてきた。

「そうだ、六十年前に誰かが使っていた大盾だ」


 俺はシャラの質問に応えつつ、地面に半ば埋まっていたのを引っ張り出してきた大盾を軽く叩く。

 おそらく名工が良い素材を使って作り上げた業物なのだろう、六十年たっても錆びず朽ちず往年の姿を保っていた。


 人一人は余裕で隠れる大きさの盾を背中に背負いエリカとシャラを覆うように位置取る。

 オーガナイトとの戦いで唯一奇跡的に吹き飛ばされなかった道具入れからロープを取り出し大盾を身体に固定する。


 後は爆発を待つだけとなった所でシャラが口を開く。


「これいつ爆発するんです?」


 口調が明るかったのはシャラの気遣いだろう、俺は穴の中に隠れながら街を吹き飛ばすような魔道具が発動するのを待つという状況で平然としているシスターから目を逸らして答える。


「魔力波の間隔が、走った後の鼓動の間隔になったら爆発するそうだ」


 俺の答えにシャラが、私の心臓だったらとうの昔に爆発してますねと、笑いながら言う。

 俺の周りにはエリカ以外はヤバい女性しか居ないのかと思いながら爆発に備えて身体強化の強度を上げる。


 上手く調整できるだろうかと考えながら、声がかん高いキュルキュルした音にならないように慎重に喋る。

 エリカは今身体強化を使えないので気を付けないといけない。


「レイニバティってのは案外運動が得意な奴だったみたいだな。俺の心臓でも、もういつ爆発してもおかしくない」

「レイニバティは生前は優秀な戦士であったと授業で習ったはずですが?」


 エリカにも何を話しているか伝わるように、という気遣いはやぶ蛇だったようだ。


「まあ、授業のあいだ何をしていたかは予想はつきますが」


 若干の呆れが入った声。


「そうだな、授業中は君ばかりを見てたな」

「嘘がお下手ですね、シン」


 正直に言ったのに何故か否定されてしまう。

 というより俺がエリカを見てた事を知ってるよね君? いや、それ以上に俺が不真面目な学生だったと思われてるという事か。


「まあ不真面目な学生だったからな」


 苦笑しながら答えるとエリカが一瞬の逡巡しゅんじゅんを挟み謝罪してきた。


「その答え、気を遣わせてしまいましたね。すいません、シン。貴方の目的はもしかしたら果たせないかもしれません」


 俺の目的って何のことだと訊く前にエリカが言葉を続ける。


「シャラにもわたくしの事情に巻き込んでしまいこのような事になってしまって本当に……シャラ?」


 エリカの戸惑ったような声にシャラの方を見ると、シャラが干し肉を囓りながら「ふぇ?」と小首を傾げている所だった。

 エリカと思わず目を合わせる。


 あのエリカ・ソルンツァリが、コイツやべぇと顔で語っていた。

 いやまあ実際にそう思っているかは分からないが、相当驚いているのは間違いないし、俺に至っては師匠と妹弟子に並び立つヤバい奴を目の前にして思わず真顔になった。


「ち、ちが!」


 シャラが俺とエリカの顔を見てワタワタと慌てる。

「なんか教会を見たら安心しちゃいまして、そしたらちょっとお腹が空いてきちゃいましてですね、その決して気が抜けてるとかじゃなくて、私これでもシスターでして!教会の側だと反射的に安心してしまうと言いますか!」


 魔力波五拍ほど痛い程の沈黙が通り過ぎ、エリカがクツクツと笑い出した。

 釣られて俺も笑う、決して笑ってこのイカレタシスターへの恐怖を誤魔化そうとしたわけではない。


「そうね、そうですね。これはわたくしが“悪かった”でしょうね。謝るなどらしくないでしょう、これが最後かもと思うにしても謝るなどソルンツァリらしく無いにも程がありましょう」


 エリカがシャラと俺の顔を見る。


「最後であるにしてもこう言うべきですね。随分楽しい時間でした、お二人に感謝を」


 シャラが干し肉を飲み下してエリカの言葉に応える。


「最後、みたいな感じが全然しないのですが、あと楽しかったと言えるエリカに正直ドン引きなんですが、まあ悔しい事に楽しかったですよ、私も」


 言い終わるとエリカとシャラが期待の篭もった目で俺を見てくる。これは俺にも何か言えと?

 そうだな、最後かもと思えば素直になるのも簡単だろう。


「あの日、あの馬車に乗ってから幸せじゃ無かった日は一日として無かったよ」


 呪詛を吐き続けるエリカの側にいれるだけで幸せだった。剣を振るうエリカの隣に立てる事が嬉しかった。彼女が語る未来に自分がいる事が嬉しかった。彼女の悩みや不満や日々の細々とした言葉を聞ける事が幸せだった。

 人生をぶん投げた先にこれだけの幸せが詰まっている、あの日あの馬車に乗った時からつまりは俺はいつ死んでも幸せだったと言えるのだ。


 「んー!」と声にならない声を上げたのはエリカで、シャラは両手で顔を覆いながら「このタイミングで二人しか分からない事を言うとか空気読めよ畜生」と叫んだ。

 そして魔力波が突然に鼓動を止め、俺は「かまえろ」と言った。

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