第64話 追放侯爵令嬢様と貧乏子爵家次男3

 *


 俺は確かに山羊魔族を殺した。

 それは首を落としたから、とかそういう事を確認したからではなく。

 山羊魔族から魔力が消えるのをこの目で確認したから得た確信だ。


 旅に出て早々に襲われたあの馬魔族の再生能力の高さを見ていただけにそこに油断は無かった。

 だが、俺はミスを犯したのだと認めなければならなかった。


 魔物と違い死んでも魔石にも魔石屑にも変わらない魔族の死体が、ボコボコと泡立ち崩れていく様に。

 そしてその溶け崩れる死体の中から見える球体に。

 俺は致命的な間違いを犯したのだと認めなければならなかった。


 *


 肉が文字通り泡立ち、泡が弾けるたびに微かに魔力が大気に漏れ、そしてそれは俺の知識が正しければ人の拳ほどの大きさであるはずの半ば死体に埋まったままの球体へと吸い込まれていく。

 いや、アレは死体ではないのだろう。


 アレはまだ生きているのだ、そしてその魔力をそそぎ続けているのだ。

 生きている限り魔力が外に出ないようにする、なんてのは不可能だ。

 だがあの球体があるのなら話は変わる。


 あの球体は一度起動されたら周囲の魔力を貪欲に取り込むのだ。

 あの山羊魔族は首を落とされた瞬間にすぐさま決断したのだ、自身の命を投げ捨てるという決断を。


 意識が残っているかどうかは分からないが、その執念を甘く見ていた。

 そして奴らの手の長さを、その周到さを甘く見ていた。


「なぜ、あのような物がこんな所にあると言うのですか」


 エリカが、あのエリカ・ソルンツァリが呆然としている。

 だが呆然が許されたのは一瞬だった。

 オーガナイトの魔石屑が魔力を吸い取られて割れる音を合図に俺達は動きだした。


 学園で教えられた言葉をふと思い出す。

 初老を過ぎた白髪頭の男性教師だったと思う。

 その顔は長年平和を維持し続けているファルタール王国では見る可能性は低いだろうがと、冗談でも言うような顔だった。


 もし君達が戦場でそれを見たのなら全力で背を向けて逃げなさい、恥とも言われないし叱責もされない、むしろ褒められる事になるだろう、ただし生き残れたらですが。

 普段から笑えない冗談を言う教師だと思っていたが、まさか年単位の時間差を置いて実感させられるとは思わなかった。


 いやホント笑えねぇ。

 身を翻し、背中を向ける寸前に、地面に転がった山羊魔族の頭が笑ったような気がした。


 *


「な、何が! ちょっと何が起きてるんですか!?」


 エリカに所謂いわゆるお姫様抱っこされたシャラが意味が分からないと叫ぶ。

 俺達は今、逃げている。

 それも全力でだ。


「マズい物があったからです」


 エリカが悔しげに言う。


「大変マズい物があったからです」

「マズい物って何なんですか?」


 シャラの問いにエリカが答えあぐねたのは貴族としての考え方が残っていたからだろう。

 貴族の間にはこんな考えがある、戦争は貴族の仕事だと。

 平民は戦争の事など気にしなくて良いし、その意義もそこにある誇りも愚かさも知る必要は無い。


 傲慢な考えだと思う。俺からすると歴史をちょっと紐解けば平民が戦争に巻き込まれるのもままある話なのに何を言っているのかという感じだが。

 それは俺が貴族としては早々に真っ当な道から外れたからこその考えだろうか。


 なので俺がエリカの替わりに答える。


「魔道具だよ、最悪の魔道具があったんだ」


 エリカの後ろを走る俺に、シャラが視線だけで何の魔道具かと問うてくる。


「どっかの馬鹿、具体的にはレイニバティっていう馬鹿が作った街を吹き飛ばす為の魔道具だよ」


 名前は『レイニバティの五番』、希代の魔道具製作者であり、ここ百年ほどの大陸の平和を作り上げた狂人レイニバティが名前の通り五番目に作った魔道具だ。

 魔法は神の御技の模倣、スキルは神から与えられた奇跡、そして魔道具は人の知恵の結晶だ。


 戦争の無い世界でゆっくり魔道具の研究をしたいと願った狂人が、自分の願いを実現する為に世界にばらまいた知恵の結晶は、人の知恵が必ずしも善意の為に使われるわけではないという証明だ。


「街を吹き飛ばす魔道具ってそんな物!」


 あるはずがない、という言葉をシャラが飲み込んだのは。俺の顔を見たからなのかエリカの顔を見たからなのか。


「あるんだよ、それも各国に大量にな」


 そんな物が目の前に出てきた意味を考えて叫びだしたい気持ちを抑える。

 皮肉気な笑みを浮かべられたのは我ながら空元気が過ぎるだろうと心中笑う。


「皆が皆そんな物を持ってたら戦争なんてやれないだろ?って考えた馬鹿が作ってばらまいたんだよ」

「ど、どこの馬鹿がそんな事を!」


 シャラが至極真っ当な疑問を叫ぶ。


「ファルタール王国のレイニバティって奴だよ、ついでに言うと百何十年前に死んでるからな」

「ファルタールには馬鹿しかいないんですか!?」


 コイツさらっと俺達を馬鹿に含めたなと思いながらもスルーする。

 それがシャラの恐怖を紛らわす為の言葉だと分かったからだ。


「それで私たちは助かりそうですか?」


 シャラのその問いは俺にではなくエリカに投げかけられた。

 その声は酷く落ち着いていた。


 あきらめとも違う、受け入れた者の言葉だった。

 流石、腹から骨が突き出た状態で村人が逃げ出す時間を稼ぐ為にゴールデンオーガと戦おうとした女である。切り替えの速さが冒険者俺たち並みだ。

 続くエリカの声も平時と変わらぬ物だったのは、認めたくは無いがシャラの落ち着いた声音のおかげだったかもしれない。


「すいませんシャラ、正直に言うと分かりません。ここが森の中でなければ範囲外まで逃げおおせるとシャラに確約できましたが」


 そうなのだ、魔境の鬱蒼と茂る森の中では全速で走る事ができないのだ。

 更に悪い事に、ここは魔境なのだ。


 俺達の背中を押すように“濃い”魔力波が通り抜けた。

 魔境ではレイニバティの五番が吸い取る魔力には事欠かない。なにせ魔境の森とはそれ自体が一種の魔法に近い現象なのだ。


 レイニバティの五番は一定量の魔力を吸い込むと魔力波を出し始める。

 それはこの魔力波が届く範囲は死ぬと報せる為の物だ。


 だから逃げてね、という狂人レイニバティの善意なのだそうだ。

 この魔力波はだんだんと感覚を狭めて放出され、最終的には走った後の鼓動ほどの速さになった所で魔道具が発動すると言われている。


 なんとも悪趣味な善意である。

 想像以上に早い魔力波の放出に奥歯を噛みしめる、たぶんこのままでは俺達は逃げ切れない。


 魔力波を背中に受けたエリカの魔力が一瞬だけ不安定に揺れ、そしてピンと張った。


「シン、シャラをお願いします」


 背後の俺をチラリとも見ずにエリカがシャラを放り投げる。

 空中でうっそでしょ!と叫ぶシャラを両手でキャッチする。


 産まれて初めてお姫様抱っこする相手がシャラという業を背負ってしまった事に思わず舌打ちする。

 腕の中でシャラが何ですかその舌打ちはと叫ぶが今は無視する。


 エリカの黄金の魔力が炎のように揺らめき立ち上がる。


「道を作ります」


 言葉以上にその背中が物語っていた。


「ソルンツァリの秘技、内緒にしておいてくださいましね」


 冗談めかして言ったその言葉とは裏腹に、その背中は如何いかな状況であろうと諦めないと雄弁に語っていた。


 瞬間、エリカの赤髪が燃え上がった。

 腕の中のシャラが息を飲んだのが分かったので、俺の目だけにそう見えているわけではないと分かった。


 次の瞬間、エリカの手に膨大な魔力が集まる。

 今日はエリカに驚かされっぱなしだな。

 エリカの両手の中で凝縮された黄金の魔力は、俺の目には黄金で出来た結晶に見える。


 エリカが突然脚を止めたのに反応できたのは、単に今エリカの前に出れば確実に死ぬという確信があったからに過ぎない。

 エリカが短い息を吐く。


 次に起きた事を正確に言葉にする事は俺には無理だった。

 何故なら何が起こったのか理解できなかったからだ。


 現象としてだけなら説明できる。

 エリカの手から古竜のドラゴンブレスかそれに匹敵するような見たことのない魔法が放たれたのだ。

 結果として、森の中に新たな道が突如として現れた。


 燃え上がっていたエリカの髪の毛から炎が散り、エリカが短く「行きますわよ」と言って走り出すのに曖昧な返事を返してその背中を追う。


「ファルタールには普通の人っているんですか」


 おそらくエリカと同等の事が出来るだろう詠唱魔法の使い手であるシャラが呆然とした顔でそう言った。

 詠唱魔法の使い手であるシャラからすれば、エリカのやった事の出鱈目さが良く分かるのだろう。


「いるに決まってるだろ」


 殊更ことさら声を明るくして言ったのは、シャラの声に畏怖を感じたからだ。

 そんなシャラの姿に学園でエリカの事を語る時のクラスメイト達を思い出したからだ。

 何となくだがシャラには彼らのようにエリカの事を見て欲しくなかった。


「具体的には俺だな」


 そう言った俺を迎えたのはシャラの半眼だった。


「エリカの旦那が普通とか正気で言ってます?」


 ふむ、確かに。

 エリカの夫になれるような人間が普通なわけがないな。

 世間一般ではそういう人間は世界一幸運な男と言われるだろう。なので素直に訂正する。


「確かにエリカの夫になれた俺は世界一幸運な男だったわ」


 真面目に訂正したつもりだったが、シャラが腕の中で、この夫婦は!この夫婦はこれだから!と顔を手で覆って叫んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る