第63話 追放侯爵令嬢様と貧乏子爵家次男2


 正直に言います。

 自分の身体を扱いきれません。


 山羊魔族の背後へと飛んだ時は想像以上に飛びすぎてかなり焦りました。

 慌てて自分の身長の二倍ほどの高さにある山羊魔族の首めがけて飛んだ時も、高さと角度は完璧だと思いつつも予想以上に早かったので。


 かっこつけて防具の方にも~~等と言ってる時は最後まで言い切るまで待っていたら首を飛び越してしまうとワタワタしてました。

 振り下ろした剣にまさかの触手のガードが差し込まれた時なんて、ガードされた事よりも何の抵抗も感じないレベルで剣が通る事に驚いてました。


 山羊魔族の首が地面に落ちる前に、シャラの目の前に着地した時は、いったんシャラの頭上を越えてから背後の木を蹴っての事でしたし。

 高い木があって本当に良かったです。


「シンさんが空から振ってきた!」


 と驚くシャラに余裕の笑みを返せたのは、たぶんきっと直前まで顔が引き攣っていたからだ。

 ことさらゆっくりと剣を鞘に戻したのは、自分の身体がまったく信用ならなかったからだ。


 封印!これ封印!

 無理!こんなん扱えない!無理!


 何となく背中かな、という理由で背中の方に構築した追加の身体強化の魔法陣を解除する。

 ブラック何とかというマイナーな魔物から取れる糸で編まれたシャツが、やっと普通のシャツに戻った気がしてホッとする。


 二つ目の身体強化の魔法陣を構築してから、まるで背中に扱いきれない暴れ馬でも乗せている気持ちだったのだ。

 まともな身体強化が使えるようになってきた冒険者の死因一位が自分の身体を扱いきれずに事故を起こす、の理由が良く分かった。


 これは確かに死ぬ。

 そして師匠が本当に丁寧に手ほどきしてくれていた事を実感する、やり方はともかくとして。


「見事な動きでしてよ」


 だからだろう自分では制御すら覚束ない強度の身体強化その動きを、全て見ていたと、見えていたと言うエリカに俺が戦慄したのは。

 今までの彼女の戦いを思い起こす。

 きっと彼女は学園を出て初めて本気を出せるようになり、そして今も自分の本気に慣れている最中なのだ。


 これから彼女は更に強くなる。

 本人がその事に自覚的かは分からないが、誰からの手ほどきも無く、難なくそれを成すのがエリカ・ソルンツァリなのだ。

 彼女の隣に立つという事の困難さに今更ながら震える。


「どうかな? 合格点は貰えるかな?」


 だから俺は殊更ことさらに軽く言う。

 自身の平凡さを理由に諦められるのなら、とうの昔に諦めている。

 震えるにしても文字通り今更すぎるのだ。


「そうですわね」


 エリカが右手人差し指で赤毛を一房巻き取りながら思案して答える。


「その……素敵、でしたわよ」


 つまり、結局は、単純な話。

 彼女は天才なのだ。


 俺が扱い切れない身体強化の強度に、自分で自分に恐れ戦き。

 いまだ底が見えない彼女に驚愕する。


 彼女の隣に立ち続ける為に、どれ程の無茶を通さなければならないのだろうか? という疑問に恐れる事はなかったが。

 それでも俺はちょっと日和った。


 だからだろう。


「もう一声」


 日和った心が己を奮い立たす為の言葉を貪欲に求めたのは。

 具体的にはエリカに褒められたい。


「もう一声……ですか?」


 エリカがキョトンとした顔をする。

 ここでエリカに呆れられていたら折れてた自信があったが、エリカは目を伏せ真剣な顔で考えてくれた。

 んー、と小さく声を漏らして真剣に言葉を考えてくれるエリカは凄く可愛かった。

 具体的には髪を一房巻いたままの人差し指を顎先にあてて考える様など、最高である。


 エリカがちらっと俺の顔を見て、そっと視線を外して俺のリクエストに応えてくれた。


「そうですね、初手で相手の知性を確かめようと語りかけていたのは面白かったですわね。わたくしには良く分かりませんでしたがシンには相手の表情が読めているような気がしました、そこから知性の有無を計るというのは冒険者としての経験の違いでしょうか? それから話しかけている最中もわたくし達との間にさりげなく立って、視線を通しつつ最短距離を防いでいてくれたのはとても良い気遣いでした」


 望んだ一言が予想外の長文でした。

 話しだしたら興に乗ったのか、それとも単純に戦闘行為の振り返りが楽しくなってきたのか、エリカの声が弾みだす。


「そして瞠目すべきはあの身体強化でありましょう」


 目を瞑り記憶を反芻はんすうするエリカ。


「まさか貴方がまだあのような隠し球を持っていようとは思いませんでした。あれはロングダガー家の秘技か何かですか? あの速さは生半なまなかのものではありませんでした。わたくし“産まれて初めて”かすむ程の速さというものを目の当たりにいたしました」


 望外のド直球なエリカの賞賛の言葉に喉の奥がちょっと熱くなる。

 師匠に初めて褒められた時を思い出す。

 

 だからだろう。

 エリカに、アレはロングダガー家の秘技とかじゃなくてさっき思いついたと答える声が少し震えたのは。


「そうなのですか? そうであればなおのこと凄いではありませんか」


 エリカの声が弾む。

 とっさに思いつき、その思いつきを形になさしめるには、その背後に如何いかほどの努力、研鑽があったでしょうか――。


 お願い、もう無理。

 俺はエリカからの賞賛を過剰摂取して思わず両手で顔を覆う。

 顔が真っ赤になってる自覚がある。


 俺が真っ赤になって顔を伏せると何故か更にエリカの声が弾み出す。


 曰く、あの速さは。

 曰く、あの剣筋の鋭さは。

 曰く、わたくしの旦那様は。


 やめて!死んじゃうから、俺死んじゃうから。

 エリカの声が更に弾み、最早もはや俺本人ですらそうだったのか分からない足運びとか、立ち姿にまで素敵でしたと賞賛が飛んできて、どうしたら良いか分からなくなる。


 ふと冷静な俺が、魔境の中層でこんな事をしてる場合かと顔を出すが、エリカに横から見た時の首筋のラインが素敵ですと褒められて直ぐに引っ込む。

 最早先程の戦闘とか関係ないなと思いながらも、自分からはもう良いですとは言えない。


 なんなら一生このままでも良い。

 半ば本気でそう思っていたが、シャラの呆れた声がそれを許さなかった。


「何の儀式なのか分かりませんが、お二人とも正気に戻って頂けませんか?」


 伏せていた顔を上げると、呆れ顔したシャラと、何故か顔を覆いながら「やってしまいました」と呟くエリカが目に入った。


「ここでエリカに恥ずかしがられると元の木阿弥なので我慢してください、というか旦那の事を褒めまくるのは恥ずかしい事じゃないでしょ」


 シャラがザックリとエリカを切り捨てる。

 そうか、エリカは褒めすぎたと恥ずかしがっているのか。


 戦闘の後で緊張が解けたせいで興が乗りすぎたせいだとは思うが、あの褒め言葉が十分の一で良いから本心であったのなら嬉しい。

 エリカの強さにばかり目が行ってしまい、彼女が元侯爵令嬢である事を忘れていた自分を恥じる。


 貴族令嬢として育ってきたエリカが、まだ慣れているとは言えない戦闘の後で、高揚した精神で思ってもいない事を言ってしまうというのは十分予想できてしかるべき事なのだ。

 それを日和った俺がもう一声などと煽ってしまった事になる。


 そのせいでエリカに恥ずかしい思いをさせてしまった。

 つくづく自分の弱さが嫌になる。


「何故エリカが恥ずかしがるとシンさんが難しい顔になるのか、ちょっと理解しがたいですが私の話を聞いてくれますか?」


 シャラが何なんだこの夫婦みたいな目で俺達を見てくる。

 戦闘後の妙なテンションで俺を褒めまくるエリカと、その褒め言葉で顔も上げられなくなっていた俺の痴態を見られているので、ぐうの音も出ない。


 シャラが指さしながら言う。


「私は魔物やましてや魔族に関しては詳しくないのでアレなんですが」


 視線がシャラの指先に誘われて、山羊魔族の死体が転がっている方へと向く。


「死んだ魔族というのは、ああなる物なのですか?」

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