第62話 追放侯爵令嬢様と貧乏子爵家次男1

 思わず山羊魔族から目を離してエリカを見てしまう。

 まばゆいばかりの笑顔を浮かべたエリカ、とついでに言えば自分の胸を真剣な目で確かめるシャラが目に入る。


 この笑顔はあれだ。

 ファルタールの王子がエリカと光の巫女が二人で出かける予定の所に自分を押し込もうとした時、断固として断った時の笑顔だ。


 この笑顔は、後を頼みますとは、つまりはエリカさんは怒っていて俺に責任を取れと言ってらっしゃるのだろうか……。

 ためしに山羊魔族を指さし、ついで俺を指さしてみる。


 良く出来ましたと言わんばかりの笑みで頷くエリカ。

 そっと自分の胸に手を当て深刻な顔をするシャラ、お前はよく魔族を目の前にしてそっちを気にしてられるな。


「夫婦の誓いは?」


 山羊魔族の方へと視線を戻しながら、駄目だと思いながらも訊いてみる。


「今は冒険者ですので」


 それはどういう事だ。

 え? つまりは夫婦じゃないの?


 全身に嫌な汗が噴き出す。

 まさか……これは、離婚という事か?


 落ち着け!落ち着け俺!

 発作的に飛び降りる為の崖を探そうとする心に必死に呼びかける。


 元より一年の約束だ、それが早まっただけだ。

 いつか必ずくる話だったじゃないか、そんな絶望するような話では無いだろ。


 ……駄目だ死のう。

 エリカにアレを頼むと言われたのだから、あの山羊魔族は殺すとしてアレを殺したら死のう、うん、死のう。


「まあ、腕の一本か脚の一本かが吹き飛ぶようでしたら夫婦の誓いとやらも思いだしましょう」


 つまりは腕一本か脚一本吹き飛ばせば離婚は回避できると? まさかエリカの事だから腕一本か脚一本無くせば助けに入るとかそういう意味ではないはずだ。

 つまりは、腕一本か脚一本で離婚はしないと許してくれると、何て優しいんだ。

 エリカ、優しい、俺、好き。


 とりあえず左腕で良いかと、腕一本と言うからには肩からだなと考えているとエリカが言葉を接ぐ。


「わたくしの夫を名乗る人間が、少し大きい程度の毛なし山羊相手にそのような手傷を負う等とは杞憂ではありましょうが」


 よし、無傷だ。

 無傷でアイツの首を落とす。


 *


「弟子はあれだな、徹底した効率主義だな」


 師匠こと“親切なバルバラ”は、時間が経てば経つほど重さが増すという、何の役に立つのか分からない魔道具を持った俺にそう語りかける。

 かれこれ一時間持っている俺は既に限界に近く、まともに頷く事も出来ない。


「いや魔法の使い方の話だよ弟子よ」


 視線に疑問が乗ったのか師匠が答えてくれる。


「弟子は魔力量は凡人だからな、それで強度と出力と維持時間を稼ごうとすればそうなるのは当然だな」


 早く魔道具が魔石を消費しつくしてこの重さから解放されたいと願いながらも、師匠が何を言いたいのか分からず気になる。

 親切な師匠は身体強化の魔法の訓練だけでは俺が退屈するだろうと、ついでに座学をやってやろうという気になったのだろうが、気が散って仕方ない。



「維持時間を無視するのなら、強度と出力を手っ取り早く上げたいのなら魔法陣に込める魔力を増やせば良い」


 所謂いわゆる圧を上げるって奴だな、と師匠が言う。

 だけどそれでは魔法陣の限界がすぐにくる。魔法陣がもたない。


「その通りだ弟子」


 言葉にしてない疑問を当然のように師匠が拾う。


「単純に魔法陣に込める魔力を上げるだけでは直ぐに魔法陣に限界がくる。ではどうする?そうだな魔法陣の強度を上げるんだ」


 おい、待てこの師匠何をする気だ。その手に持っている魔石はなんだ?

 もはや重すぎて重量が増えていっているのかも分からない俺は必死で身体強化の強度を上げ続ける。



「魔法陣の強度を上げる方法は主に二つ。一つは魔法陣を構築する魔力自体を増やす方法。これはまあ天才のやり方だな、ちょっと人より魔力量に自信がある程度では魔法陣の構築すら満足に出来ないだろうさ」


 魔石を持った師匠が俺に近づいてくる。


「もう一つは単純だ。魔法陣が構築される側を鍛えれば良い良質な身体は魔法陣の強度を増す、つまりは弟子よ身体を鍛えれば良い」


 だから追加の魔石を弟子にやろう、そう言って師匠は魔道具に魔石を追加した。

 顔は心底、親切に出来る事に満足している顔で、どうだ私は親切だろ?と今にも言い出しそうな笑みを浮かべている。


 その親切は今は無理ー!

 俺は尽きかけの魔力をどうにか絞りだそうと必死になるが、せいぜいあと数分で自分の両腕がグチャグチャになる未来を予見して泣きそうになる。

 かたわらで師匠が、あとは魔法陣に流す魔力量を増やすってのもあるけど、そっちも天才のやり方だな、びっくりするぐらいに非効率だし、と言っていたが最早考える余力は俺には無かった。


 *


 俺達冒険者は大雑把に魔力の扱いを捉えている。

 魔法陣に魔力を込める、のは魔法陣に流す魔力量の事なのか、それとも魔力を流す圧を高める事なのかも適当だ。


 大体がその場のノリで“込める”の一言で使い分けている。

 それは俺達冒険者が学園に通う貴族のように体系的に魔法を学んだりしないからだ。まあ俺の場合は学生としては不真面目に過ぎたからだが。


 自慢じゃ無いが黒板よりエリカを見てた時間の方が長い自信がある。


「そこでお前に質問だ山羊魔族」


 師匠の教えを思い出していた俺の心の声が聞こえるはずが無く。何が、そこで、なのか分からない山羊魔族の顔に戸惑いのような物が浮かんだのを感じる。

 やはり知性はある。


 ゆっくりと、わざとゆっくりと近づきながら俺は更に言葉を繋げる。


「お前らと違って魔力量が平凡な俺が、今からすぐにでも身体強化の強度を上げようとするならどうするか? って話だよ」


 山羊魔族の視線を追うように魔力の線が俺の身体を舐めるように動く。

 触手か魔法か、悩んでいるのが良く分かる。


 どちらも有効な選択肢に入る距離で俺は足を止める。

 まだ俺は普通の身体強化しか使わない。


「ついさっきの話なんだけどな」


 話しかける度に臓腑ぞうふからせり上がってくるような忌避感、不快感をつとめて無視する。


「オーガナイトと斬り合ってる時に気が付いたんだよ。強固な魔法陣を構築できるような魔力が無い、魔法陣に大量に魔力を流せるような魔力量が無い、かと言って急に魔法陣が強固になるような身体になるわけじゃない」


 “親切なバルバラ”の対人戦講座。

 先手が取れなかった場合は相手のタイミングを乱せるだけ乱せ。


「そこでふと気が付いたんだよ。あれ? 身体強化が防具にまで使えるぞ? 身体強化が通った服が俺の腕がグチャグチャなのに無事だぞって」


 そんななりで知性があるってのも難儀な話だな、俺のこんな無駄話に付き合うだなんて。

 そんなにも俺の背後にいるエリカが気になるか?


「だったら、身体強化が通るっていうのなら、それはもう俺の身体だろ?丈夫な、俺の身体より丈夫な俺の身体だろ?」


 だからこんな風に。

 そう言い切る前に俺の足下の地面が爆ぜた。


 先程の遠距離から伸ばしてきた攻撃よりも数段早く、より苛烈な触手の一撃が地面を抉る。

 だが地面が爆ぜたのは、その殆どは俺のせいだ。


 未熟な俺が、身体強化を使えるようになって間もない新米冒険者のように、盛大に地面を削ってしまったからだ。

 山羊の頭を支える人間のような首を背後から見据えながら俺はこう言った。


「防具の方にも身体強化の魔法陣を構築すれば良いじゃないかって」


 気持ち悪いから最後まで言い切りながら、未だに俺を見失ったままの山羊魔族の首めがけて俺は剣を振るった。

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