第59話 追放侯爵令嬢様と暗殺者2


 エリカが飲み込んだのは、冗談でしょ、だったのか、まさか、だったのか。

 気になる所だったが少なくともエリカは俺の言葉を頭から否定するような事はしなかった。


「なぜそう思うのです?」


 替わりに出てきたのは真っ当な疑問だった。


「彼女しかできないから、だな」


 エリカが口中で、彼女しかできない、と言葉を転がす。


「エリカは奇妙だと思わなかったか? 何故、こんなにも魔物が少ないのだろうと? 森に入った時にはあんなにも数が多かったのに、と」

「えぇ、まあ確かに疑問に思いましたわ」

「理由はアレだ、アレから逃げたんだ」


 俺は既に魔石屑の塊となっているオーガナイトを指さした。


「アレはこんな所に出てきて良い魔物じゃない」


 俺の言葉にエリカが小首を傾げる。


「もし、アレが魔境の中層で、たまさか立ち入った冒険者が偶然にでも出会う程度に発生しているというのなら」


 少し続きを言うのを躊躇する。

 エリカに傲慢な人間だと思われたらどうしよう?


「今のヘカタイでは森の拡大を止めるのすら無理だ。圧倒的に強者が足りない」


 俺ごときが何を言っているのか? そう思われたらどうしようかと身構える俺にエリカは言った。


「それは貴方の見立てで、ですか?」


 少なくともその声に侮蔑の感情は感じられなかった事に内心安堵する。


「ヘカタイに着いてからずっと見てきた。強者は居た、それと分からない奴も。だけどその数は少なすぎる、少なくともオーガナイトと偶々たまたま遭遇できるような中層を広がらないようにするには数が足りてない」

「成る程、貴方の見立てです。信じましょう、どうもわたくしは人の真価を見誤るへきがあるようですので」


 若干の皮肉が入った諧謔かいぎゃくでエリカが応える。


「それじゃあ、だ。それじゃあアイツはどこから来たんだ?」

「もっと奥から――」

「そう、深層からだ」


 エリカの言葉をいだ勢いをかって話を続ける。


「森に入って直ぐに魔物の群れにあたったのは? 中層の魔物が浅い方へと逃げていたからだ。中層で他の冒険者に会わなかったのは? 森から溢れた魔物の対処で大忙しだからだ」


 全て状況証拠だ。魔物相手の話だ、たまたまそうなったと言われたら否定は出来ない。


「何故そんな事に? 誰かが深層からアレを釣り出したからだ。恐らく多大な犠牲を強いるだろう深層の化け物をこんな中層まで引っ張りだしてきたのは何故? 今日ソイツに殺して欲しい奴がいたからだ」


 もうエリカには俺が何を言いたいのか伝わっていると思ったが俺は最後まで言い切る。


「じゃあ、今日たまたま殺したいソイツがここにやってくると知っていた奴は?」


 皆まで言わなかったのは、俺が言う前にエリカが答えを言ったからだ。


「教会、そして一番近くに居たのも、直前まで一緒に居たのもシャラただ一人」


 エリカが溜息に似た息を吐く。


「貴族の端くれとして、騙し騙されというのは慣れていると思うのですが。何も感じないというのはまだ難しいですね」


 貴族としては落第の俺は、彼女を慰める言葉を持たない。

 騙されれば怒り、裏切りに慣れるのを良しと考える事なんて出来ないからだ。


 だからまあ、その気配に気が付いた時に少しだけ顔が強ばっていたのは、慰める言葉を持たない自分に対してなのか、彼ら暗殺者に対する怒りなのか自分でも良く分からなかった。


 気が付けば、オーガナイトの魔石屑の隣に仮面を付けた人間が立っていた。

 全身を覆うローブから零れる髪は、今ここには居ないシャラを思い起こさせるような金髪だった。


「役立たずが」


 仮面の人物はそう言って魔石屑を蹴る。

 声は仮面のせいで性別も分からない、おそらくは最初の襲撃者と同じ物で、そういう魔道具なのだろう。


 だがローブに包まれた身体には丸みがあり、女性である事がハッキリと分かった。


「コイツをここまで連れてくるのに何人仲間が死んだと思う?」


 声は疑問形ではあったが、その疑問は俺達に投げかけた物ではないだろう。

 相手の声からはこちらを会話の相手と見ていないという強固な意志めいた物を感じる。


 独り言だ。

 まるで会話する相手がいるかのような声量で、ハッキリ聞き取れるだけに一層不気味だ。


「おかげで最後の手段を使うハメになってしまったよ。いや本当に困ったものだ」


 困った困った、と。

 酷く大事な物が欠けた声が耳朶じだを打つ。


 今すぐ、今すぐアレの首を落とせ。

 アレを人と思うな、魔物のたぐいだ、ならば先手を取れ、首を落とせと、冒険者としての俺が心中で叫びまくる。


 だが俺は動けなかった。

 エリカが俺の手を握っていたからだ。


 弱々しく握られた右手は、その気になればすぐにでも振り払えた。

 だが俺にはどんな重たい鎖よりも重たかった。


「認めなければならないでしょうね」


 弱々しい声。

 嗚呼……どうか。


「状況証拠に、ついには本人が目の前に。これはどうやっても認めるしかないのでしょうね? シン」


 声音で分かった、エリカは騙し騙されには慣れていると言ったが、それでも信じていたのだ、信じたかったのだ。


 どうか彼女が泣いていますように。

 そう願って俺は振り返り、そして裏切られた。


 エリカは苦笑に似た笑みを浮かべていた。

 それは強者の笑みだ。

 強者だけが浮かべる事が許される笑みだ。


 かかる困難全てを実力でもって蹂躙じゅうりんできるがゆえに、出来てしまうが故に。

 ならばと自身に困難理不尽が降りかかるのは当然であると、慣れて諦められる強者だけが許される笑みだ。


 弱々しい声以上に、その笑みが俺の心をえぐる。

 泣かないエリカに、泣けないエリカに、彼女にそうさせる世界に、輝かしい未来を奪ってなお邪魔をする連中に、身勝手な怒りが湧く。


 よし、アレは俺が殺そう。


「アレは違うエリカ」


 自分の喉から出た優しい声音に自分で驚く。


「アレは君が手を下すまでもない、なんて事のないただの敵だ。君が思っているようなモノじゃない」


 エリカの手が離れる。


「嘘が下手ですよ、シン」


 俺はその声を聞かなかった事にした。

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