第57話 追放侯爵令嬢様、怒りの淑女キック2

 *


 はい、と答えた俺の言葉がエリカに届いたかどうかは正直疑問だ。

 エリカが怒っていたからとかではなく、ピタリとオーガナイトの拳を止めていた蹴り足を振り抜いたからだ。巻き起こった魔力波に耳が鳴る。


 人間は身体強化の魔法を使えて初めて魔物と対等以上に戦える。

 故に、身体強化に似た魔法や身体強化を使う事が出来る魔物を単独で倒すというのが、ファルタール王国ではランク8へと至る条件なのだ。


 だがそれは、そんな身体強化が使える魔物と身体能力で対等に渡り合えるというのを意味しない。

 だって人間だもの、道具を使おうよ。


 だからまあ、俺が目の前で起こった現実に唖然としたのは俺が常識人だからであり、俺がいたって平凡な人間だという証拠でもある。

 必死に振り抜こうとしていた右腕を真正面から蹴り返されたオーガナイトは大きく体勢を崩した。


 そして――。


 オーガナイトの黒い外皮は、強大な竜の鱗に匹敵するとか何とか。

 かの魔物の頭部は人間の騎士の兜のように分厚い外皮で覆われている。


 ――その顔面にエリカの蹴りが炸裂した。


 それを人の脚で蹴った所でこんな音は絶対にしない。

 そんな音が生々しく耳に残る。


 全力にはほど遠い身体強化の強度であっても俺の目は動きに追いついてくれた。

 オーガナイトの巨躯が良い感じに体勢を崩し、手頃な位置に落ちてきた頭部をエリカが美しいフォームで蹴り上げたのだ。


 彼女が蹴り上げる瞬間に風の魔法を使ってその蹴りを加速させたのが分かった。

 身体強化した身体の動きを更に別の魔法を使って強化しているのか。


 スキルに良く似た物がある、というのは知っている。

 だがそれを純粋に魔法で再現できるような人間を俺は知らない。


 俺は反省した。

 大いに反省した。


 正直に言う、俺はちょっと前までオーガナイトと真正面から斬り合えていた自分を、もしかして俺もちょっとした天才の部類なのではないだろうか? 等と考えていたのだ。

 なんて恥ずかしい奴なのだろうか。


 師匠も言っていたではないか。

 ランク7までは人間やる気を出せば……いや?死ぬ気だったか? を出せば誰でもなれると。


 学園で学び、その上に“親切なバルバラ”という性格的にはともかく、性格的には本当にともかくとして破格の師匠から教えを受けて。

 やっとで師匠曰く剣での戦闘だけならランク7相当になれた俺など、やはり只の凡人なのだ。


 俺は本物の天才を目の前にして自分の思い上がりを恥じた。

 後でエリカに謝っておこう、君の事を天才だとか思っていたけどそれでもあなどっていたと。


 いやそれにしても――。

 何故にエリカは蹴りだけで戦っているんだ?


 エリカに頭を蹴り上げられた勢いを使って体勢を戻したオーガナイトが怒りのうなり声を上げながらハンマーを振り下ろすような動作で拳を振り下ろす。

 エリカはそれを最小限の動作で避けると、オーガナイトの腹へと目がけて蹴りを放つ。


 一瞬で三発の蹴りがオーガナイトの腹部へと刺さる。


 オーガナイトが、魔物達の王が、悶絶した。

 オーガナイトがヨロヨロとフラつきながら一歩後退する。


 そこでチラっとエリカがこちらに視線を向けてくる。

 え? 何その視線、何の視線なの?


 エリカの視線の意味が分からずに混乱する。

 俺は小首を傾げそうになりながらも、折れていたというか砕けていた脚の骨がくっついたのを確認する為に右脚を動かす。


 エリカの口から、成る程、次は脚ですね、という呟きが聞こえた気がした。

 視線を外していたエリカにオーガナイトが襲いかかるが、不思議な事に……いや当然か、当然だ。

 俺は何一つ不安に思わなかった。


 それがそうなるのが当然であるように。

 オーガナイトの攻撃は空を裂き。


 続いて聞こえてきたのは鞭打べんだのような音だった。

 ……何故にローキック?


 美しいフォームで繰り出された地味な蹴り技はオーガナイトの右脚に突き刺さり、しかしグラつかせただけだった。

 いや、だからどうして君は蹴り技だけにこだわるの?


 馬鹿にされたと思ったのか、もしくは他の感情か、オーガナイトが明確な怒りの声を上げる。

 ――が、そこにエリカが怒濤の追撃を加える。


 ローキック、ローキック、ローキック。

 ただひたすらにローキック。


 もしかして俺が知らなかっただけで、学園では貴族令嬢の必須科目にローキックでもあったのだろうか?

 こざかしい攻撃だと怒り、侮っていたオーガナイトの顔に明確に焦りの色が浮かぶ。


 どれだけ拳を振り回そうと、エリカにかすりもしないのだから焦りもするだろう。

 しかもエリカは華麗に避けながらもひたすらにローキックを繰り返すのだからオーガナイトもたまったもんじゃない。


「うわぁ……」


 思わず声が出た。

 ついにオーガナイトがアアァみたいな顔をして地面にうずくまった。


 その右脚は紫色に腫れ上がっていた。

 俺はまさかの魔物達の王と恐れられるオーガナイトがローキックで立ち上がれなくなるという非現実的な光景に唖然とするしかなかった。


 そしてエリカはそんなオーガナイトを静かに見下ろしていた。

 動けなくなったオーガナイトに追撃をするでもなく、ただただ静かに見下ろしていた。


 オーガナイトは顔を上げエリカの顔を見る――、そして逃げた。

 魔物達の王と恐れられるキングシリーズの一種であるオーガナイトは、背を向け足を引きずりながらただただ逃げ出した。


 エリカが振り返り微笑んだ。


「もうよろしくて?」


 俺はただ頷いた。

 質問の意味は分からなかったが、問われたから反射的に頷いただけだ。それぐらい有無を言わさない迫力があった。


 瞬間、夕暮れの教室で成績についてエリカに怒られる俺の姿を幻視した。

 なんかちょっと嬉しそうである。

 

 もちろん俺が。

 いやいや、何なのこの妄想。


 俺が自分の妄想に、深刻な疑問を感じている内にエリカが軽やかに飛んだ。

 実際には身体強化バリバリなので、目に捉えるのも難しい速度であったし。その一挙手一投足に込められた力は人の領域を逸脱したそれだ。


 だが俺の目に映るエリカは軽やかだった。

 背中を向けて逃げるオーガナイトへ、トン―トン―トンと三足で迫るその姿は、まるで水面に着水する水鳥のような優雅さで。


 にわかに日の射す広場となった森の一角はまるで光で煌めく水面のようで、身体から立ち上る黄金の魔力に彩られた彼女の赤髪は美しい羽のようだ。

 だからそれはいっそ優しく見えた。


 矜持も何もかも捨てて逃げ出した背中に、そっとえるようにエリカの脚が重なった。

 現れた結果は抱いたイメージとは対極。


 オーガナイトの巨躯きょくが霞むような速度で真横に飛び、自身が作ったクレーターの壁へと激突し土煙の中に沈んだ。

 絶対に、二度と、あのオーガナイトが立ち上がる事は無い、そう俺は確信した。


 正直に言おう、死を覚悟したし俺はそれに恐怖した、つい先程の話だ。

 だが俺は、俺にそんな覚悟をさせた相手に真実同情した。


 つまりは怒ったエリカの前に敵として立つとはそういう事なのだ。

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